見出し画像

からほりまちアートepisode3

からほりまちアートに関わる中で色々な人と出会ってきた。
改めて、どんな人がいたかどうか振り返ってみたい。

画像1

はじまりを作った人たち

からほりまちアートのはじまりを作った人たち=「からほり倶楽部」立ちあげメンバーである。からほり倶楽部のメンバーには建築家、不動産屋、地元住民などがいて、立ち上げた2000年ごろは“空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト”という名称だった(からほり倶楽部の愛称になるのはもう少しあと)

からほり倶楽部が開催した物件見学会に訪れた若者が、「富山県の“坂のまちアート”みたいなことが空堀でもできそう」の一言から2001年から始まった。初回は“からほりアートイベント”だった。その若者が後の実行委員長のAさん。この人がいなかったら「からほりまちアート」は開催されなかった!!

私が初めてからほりまちアートに関わったのは2002年で、その年に“からほりまちアート”という名称になった。(第2回のとき)そして、運営スタッフとして関わるようになるのが、2006年の時なので、その頃には状況が変わっていたけれども。

第4回(2004年)にからほりまちアートは、実行委員会制となり、実質からほり倶楽部の中心メンバーは運営からほぼ退いている形になったようである。
空堀の地元の方は運営側にはおらず、地元の方々に対しては「場所をお借りする」ような間柄、ニュアンスで接点があったなぁと感じる。

ちなみに、地元の方の認識としては、空堀も京都と同じく、3代住んで地元の人間、という考えが根強いまちでもある。

スタッフ経験者に聞いてみた

ちなみにスタッフメンバーの職種は、建築士、不動産屋、会社員、雑貨店オーナー、ギャラリーオーナー、学生、デザイナー、アーティストなどなど、当時の年齢も10代から60代とバラエティあふれるメンバーで、アートやまちに興味があって何かやりたい人がこうもたくさん集まったものだと思う。

もちろん、イベント当日スタッフ1回、1日だけとか、1年だけスタッフやってみた、とかの人もいてて、きっと再会しても、「誰だっけ?」となる自信はあるけれども(笑)
私も20代半ばから30代という時期に色々な方々との出会いと関わりは今も大きな糧となっていて、財産だなあと思う。

ちなみに毎年発行している「記録集」に記載されていた運営スタッフの名前を合計すると、約170人の人が関わっていた!(延べ人数ではなく純粋な人の数)

画像2

出展アーティスト

からほりまちアートの主旨に賛同すれば誰もが出展者になれ、公募で募集していた。(最初の頃は、空堀のギャラリーに紹介してもらったり、アートイベントでスカウトしてきたというエピソードも!)

出展者の中には空堀に居住している人や空堀のギャラリーで展示をした経験がある人、美術系の学生(高校生や大学生、専門学校生)、学校の先生や働きながら作家活動をしている人、建築家やランドスケープデザイナーの他に作家活動をしたことがないけれど、からほりまちアートをきっかけに「何か出してみよう」と思った人などもいるなど、こちらもスタッフに負けないぐらいバラエティある人が集まった。
その中で仲良くなった出展者さんも結構いて、個展を見にいったり、遊んだり色々したな~

画像3

これも「記録集」「マップ」で振り返ると、
展示ジャンルは、平面・立体・インスタレーションなどいわゆる「美術」「アート」「工芸」の分野のものが中心で、変わったところでは、町屋リノベーション(オープンハウスのようなもの)や研究調査発表、音読などもあった。
10年間で平均60組が出展していた(最大第3回の91組)。

地元の人との関係

展示場所として提供をしてもらっていたけれど、場所によってはお断りされることもあった。土地の持ち主が必ずしも空堀に居住しているとは限らず、アーティストが「展示したい」場所と「展示できる」場所がずれていることもあり、マッチングは難しかったな~と今も思う。

ちなみに空堀の3つの商店街は後援団体になっていて、ポスター掲示をさせてもらえるところは結構あった。
他に協賛企業として関わってもらっている店舗や企業もあった。この辺りは、本当に対個人のお付き合いでもあったので、お願いに行くスタッフには頭が下がる思いだった。

画像4

いっぽうで、まちの人が勝手に作品を展示する「ゲリラ展示」として、
自宅などの前で自主的に作品展示等を行うまちの人もいて、関わり方としては「ゆるいつながり」という印象でこれが面白くて遊びに来ている人もいたぐらい。

画像5

からほりまちアート以後のハナシ


からほりまちアートが終わったあと、多くの人が空堀から離れて自然とまちともまちの人とも離れていった。
いっぽうで、一部の人は、空堀住み続ける、空堀に引っ越した、空堀で何か活動を続けて人たちもいる。その人たちは、今もまちと関わりを持っている。

からほりまちアートをはじめた“からほり倶楽部”も2011年に若手にバトンタッチし、これまでとは違う角度の企画が生まれている。
他に、町会の役員になったまちアートのスタッフもいる。地縁組織の町会をうまく利用した企画「〇〇町会のフリーマーケット」「みんなで歳末夜警に参加してみる」など、じわじわ空堀新住民ムーブメントも起こっている。

「ゼロ年代」の空堀はからほりまちアートがムーブメントだったかもしれないけれど、「10年代」は違った動きになってきた。
そして、まもなく2020年、そう「20年代」を迎える。からほりまちアート開催期間から時がたち、空堀の人口構成も、マンションの数もどんどん増えている。

画像6

もはや、修論のためにまとめた2012年よりもまた状況が変わりつつあることを痛感する日々。

サポートいただけると大変うれしいです! 空堀のお店に貢献するために使いたいです。