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聖徳太子まち旅 亀の瀬コースレポ

聖徳太子まち旅は、聖徳太子1400年忌に向けたマイクロツーリズムの企画である。私が関わるオープン台地実行委員会が実行委員(協力団体)に入っており、また個人的にSNS発信のお手伝いをすることに。

2021年1月現在は、モニターツアーということで、関係者や極少数の希望者のみで行われ、本開催に向けて動きつつあるという状況。

聖徳太子について

聖徳太子という呼び名はなくなってから付けられた名で、生前は厩戸皇子(うまやどのおうじ)という名であった。

第30代敏達(びだつ)天皇3年1月1日(574年2月7日)に、第31代用明天皇の第2皇子として生まれた。母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后。推古天皇のもと、蘇我馬子と協力して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなどして進んでいる中国の文化・制度を学び冠位十二階や十七条憲法を定めるなど大王(天皇)や王族が中心である中央集権国家体制の確立を図ったほか仏教や儒教を取り入れ神道とともに信仰し興隆に努めたと言われる。622年薨御。

聖徳太子は四天王寺に法隆寺・・とお寺を建立した人ということと40年ぐらい前の1万円札の肖像になっていたぐらいは知られている??

飛鳥・奈良時代の天皇の家系図みたらものすごく近親相姦でびっくりする。(異母/異父きょうだいで婚姻関係とか普通にある)

亀の瀬と聖徳太子

大阪府柏原市と奈良県生駒郡三郷町を結ぶのが「竜田道」である(いくつかの竜田道があり、せんぶまとめて竜田古道とも呼ばれている)。かつて聖徳太子が大阪(難波宮)から奈良(斑鳩)を馬で走るときに通ったとされている。河内~大和を結ぶ大和川が亀の瀬石という大岩のあたりで急流になっており、陸路を余儀なくされたこともあるともいわれる。この竜田道、天皇や貴族も通っていた由緒ある道で、日本最初の官道なのだが、これまでほとんど注目されてこなかった。

日本遺産に認定

柏原市と三郷町が共同で申請していた「龍田古道と亀の瀬」が2020年に日本遺産として選定される。もう、すべらせない!!~龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ~で登録されている。

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【まち旅】河内堅上駅到着

2021年1月17日開催。
緊急事態宣言のため、現地へは関係者のみとなった。

JR大和路線に乗り、久宝寺で普通に乗り換え、柏原を過ぎ、高井田を出ると急に田舎の雰囲気に。ローカルな雰囲気残る車窓が続き始める河内堅上(かわちかたかみ)駅で集合。

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ここで、ガイド役の柏原市立歴史資料館館長の安村さんやまち旅実行委員関係者と合流する。河内堅上駅は、ホームに沿って桜の木が植えられており、春は鉄道と桜吹雪が美しく、鉄道写真好きの方がたくさん訪れるとのこと。

駅舎もレトロな感じ

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昭和の地滑りによって線路が川の対岸に移設するための鉄橋の掛け方が、短期間の工期で復旧するため、川に垂直になって掛かっているというエピソードも。

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【まち旅】亀の瀬と地すべり

亀の瀬は古代より地すべりが起こると言われているエリアで、記録に残っている明治以降もたびたび地すべりが起こるため、現在、大和川河川事務所では地すべりが起こらないように日々監視している。大和川河川事務所管轄の亀の瀬地すべり資料室は、地すべり仕組みや歴史、現在の技術について模型や写真で紹介されている。

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この後向かう亀の瀬岩や亀の瀬の風景、竜田道など古代の風景をイメージするため、四天王寺大学の先生による聖徳太子の頃の時代背景や舞楽「蘇莫者」に関するレクチャー動画の視聴と現在作成中の復元絵画(亀の瀬岩で踊る蘇莫者と笛を吹く聖徳太子)を確認。

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とはいえ、またしても古代から離れるが
地すべり対策用排水トンネル工事の際に見つかった旧大阪鉄道亀瀬隧道の見学へ。天井には蒸気機関車が走っていた“すす”で黒くなっているなど明治時代の鉄道風景が思い起こされる。

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【まち旅】亀の瀬岩

再び、古代のイメージを頭に入れなおし、改めて、亀の瀬橋から「亀の瀬岩」を眺める。言われてみれば亀に似た姿をしている。

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亀の瀬橋の近くには竜王社があり、このあたりが河内(大阪)と大和(奈良)境目で、ここで大阪方面から来た船を降り、竜田道を陸路で歩いたのち、また大和側の船“魚簗船(やなぶね)”に乗り換えていたそう。

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【まち旅】竜田峠を歩く

竜田道の峠を歩いていく。標高を高い所に行けば眺望も臨めそう。峠越えだということでそれなりに覚悟していたが、思った以上に標高が高くない。天皇を輿に載せて歩くため、歩きやすい道を整備したと言われている。(寒さでスマホの充電がとぎれとぎれになっていたので写真がない)

途中で峠八幡神社にも立ち寄った。ここは、江戸期の神社なのでそれほど古くはないそうな。

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【まち旅】大和国へと

竜田道を歩くと、いつの間にか県境を超えていて、三郷町に入っていた。その途端に住宅地が現れる。
もう一度、大和川に出る。
竜田越えした後は、再びここから大和国側の船(魚簗船)に乗る。近くには、竜田の関を示す関地蔵もある。万葉集には聖徳太子が竜田越を詠んだ歌も残っている。

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他に、歌にまつわる石碑は、線路沿いの磐瀬の杜も。こちらは聖徳太子ではなく鏡王女の歌。

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そして、無事、JR大和路線三郷駅に到着!

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結構なハイキング。健脚コースではないか…

【まち旅】おまけのお弁当

三郷町のデリ”very good table”さんのお弁当はおいしかった。

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