2020/05/13



存在すら認められていないけどそこにある。そもそも自分のことさえも良くわかっていないのに人のことすらわからないのは当たり前のこと。仏教は欲を捨てろという。究極を言えば生きたいと願うことさえ執着と同義だ。でも、今小さな命の死を目前にして毎夜涙が溢れてくる。いや死なないかもしれない、弱っているだけかも。死ぬなんて縁起でもないこと、口にした瞬間から現実になりそう。死神なんて自分の中に巣食ってるんじゃないの。

この世は死で溢れてる。こんな思いをこの世界で何万人も同時多発的に突きつけられているのが現在だ。お上の茶番なんて本当に馬鹿馬鹿しい。なぜ人の痛みがわからないのか。人の痛みがわからなくてもなぜ想像しようともしないのか。その時点で犯罪者である。この世は人災で溢れてる。今この世は地獄である。なぜ誰もそう言ってくれない?なんで偽物の平和にまた戻ろうなんてするの?当事者として考えられないのは人間の悪い癖だ。ああこうして格差はまた開いていくんだ。多くの人は知っていて理解したフリをしていて格差社会は良くないと言って危惧するフリをして見て見ぬ振り。それが何千何万といるから成り立っているこの世界。まあ私もその一人なんだけど。

私のちっぽけな手でちっぽけな脳で一体何ができる?全て自分のことしか考えられなくて自分のことで毎日毎日うなされてるなんてまあ結局それが人間というものでこの呪いから逃れられないのである。だからと言って社会貢献だとか幸せを生み出したいとかそんな薄っぺらい言葉で体を取り繕って結局嘘塗れの人生じゃないか。綺麗になんか生きられるはずもないのになあなあにして嫌なことを三歩歩いた鶏のように忘れかしこぶってなんとなくちゃっかりおちゃらけるのが我が人生である。諧謔だ。おちゃらけだ。嘲笑は全てを打ち消す。悲しみも悔しさも、そこにある全ての繊細な心を霞ませる。


本当にもう自分がやっていることが分からなくって泣きそう。
わかりやすいものに逃げたい。でも表面的な言葉の中で見えなくなってしまうものがたくさんあることを痛いほど知ってるし、私はそこからこぼれ落ちるものに寄り添っていたい。自分だけが知っているものは、彼女だけが知っているものでもあるんだ。わからないものがわからないままに共生する世界であって欲しい。正解なんて言葉は数学に使うだけで十分である。






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