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タイバニオタクの話を聞いてほしい

 前提として、いちオタクが感情のままに書いた拙文であること、自分だけの考えだということをご了承ください。FFさんだからとか、義理で読む義務は一切ありません。
 これは私がただタイバニが好きという感情に理屈をつけて自分語りを隠さず記述しているだけです。サブカルチャー、アニメの専門家でもないので「こういう一般ピーポーのオタクもいるんだなあ」とお思いください。

 タイバニを好きな気持ちを今、ヘタクソでも言わなくちゃ。

1.TIGER &BUNNYってなに?

   TIGER &BUNNY(以降、通称のタイバニと表記します)は2011年4月〜9月までサンライズ制作で放送された日本のテレビアニメです。それ以上でもそれ以下でもありません。
 以下、Wikipediaよりストーリーを引用します。    

 NEXT(ネクスト)と呼ばれる特殊能力者がこの世に誕生してから45年。大都市・シュテルンビルトには、スポンサー各社との契約下でその能力を駆使し、街の平和を守るNEXTによって構成されたスーパーヒーローたちが存在する。ヒーローたちの活躍は専用の特別番組『HERO TV』で中継され、その年の「キングオブヒーロー」の座を巡るランキング争いを続けていた。
 ワイルドタイガーこと鏑木・T・虎徹もその1人であり、デビューから10年と最盛期を過ぎて人気もないが、地道にヒーローとしての活動を続けていた。ある日、所属会社がヒーロー事業部の売却を行ったため、虎徹はヒーロー事業に新規参入を果たしたアポロンメディアに再雇用される。しかし、ヒーロー界初となるバディ・ヒーローという会社の方針により、自分とまったく同じ特殊能力を持ちながらも、まるで正反対の性格を持つスーパールーキー、バーナビー・ブルックスJr.とコンビを組むことになる。
引用元:Wikipedia

 いわゆる、特殊能力ヒーローものバディ要素ありです。ベテランながら成績は右肩下がりの中年ヒーロー虎徹が、ルックスも仕事も申し分ないが生意気な新人ヒーローのバーナビーとコンビを組むことに。初めは犬猿の仲だが、やがてコンビらしくなり人々を救うというストーリー。
 ここまであると割とあるあるだな、という感じですよね。
 オタクが既に市民権を得た2011年のアニメらしく、非常にわかりやすい設定である上、「虎徹=タイガーで、バーナビー=バニーだからタイガー&バニーね」というのは多少アニメを嗜む人間にはすぐにわかることでしょう。
 ただ、このアニメ何がすごいかというと細部がえぐい凝っているんです。じゃあその細部とは何ぞや、というのを次項で記述します。

2.ここがすげぇよTIGER &BUNNY

 キャラクターデザインが桂正和さんで、制作がサンライズ、キャストが豪華で…というのは調べればすぐに分かるので割愛します。

 今回の記事の前提として、拙者はコンテンツには「内容」と「形式」の二つの側面があると考えます。
内容はストーリーや設定など、まさに中身。形式はセリフ、演出やカット、構図など作品をかたどるものです。
 この考えは学生時代に文学を学び培ったものですが、「ふーんそういう考えもあるのね」くらいで大丈夫です。正直、私もよくわかっていません。

 この前提を踏まえ、タイバニのレトリカルな魅力を「内容」と「形式」、この二つに分けて記述します。

2-a.内容〜シンプルさと、描かれる感情〜

 一見すると勧善懲悪もののアニメ。しかしそうではないのがタイバニの魅力です。
 くどいようですが、ストーリーと設定は非常にわかりやすくシンプル。
 主人公の虎徹は正義感もあり、人助けが一番だと考えますが、相棒のバーナビーは活躍によるポイント稼ぎが一番です。しかしながら実は、バーナビーがポイントを稼ぎ、知名度をあげたいのには幼い時に両親を殺した真犯人を見つけ出し復讐する目的があることがわかります。お人好しの虎徹はバーナビーをサポートしようとするも、空振りもあり紆余曲折の侃々諤々。
 生意気だと思っていた後輩が実は暗い過去を持ち、目的があって行動していたこと。本当はお互いを信用したいと思いながらもなかなか上手くいかないコンビ。展開や設定がとにかくシンプルです。パターン化された、少年ジャンプやアメコミ系のヒーロー要素を必要分含んでいます。
 そのシンプルさが、少年もの、ヒーローものを好む層にフィットしたのではないかとも思えます。ちなみにアンチヒーローキャラも出てくるので、DCやMarvelのオタクにも響くかもしれませんね。

 ただ、タイバニがありきたりではなかったのは、いわゆる「テーマ」的な要素として、人間の感情が生々しく描かれたからだと思います。
 ネタバレになるので核心には触れずに書きますが、タイバニにはたびたび「差別」が登場します。まず、舞台となるシュテルンビルトという街は三階層に分かれていて、富裕層は一番上のゴールドステージ、中流層は二段目のシルバーステージ、低所得層などそれ以外は最下層ブロンズステージに住んでいます。(ゲーマーであれば、FFⅦのミッドガルをイメージするのではないですかね)
 ちなみにバーナビーはゴールドに住み、虎徹は田舎に実母、実兄と娘をおいてブロンズに単身住んでいます。虎徹は妻の友恵と病のため死別していますが、今も友恵を愛しています。 

 このシュテルンビルトがゴッサムシティかよと思えるほど治安が悪いのでヒーローは日々仕事に追われるわけですが、シュテルンビルトの明らかな階層の違いについて、誰も何も言わない。それがむしろ恐ろしく思えます。日々犯罪は起こるし、見えない格差、そして差別が存在する街なんです。(もちろん格差と差別は異なるものですが、差別については一話目から描かれます。シュテルンビルトという舞台の特徴として今は主張させてください)
 物語が進行していくたびに、描かれていくのが「NEXT差別」です。NEXTとはある日唐突に目覚める能力で、自分の意志で得られたり失ったりできる力ではありません。どんな能力であるかも人によって異なり、NEXT能力者にとって能力を持つことはいわば不可抗力なのです。

 話を拡大させますが、現実でも生まれた土地・環境・容姿・性別そのほか不可抗力によって定められたことで、「自ら望んだわけでもないのに」差別される場面がいくらでも起こりえます。抽象的な言い方にとどめますが、タイバニにはそんな「人が人を『差別する』ことで起きる悲劇」がいくつか描かれます。タイバニの悪役にも差別や抑圧を受けた背景があって…と因果もありけり。
 勧善懲悪になりきらない要素を持ちつつ、主人公を含むヒーローたちは「それは間違っている」と真っ向立ち向かうのがまた心強い。
 
だからこそ視聴者である私たちも、シュテルンビルト市民もヒーローを信じたくなるんです。

2-b.形式〜無駄なことなんて、一切なかった〜

「僕はバニーじゃない、バーナビーです!」
「ワイルドに吠えるぜ!」
「僕の人生の3分をあなたが無駄にしたこと、一生忘れません」
「お前、まつげ長えんだな…」

 タイバニといえば有名なセリフがいくつかあります。上記は一部ですが、次回予告もタイバニのファンなら外せないセリフがあります。
 次回予告は毎回、主人公のうちどちらかが行うのですが「タイガー&バーナビーの○○(好物などキャラクターの小ネタを挟む)の方、□□(虎徹かバーナビー)です!」が決まり文句。虎徹であれば決まり文句の前に「どうも!」と挨拶し、決まり文句と次回予告、次回タイトル(毎回、英語表記のことわざや慣用表現)を拙く言い、バーナビーであれば挨拶は「Hi!」、流暢な英語で次回タイトルを言って「See ya!」と締めます。

 また、ネタバレしたくないので引用できるセリフが少ないのですが、次回予告含めタイバニのセリフ群には「一切の無駄がない」と感じます。
 タイバニに限ったことではないかもしれません。
 またここで、前提となる持論ですが、「無駄」と「無意味」の定義に拙文ではやや差異があります。「無駄」は文字通り無駄なもの、不必要であることを指します。一方「無意味」はそれ自体に意味はないが、その配置にすることで効果を発揮することを指します。その言葉、その演出でなければならない場合にはたとえ「無意味」であっても「無駄」ではない、という考えです。

 ユニゾンのファンである私は唐突にユニゾンの話をしますが、ユニゾンの歌詞は「無意味」だとしても「無駄」がありません。2021年における“Nihil Pip Viper”をお聞きしたことがあれば、あの曲において耳からスパゲティ以外はあり得ないし、茶を沸かすのは肘しかないと感じられるのではないでしょうか。(ユニゾンファン向けになりますが。)
 蓋然性合理主義の意味を知らなくても、その単語があの歌詞で歌われることに、一部の人間には大きな効果があります。

 歌にはリズム、音程、曲の長さなどの制約があるように、アニメには尺を始めCMとの兼ね合い、次のシーンまでの残り時間など放送時間と話数による制約があります。アニメとはその制約の中で無駄を削る必要があるコンテンツです。(と、拙者は考えています。)
 冗長ではいけない、言葉少なでも状況や心情を説明することも必要でしょう。具体的に、私が無駄がなくレトリカルだと感じたタイバニの名ゼリフを一つ引用します。

「久しぶりのお姫様抱っこですね。ちょっと太りました?」
(第10話におけるバーナビーのセリフより)

 虎徹が敵との戦闘中、鉄橋から落ちたところを遅れて到着したバーナビーが助けた際のセリフ。数々のオタクの屍を生み出した、オタクキルの一言です。
 コンビ結成前の第一話、虎徹はバーナビーにお姫様抱っこされ助けられるシーンがあった上で上記のセリフですが、このセリフからバーナビーが虎徹に冗談を言えるほど心を許し始めていることや、犬猿の仲だった二人が相棒を助けることは当然と変化し始めたことが見られます。(もちろん、拙者の主観でしかありません。)

 セリフだけではなく、落ちる虎徹を助けるバーナビーという位置関係は、最上階ゴールドステージに住むバーナビーが、最下層ブロンズステージに住む虎徹を上へ引き上げるという位置移動の構図にも当て嵌められる、と考えます。シュテルンビルトにある、見えない差をこの二人は無視することなく縮めていくのです。2-aで記述した内容面だけではなく、形式面でも社会の負の側面に立ち向かうヒーローの構造、深読みオタク殺しです。

3.タイバニを見て、冬。

 これだけ熱く語っておきながら実は私、リアタイ勢ではありません。タイバニ放送時は中学3年生でしたが、当時は「なんかアメコミぽいアニメやってる」くらいの認識でした。バーナビー役の森田成一さんのファンだったこともあり、見ようかなと興味をもった頃の2011年10月、TOKYO MXで再放送が始まりました。記憶があやふやですが、中学生だったのは確かなので自分はこの再放送を見ていたのだと思います。
 当時同じクラスだった友人の証言では第一話を見た翌朝私は、教室にてスクールバッグを机に叩きつけるなり「やばいアニメ見たわ…」と言ったのだそうです。よく覚えているものだ。

 無駄のないセリフ、カッコ悪いけれどちょっとカッコいいヒーローたち。そして、ポップなイントロと共に爽やかな歌声が響く最高のオープニング。
その高揚感も、引き込まれていく感覚も全てが自分にとっては空前絶後でした。
 その後私は見事バーナビーのオタクになり、ユニゾンに一目惚れし、それまで好きだった文学に加えてサブカルチャーや音楽の詞も学びたいと考え、しゃにむに勉強するのですが、私のことはどうでもいいのでこのぐらいにしておきます。
 もちろん、拙文でタラタラ記述したことを当時15才だった自分が同じように感じたかというと、そんなことは全くありませんでした。「やばいカッコいい」は感じていたけれど。

 ただ、第一話を見たあの夜は、間違いなく何かが変わった夜だった。

 私は今年でバーナビーと同じ、そして“オリオンをなぞる”がリリースされた時のメンバーとも同じ、26歳になります。人生まだまだだけど、四半世紀は生きた大人です。それでもタイバニに夢中になったあの時を、人生のターニングポイントだと今でも、そしていつまでも思うのです。

 着地点がふわふわしていて己の拙さを嘆くばかりですが、もしここまでお読みくださった方がいらしたのであれば、ありがとう、そしてありがとうございます。
 かくしてまたストーリーは始まること、空前絶後のアニメと新曲。ここで終わるはずがなかった!全部全部、楽しみましょう。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。それでは、See ya!

 

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