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エスペラントの日

国際共通語として作られた人工言語のエスペラントの日。ザメンホフの誕生日だから、この日に利用者たちはエスペラント祭りをする。
 
 国際共通語だったら、学校で母国語よりもまずは、教えるべきではないかと思うのである。ちなみに世界で最も多くの人が使っている言語はなんといっても中国語である。次がスペイン語である。英語は3番手、しかし、インターネット上で使われている言語というと、英語が世界で最大となるようである。そもそも英語がわかりやすい言語だから広まったわけではなく、英語を使う民族が戦争が強かったから広まったに過ぎない。
 book の複数形はというとbooks となる。なるほど。では、footの複数形は、というと、当然、footsだろうと思うだろう。ところがfeetである。
つまりは方言みたいにいろんな言葉の規則が混じり合ってできているのが英語である。
 ザメンホフは比較的文法的に揺れの少ないラテン語を元にして、エスペラントを考えたという。

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今日はローマ皇帝ネロの誕生日である。
ネロは、紀元37年の12月15日に生まれ、68年の6月9日に亡くなった。
残忍な専制君主ともいわれ、また詩人とも云われるネロは、なにかと物議を醸す人物である。しかし、その予測不可能な人物象はいまだに魅力を放つのである。スエトニウスやタキトゥスといった歴史家が書いたものがソースであるので、注意深く読む必要があるだろう。なにせ死後40年も経って書かれた書物なのであるから。

Né le 15 décembre 37 à Antium et mort le 9 juin 68 à Rome, Néron est le cinquième et dernier empereur romain de la dynastie julio-claudienne. Décrit à la fois comme un despote cruel mais aussi un poète, Néron apparaît comme un personnage controversé. Toutefois, la personnalité imprévisible de l'empereur fascine toujours autant. Les sources à son sujet viennent principalement des récits de Suétone et Tacite, elles sont donc à considérer avec précaution, puisqu'elles ont été écrites une quarantaine d'années après les faits.
●controversé ... 論争の元となった

すったもんだの末、彼は皇帝になる。政治のことは、顧問に委任し、ネロ自身は遊興に身を任せる。59年に、ネロはお気に入りのポッペとともに、疎ましき母のアグリッパの殺害を企てる。この事件によって、皇帝の噂は地に落ちる。セネカがよくとりなしたのだが・・・。62年から側近のブルッスが死ぬと、新たな側近を求める。セネカは保身のためにそのポストを避け、ティゲリンがそのポストにつくと、彼は一連の裏切り行為を罰する法律を発布する。そして、ネロには跡継ぎがなく、愛人が妊娠した。すると正妻のオクタヴィアと離婚し、愛人と婚姻することにした。それで姦淫の罪で訴えた、オクタヴィアはネロとは反対に美徳のモデルであった。拷問もまったくきかなかった。でも結局、離婚は決定的になった、オクタヴィアの不妊症が原因ということだ。オクタヴィアは静脈を切り、自殺に追い込まれた。62年の6月9日のことである。

Lors de son règne, Néron a délégué les affaires de l'Etat à ses conseillers et a mené une vie de débauche. En 59, Néron, avec probablement sa favorite Poppée, aurait orchestré le meurtre de sa mère Agrippine. La réputation de l'empereur fut entachée par cet événement, bien que Sénèque ait tenté de le défendre. Des changements se font de nouveau au cours de son règne à partir de 62. Il doit dénicher un nouveau conseiller, puisque Burrus décède, et que Sénèque préfère abandonner son poste. Il le trouve en la personne de Tigellin, qui, dès sa nomination, promulgue une série de lois contre les trahisons. De plus, Néron n'a toujours pas d'héritier et sa maîtresse tombe enceinte. De fait, il décide d'épouser cette dernière et de divorcer d'Octavie. Pour cela, il essaye dans un premier temps de l'accuser d'adultère. Mais Octavie est connue comme un modèle de vertu, contrairement à Néron, qui était tout l'inverse. Même la torture de ses esclaves n'y fait rien. Le divorce est quand même prononcé, mettant en cause l'infertilité d'Octavie. Cette dernière se suicide, en s'ouvrant les veines, le 9 juin 62, provoquant des émeutes publiques.
●promulgue ... 法律を発布する

このような暴君ぶりなネロは、現代の作品によく使われる。
1905年のノーベル文学賞作家Henryk Sienkiewiczの小説「QuoVadis?」、やHubertMonteilhetの歴史小説「Néropolis」などの文学に現れる。マックス・ガロによって映画にもなっている「”アンチキリスト”の治世」、1951年にMervyn Leroyが、Peter Ustinovがネロを演じたものを含め、さきのHenrykSienkiewiczの小説も映画化された。 1956年にはステファノ・ステノによる「レ・ウィークエンド・ド・ネロン」もあり、ブリジット・バルドーが愛人ポッペを演じている。ジャン・ラシーンの演劇「ブリタニカス」のにも顔を出すかと思えば、コミックやビデオゲームにも出てくる。また、オペラにインスピレーションを与えた。1642年にモンテヴェルディの「L'incoronazionedi Poppea」、1879年にアントンルビンスタインの「Nero」、1924年にArrigo Boitoの「Nerone」、1935年にPietroMascagniの「Nerone」。最後に、ディスク書き込みのコンピュータソフトウェアにもにその名前が使われた。

La figure de Néron est souvent représentée dans les œuvres modernes. On le retrouve dans la littérature, avec par exemple le roman de Henryk Sienkiewicz "Quo Vadis ?", prix Nobel de la littérature 1905, ou encore le roman historique "Néropolis" d'Hubert Monteilhet et "Néron. Le règne de l'antéchrist" de Max Gallo.
L'empereur s'invite également au cinéma, où l'on peut voir différentes adaptions du roman d'Henryk Sienkiewicz, dont une en 1951 de Mervyn Leroy, avec Peter Ustinov incarnant Néron. Il y a aussi "Les week-ends de Néron" en 1956, de Stefano Steno, où l'on retrouve Brigitte Bardot jouant Poppée. Il apparaît au théâtre, comme dans la pièce de Jean Racine "Britannicus", et également en bande dessinée et jeux vidéo. Il a aussi inspiré des opéras : "L'incoronazione di Poppea" de Claudio Monteverdi en 1642, "Nero" d"Anton Rubinstein en 1879, "Nerone" d'Arrigo Boito en 1924 et "Nerone" de Pietro Mascagni en 1935. Néron a, enfin, même donné son nom à un logiciel informatique de gravure de disques, plus précisément baptisé "Nero".

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アンチキリストという言葉が出てきた。
ローマの大火をキリスト教徒のせいにされ、ネロがキリスト教を迫害したからだ。これは事実ではないとする説もある。そもそもアンチキリストが出てくるというメカニズム自体は、(あたりまえだが。。。)キリスト教と関係がある。イザヤ書には、”私がヤハウェであり、ほかにはいない。私は光を作り出し、闇を創造する。私は幸福をつくり、禍を創造する。主である私がこれらすべてを為すのだ”とある。人間の身に起こることは、善も悪もすべて神に由来するという考えは、いつの時代にも常に復活することがある。ユダヤ教では神は善性を擁護しようとし、サタンを登場させた。サタンという概念が、アンチキリストの伝承に結び付けられたが、それだけではアンチキリストたり得ないのだ。というのも、黙示録の役割としては、アンチキリストは人間でなければならない。黙示録とは、いわゆる終末論である。ニュートンが世界の終わりの日を算出しようとしたように、こうした終末論が席巻する中でアンチキリストがサタンから独立した。終末論は決定論的な歴史観を強調することで、破局→審判→応報というスキーマの中で、信仰者へのリテンションを強要するのである。これはエリアーデが、「歴史の恐怖」と呼んだ概念で、キリスト教のみならず、ほかの宗教にもみられるスキーマである。信者はそのスキーマの中で、神の計画に変更がないと諦観し、善のために喜んで苦難に耐えようと思いを強くする。(ニーチェがまさに噛み付いた発想である)苦難に耐えて個人と歴史を乗り越えようとするのである。一方でリクールによれば、神話と歴史を関連付けるイスラエル的な特徴があるという。まさに黙示録は神話を再び語る装置として歴史の中にたち現れる。そして、そこには、まずは冒涜があり、神を信仰する者の迫害があり、そして律法者でなくてはならない。
 ネロがアンチキリストとされたのは、彼が自らを神と称したからだ。これが冒涜にあたり、さらにはキリスト教徒を迫害したとされ、当然のことながら律法者であった。ネロは、68年に自殺をするが、それだけで話は終わらない。ネロの僭称者がたくさん現れてくるのだ。これは、ローマとエジプトの間で何度も繰り返される物語でもある。「西方に戦いがおこり、ローマからの逃亡者も帰ってくる、大きな槍を振りかざし大軍とともにユーフラテスを渡って、、、」

 実際の史実からいくと、もしかすると違うのかもしれぬ。ネロに全部罪という罪を乗っけてしまおう、なぜなら彼はアンチキリストなのだから。というキリスト教史による解釈は見直される日がくるのかもしれない。

エスペラントが流行らない構造とこのあたりのキリスト教による歴史観の根強さはなにやら似通ったものを感じるのは気のせいだろうか。

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<来年の宿題>
・アンチキリスト(ニーチェ)再考
・バーナード・マッキン著「アンチキリスト」
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ライティングソフトウェア Nero
使ったことはないが、よく見かけたソフトウェアだ。



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