見出し画像

からほりまちアートepisode5

からほりまちアートでは「やりたいことはやってみる」スタンスだったように思う。

画像1

中寺町もエリアにしよう!

当初決められていた(正しくは決めた、のだが、私がからほりまちアートを知った時点で決まっていたから)からほりまちアート開催エリアの南側
「中寺町」という寺町で、千日前通りの北側の高津宮にかけてお寺が並ぶ寺町の通りである。

この中寺町が、からほりまちアートが第6回である2006年から開催エリアとなった。私が関わり始めた段階で既に決まっていたので半分聞き書き。

きっかけは単純に中寺町のいくつかのお寺や高津宮と親しいメンバーがからほりまちアートの運営に関わっていたから。
エリアを広げた初年度は、いくつかのお寺と高津宮で作品を展示していた。ところが、エリアが広がると管理がとても難しい。全ての作品を見たい来場者もそこまではいけないという声もあった。

画像2

しかし、せっかくお寺や高津宮とつながったのに次の年から断るのはもったいない、そこで思いついたのが「時間帯をずらしてはどうか?」と言ってみたら、それがそのまま採用され、第7回からほりまちアートから、からほりナイトクルージングが始まった。


ナイトクルージングのはじまり

「開催時間帯をずらすことで空堀も中寺町も楽しめるようにする」ことになり、1日目の夜、つまり2日間の開催期間のあいだ、ということで中夜祭、ナイトクルージング企画が生まれた。

灯篭企画は芸術系の学生スタッフからの提案で、最初の話では、学校関連のイベントでインスタントコーヒーの空き瓶を使った灯籠だった。運搬や物理的に集めること、置き場などを考えると難しいかな?という感じだった。
たまたまテレビで照明デザイナーが温泉地でペットボトル灯篭をやっているのを見たのを思い出し、ペットボトルの灯籠はどうか?と発案し、みんなに受け入れられた。

キャンドルは、からほり倶楽部代表理事のツテから、大阪城ライトアップイベントであまったキャンドルを大量にもらえたのでそれを使うことに。(某ろうそくメーカーさんのものなのでとても立派)7〜9回まで持つぐらいの量。

灯籠の絵は、幼稚園や保育園の子ども達に描いてもらった。子どもや保護者などに来てもらえることを狙ってのこと。
また、空堀のまちなかでは音を出す企画が難しかったが、お寺をステージにすることで様々なライブ、朗読、ダンス企画などを行うことができ、幅広い層の関わりにつながった。

画像3

まちのスペースを使ったイベントや展示

商店街の鰹節屋さんが修景事業でお店を改装されたときに、倉庫スペースを貸しホールとして運営されており、当日、この場所をお借りし、着物好き、古物好きスタッフがあつまり、昔懐かしいレトロルームを作った年、巻物のような年表を作った年、インスタレーションの作品展示に使った年など同じ空間を様々なことで活用させてもらった。
同じ場所の写真を並べてみると面白い

画像4

画像5

画像6

まちを巻き込むアートづくり

商店街など地縁組織との良好な関係なくしてからほりまちアートは成立しない。けれど、地元の方は「若い人が何かやっている」程度にしか見てもらえない。これは、10年目になっても課題であった。
まち全体がお祭りのような参加している感の出るような企画として、商店街にアートをつくり「プレイベント」的に1週間ほど前から展示をする、という企画が生まれた。作品は「各店舗オリジナルデザインの張り子提灯」を作り、飾ってもらう。約100店舗が協力してくれ、提灯づくりがはじまった。
この提灯は最終の年に作られたが、その後、しばらく飾ってもらえ、つぶれるまで数年間飾ってくれているお店もいくつかあり、久々に空堀を訪れたスタッフから「うれしい」の一言があった。

画像7

画像8

画像9

画像10

2019年現在、今も提灯が吊るさせている店舗が数店舗ある。アーケードの中だから雨ざらしにならないからかな。(この大鶴さんも2019年末に閉店した)

画像12


「かみおはきもの」で発見!

画像11

他にも2021年夏現在

画像13

画像14

駆け抜けてきた後半5年間

振り返れば失敗したこともあったけれど、
色々な人に来て欲しもらいたい、
まちの人たちにからほりまちアートを気づいて欲しい
という想いでそれぞれが工夫し、考え、続け来られたように思う。

サポートいただけると大変うれしいです! 空堀のお店に貢献するために使いたいです。