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クリスマス

クリスマス・イヴについて昨日記事を書いて、クリスマスを書かないのは、いささか座りがよくないのでこの題名で書いている。

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今日は、ニュートンの誕生日である。
学生時代にニュートンの伝記(岩波新書 評伝選 「ニュートン」)を夢中に読んだ。これを読み直そうと思うのである。
ニュートンといえば、もちろん、数学・物理学の功績が一般によく知られているところである。この功績で王立協会(ロイヤルソサイエティ)のフェロー、のちには会長も務めているが、この時代、数学や物理学に関する学問的な重要視のされ方が違っていた。このほか、造幣局の局長になったり、錬金術の研究に没頭したりしている。また、終始三位一体を信じないという当時としては異端的な思想も持ち合わせていて、微積分のことでライプニッツと揉めたり、王立協会ではフックと揉めたりと論争は耐えない。一度に振り返るのは難しいので、つぎの記事から造幣局でのニュートンについて触れたい。

王立協会会員で大蔵大臣のモンターギュは、ニュートンに友情の証として、造幣局の監事の職をもってきた。これは長年閑職で、名ばかりの役職であったが、ニュートンはせっせと活躍する。監事職に司法権があり、貨幣の偽造に対する警察みたいな役割にのめり込んだ。1698年6月から1699年のクリスマスの間に、200人の証言の裏とり作業を実施、自白させた。ただし拷問はしていないとされているが、レポートの破棄を命じているので、本当のところはわからないが、とにかく陪審員の有罪判決を勝ち取ることに成功する。10人の囚人が処刑された。

Newton estimait que 20 % des pièces de monnaie mises en circulation pendant la Grande Réforme monétaire de 1696 étaient contrefaites. La contrefaçon était considérée comme un acte de trahison, passible de mort par écartèlement, à condition que les preuves soient irréfutables. Newton rassembla donc des faits et démontra ses théories de manière rigoureuse. Entre juin 1698 et Noël 1699, il conduisit environ 200 contre-interrogatoires de témoins, d'informateurs et de suspects et il obtint les aveux dont il avait besoin. Il n'avait pas le droit de recourir à la torture, mais on s'interroge sur les moyens employés puisque Newton lui-même ordonna par la suite la destruction de tous les rapports d'interrogation. Quoi qu'il en soit il réussit et emporta la conviction du jury : en février 1699, dix prisonniers attendaient leur exécution.

ニュートンの性格がよく出ている。この仕事によって、学問的な世界とは違う世界をみたに違いない。そこでも冷徹に仕事をこなしていく姿がみえるようだ。しかし、強敵が現れる。神様はどこでも強敵を用意する。数学では、ライプニッツを、王立協会ではフックを、そして造幣局の仕事では、チェロナーだった。ウイリアムチェロナーは、モンターギュなどに取り入って、造幣局の無能ぶりを論じ、新しい貨幣鋳造の方法を発見したという。ところがある死刑囚が、減刑を勝ち取るためチェロナーが鋳型を盗んだと密告した。それを追求されたチェロナーは、”鋳型は造幣局の役人から供給されたのだ、監事の職にある役人たちはそれを黙認しているんだ”と告発した。
逆にニュートンが説明を求められる番になり、このときは、調停委員会はチェロナーの意見に傾いていた。チェロナーはもっと偽造できない硬貨を造ってみせるといいだし、委員会はこの申立をのんで、ニュートンに装置をもってこさせようとした。ニュートンは秘匿性を盾にとって受けなかった。これが裏目に出て、チェロナー有利のままで決着した。ニュートンは、半沢直樹のように、チェロナーの絞首刑を誓うのだった。
 このあたりは、本にもなっているようなので、詳しくはそちらを見ようと思うが、ニュートンはついにチェロナーの尻尾をつかみ、死刑台に送り込んだのだ。

Newton obtint son plus grand succès comme attorney royal contre William Chaloner. Celui-là était un escroc particulièrement retors qui s'était suffisamment enrichi pour se poser en riche bourgeois. Dans une pétition au Parlement, Chaloner accusa l'Hôtel des Monnaies de fournir des outils aux contrefacteurs, accusation qui n'était pas nouvelle, et il proposa qu'on lui permît d'inspecter les procédés de l'Hôtel des Monnaies pour les améliorer. Dans une pétition, il présenta au Parlement ses plans pour une invention qui empêcherait toute contrefaçon. Pendant tout ce temps, Chaloner profitait de l'occasion pour frapper lui-même de la fausse monnaie, ce que Newton arriva au bout du compte à démontrer devant le tribunal compétent. Le 23 mars 1699, Chaloner fut pendu et écartelé.

ニュートンが投獄した人数はじつに100人を超え、贋金づくりの摘発に大いに貢献した。
今日は頭出しの記事である。来年からは、またニュートンの研究について追ってみようと思う。学術的な部分もきちんと終えるように基礎をしっかりとしたい。

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 なんというか、印象や感情だけで書くのであるが、つまり当てずっぽうで書くのであるが、クリスマスは素直になる日ではないかと思う。
 ニュートン力学はなんというか、基本に忠実なイメージである。ニュートンの言葉を逆手にとると、巨人の肩にのって、縦横のディメンジョンをしっかりと基礎づけ、体系的にそして理論的に諸問題に対処していくのであるが、いうまでもないことながら、昨今ではこのいわゆるオーソドックスの方法では、解決がつかない場合が多い。
 しかし、ニュートンの生涯に目を転じてみると、実はとてもディメンジョンに忠実とはいえない。策謀をこらしたり、曲がりくねり、ディメンジョンを壊し、裏から手をまわし、、、晩年の錬金術にしても、ニュートンが一筋縄というか決して、縦横の軸がぶれないようなそんな学究者だったとは思えない。それでいて、ニュートンはプリンキピアのような体系的なものも書けるのだ。そして、それはアインシュタインを知っているからこそオーソドックスを感じるのであって、ニュートンだっていままでのパースペクティブを壊したに違いがないことである。

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<来年の宿題>
・ニュートン=フック論争
・ニュートン=ライプニッツ論争
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