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からほりまちアート epilogue

からほりまちアートに関するepisodeのまとめ的な位置付け(本編まだ終わってない)

私がからほりまちアートの運営に関わり始めたのが2006年、2007年~副実行委員長に。社会人になってからの20代の大半がまちアート漬け。

反省点が生かされない

からほりまちアートの当日が終わると、反省会をする。色々な意見が出る。来年はこうしたい、ああしたい、色々でる。

その割には、消化不良じゃない?

確かに改善されているところや見直したこと、たくさんある。でも本質的には反省したことが活かされているか、というと活かされていない。確かに効率的にはなっているけれど、準備期間が半年近くあり、長すぎるがゆえに、長くスタッフとして関わる人が増えれば増えるほど惰性が起こっているのでは?

どうすれば解決できるだろう???

最初は真似事から

ある年に大学生がからほりまちアートを卒論に書きたいからと、運営にも関わりつつ、出展者へのアンケートを取っていた。あ、それ試してみようと思って、アンケートを取ってみた。

しかし、アンケートの活かし方がわからない。日中は一応仕事もあるし、たとえ暇でも仕事中にアンケートをにらみ続ける心の余裕がない。そもそも、そのアンケートって何のためにやってた?

もう少し腰を据えてしっかりとやらなければならないのでは?
ってか、研究ってどうやったらできるんだ?

仕事辞めてみるってどうなん?

ここは大学院などに進学して、ちゃんと指導された上で、研究をしてみるのもいいかもしれない。材料は目の前にある、現場もある。有意義な30代を迎えるためにも、それもアリではなかろうか?

アトリエ系設計事務所に勤めて5年以上経ち、30代も目前。所長もいい歳になってきて、いつまでもここで働いていられるわけではない。その上、仕事は暇なのに事務所に拘束されるし、1級受からんし、仕事ではやらかし…

一方でまちアートでは、みんなが必要としてくれて褒めてくれる。うれしい、うれしいんだけど、ほんとうの私はどこにいるんだろうか??

という風に、仕事との両立がめちゃくちゃしんどかった

そこで、当時一緒に活動していたからほりまちアートのメンバーに相談したところ、即「自分の恩師の先生を紹介する」と言ってくれたのだけど、どういうタイミングで会うもんなん?と思いつつ。とある機会でお会いすることができ、全然受け入れOKみたいな感じだったので半分拍子抜けた記憶がある。

改めて進学を決意!

その後、親にも話をして、進学のサポートの承諾も得た。あと少し親には世話になるのは半分申し訳ないと思いつつも。。。

そして、その後のからほりまちアートの事前ミーティングで、第10回で終わりにしようという話になる。
ほっとした気持ち半分、えっどうしようという気持ち半分だった。これから研究することが正解なのか不正解なのかわからなくなる(笑)

それでも、大学院にはその次の年度の2011年4月に進学を果たす。

ちょうど3月に東日本大地震が発生し、専門家として何ができるか、何をすべきか、の議論まっただなか!
(このエピソードもまた書きたい)
そんな中で研究を手伝ってもらうのも気が引けて、ひとり黙々とヒアリングしながら考えていた。研究の中の「普遍性とは?」に苦しめられる。
そんなこんなで大学院では、研究以外のプロジェクトを回す必要もあり、運悪く2年ほど人気のないゼミだったこともあり、後輩が育てられず、手一杯だったなぁ。そういう意味では求められた研究ができたかというと、出来たとは言い切れないのが苦しいところ。

とりあえず現状は、研究で得たものはこのnoteのマガジンには活かされているww

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