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人権宣言記念日

世界初の人権宣言は、1789年フランスの憲法制定国民議会に提出された”人間と市民の権利の宣言”が採択されたことを記念した日である。

日本ではどうだろう。1922年の3月3日、水平社創立に際して宣言された水平社宣言が日本初の人権宣言とされる、初めて、というからにはそれ以降があると思うが、初詣みたいに、それ以降のことはわからないので、詳しい人にきいてみよう。

水平社とは、被差別部落の自主的な解放運動が主な目的として組織されたが、そのほかに労働者階級との連帯を手段とし、搾取者なく迫害者のない社会の実現を目指す。創立のときのパンフレットの表紙にはシラーの詩

芽から花をだし 大空から 日輪を出す 歓喜よ

が掲げられていた。ベートーヴェン第九「合唱」の「歓喜に寄す」の歌詞だ。この歓喜は、水平社宣言を起草した西光万吉自身の長いトンネルを抜けた感覚をここに載せたかったのであろう。
 西光は浄土真宗本願寺派の住職の長男として生まれた。優秀な中学に見事合格するが、西本願寺が経営する中学に編入せざるを得なかった。新政府は解放令を出して、平民として扱うこととしながらも、ムラ社会に蔓延る差別意識は根強かった。自分を庇ってくれた教師にも迷惑がかかるのを恐れてのことだった。三・一五事件に連座して逮捕された際、非合法の共産党に入党した動機をきかれたときに、はじめて胸を内を吐露したのだ。
 学校卒業後、絵心があった西光は画家を目指し上京。実力も認められ画商の目にも止まるが、出自が明るみになることを恐れ、懇意になることはできず、致し方なく帰郷する。仏門を叩くも、偽善性に嫌気が差し、八方塞がりになった。自らの生を呪い、自殺ばかりを考えるようになった。それではいけなかろうと、死から逃走するために読書をする。ロシアのトルストイ、ドストエフスキー、ゴーリキー、フランスのユーゴー、ロマン・ロラン。。。
無政府主義のクロポトキン、バクーニン、マルクス、エンゲルス・・・。
 やがて、早稲田の佐野学が解放論を説いたのを読み、光を見出した。この光は西光だけでなく差別をうけたすべての人々にとっての光でもあった。
ゴーリキーの「どん底」から

人間は勞るものでなく尊敬すべきものなんだ。ーー哀れっぽいことをいって人間を安っぽくしちゃいけねぇ。尊敬せにゃならん。どうだ男爵、人間のために一杯飲もうじゃねぇか

 仏教との決別について付言すると、当時の東西本願寺系の仏教は、現世は諦めて来世に期待しようというものだった。この諦観は差別を糾弾することなく差別を受けた側へ向けての単なる抑えつけに過ぎなかった。それは親鸞の教えとも異なっていた。そうした”親鸞の弟子なる者”が説く説法よりも、ゴーリキーの言葉の方が何倍も力になったのだ。

前の方を見るが良い。すべてのものは過ぎ去るのだ。構うものか、恐れずに生きよ肝心なものはあったところでなく、あろうところのものだ
                           ロマン・ロラン

こうした西光に与えた光の言葉は、水平社創立のパンフレットにあふれている。

 よくきく言葉に、日本は血が流れていないから人権を大切にする意識が希薄だ、とか、米国によって与えられた人権である、とか、だから選挙を大事に思わないというが、私は、こうした生温い見識に抗(あらが)いたい。選挙に行かないのは政治に魅力がないからであって人権とは別の問題だし、かつての日本の人民が血を流して勝ち取った人権であることは明白であるからである。差別を受けた人々は米騒動の担い手にもなったのである。民衆の怒りに慄いた日本政府はようやく部落の生活改善に乗り出すのだ。

 それにしても、いったいなぜ、このような差別が日本の社会に存在したのだろうか。それは、天皇制の成立と整備の過程で発生したという説が有力である。天皇制を整備する過程で領地を”浄める”必要があった。浄めるためには、反対物の”穢れ”が必要となってくる、その犠牲になった人々がいるのである。具体的には、検非違使が動物や人間の死骸を処理するのだが、検非違使自身が実施するのでなく、河原人などに委託実施させていたのだった、河原人を京から追放する代わりに周辺に住まわせて、業務を行なわせていたのがはじまりだ。その後は、民衆の心とムラ社会の問題でもある。
 これは果たしてセンシティブな問題だろうか。しかし、センシティブだという色眼鏡こそが差別を隠蔽し、また助長する当のものであると思うのだ。
いったい全体、差別問題を天皇制と結びつけて考えて差別などしておらず、なんの理由もなく差別しているのだ。こうした問題はつい最近でも起こっている。終身雇用制度が起こってから、民間企業の入社前の身辺調査でもこのあたりの調査がされている。もしも、選挙にいけ、政治に関心をもてと嘆きながら人権を大事にしていないような企業のトップがいたら、恥ずべきことだと思う。

 別なnoteの記事で無政府主義について少し書いたとおり、無政府主義は理想郷を設定する。西光も同じく理想郷を唱えるのであるが、意外なことに、それは高天原に設定されるのである。西光は「マツリゴトの確立による高次高天原の展開」を掲げ、そこは紛れもなく天皇のルーツとされている天照大神をはじめとする神々の集う場所なのである。もしかすると、天皇制こそ自らが受けた差別の根本だと知っていた西光が、聖書の塵だから塵に返すごとくに、差別の根本原因の消滅を図っていたのかもしれない。西光は、美濃部達吉が天皇機関説を唱えるとこれに反対までするのである。
 
 水平社がその後どうなっていくのかは、また来年の課題としよう。
人権宣言について、人権は衣食足りて礼節を知るのごとく守られる性質をもつことは、強調すべきだろう。これは福祉の面からみるような、偽善的な生温いことではなく、”搾取者なく迫害者のない社会”の本当の実現は、(こんなことを書くと赤狩りをやっているなら私は捕まってしまうだろうけれど)私有財産の放棄以外、道はないのだと思う。あるいは、修正資本主義とやらがそれをやってくれるのは福祉であって、根本解決にはならないとも思うのである。逆になんでそれに気づかないのか私にはわからない、私にとっては小学生時代からの疑問なのである。その疑問にきちんと答えてくれたのは、マルクスであり、プルードンであった。だが、世の中にはそれは一旦脇において、わざわざ満員電車に揺られて搾取されに会社に行く人々の姿を見た。かくいう私も愚かにも、サラリーマンに転向した。仕事があってありがたいと思えなどと言われながら・・・さらには、世の人々が”成功者”をいかに定義するのか。私には”搾取者”と同義にみえるのは、果たして錯覚だろうか。

おそらく、そう考えてしまうとこの世は生きにくいのである・・・

かくして解決策がわからぬまま、人権宣言記念日を迎える。
血を流した人々の思いを感じると申し訳なく思う。
人権は我々も失っているものなのかもしれない。しかし、むしろ血を流した人々のおかげで、勝ち取っているものがあると考えることが光になるだろう。
 アフリカやアジアの映像をみて、恵まれない人々に憐れみをかけることが人権を思うことでは決してない。
 自分もいまだに取り戻せていない人権を自分ごととしてとらえること
そして、搾取者に対し(もちろん非暴力で)訴えていくことこそが、人権記念日にふさわしい過ごし方だと私は思うのである。

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<来年の宿題>
・戦後の水平社
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