物語は続く⑤~八冠誕生、そして豊島先生は変わらず前進する

10月17日A級順位戦

久しぶりに対永瀬戦勝利となったA級順位戦。解説の人が「ほとんど受けの手を指してない」「人の指す手じゃない」と感嘆したようにひるまず「前に前に」攻め続けた豊島先生のカッコ良きこと。連日続く八冠誕生報道、王将リーグの敗戦に少しもやもやしていた気分が一気にすっきりした。

これで名人挑戦への視界が開けてきた。難敵のナベ先生、永瀬さんを撃破、初参戦で勢いのある勇気さんにも後手番で勝利した。独走しながら後半に失速して、前代未聞の6人のプレーオフにもつれこみ力尽きた過去の経験を活かして何とか名人挑戦を勝ち取って欲しい。とにかく藤井八冠との対局が見たい。藤井さんが八冠になってしまった今となっては、(一般棋戦を除き)タイトル戦の挑戦者になるしかないのだから。

将棋の真理を追究する伴走者

この事実が豊島先生のギアを一段アップさせている。豊島先生の今のモチベーションもタイトル奪取ではなく、藤井八冠との対局そのもののような気がする。そして対局を熱望しているのは藤井八冠も同じではないかと思う。「印象に残る対局」で自戦他戦問わず挙げるのはいつも豊島先生の対局。(本当にぶれない)自身の対局でよく言及されてたのは昨年の王位戦第五局。豊島先生の研究が炸裂した第1局、お返し、と言わんばかりの第2局。第3,4局もさしずめ角換わり研究発表会。第5局も角換わりだったが、それまでと違って「今日はちょっとゆっくり(新しい可能性を探りながら)いきましょうか?」と阿吽の呼吸で互いにじっくり時間を使って考えながらの対局となった。解説の人からも「やっと落ち着きましたね」と微笑がもれた。藤井八冠は「このシリーズは自分の中で角換わりの理解が一段深まったシリーズで、特に第五局は一手一手考えながら指すことができた」と、いつもは負けた対局の反省をあげることが多い藤井八冠が、珍しく自身の対局に満足したようなコメントをしている。2022年の中で印象に残ったタイトル戦や対局の質問に、最年少5冠となった王将戦や盟友とのタイトル戦が初めて実現した棋聖戦、または挑戦者の綿密な作戦に初めて7番勝負で2敗を喫した直近の竜王戦を挙げるのではないかと予想していたマスコミは、「王位戦」や「王位戦第5局」と言われて少し以外だったのではないだろうか。そう、藤井聡太は将棋に関して忖度などしないのだ。少し前、将棋フォーカスで角換わりの可能性(AIの結論で「角換わりで後手番は終わった」みたいな特集)について棋士たちにインタビューをしていたが、藤井八冠と豊島先生はAIの結果に懐疑的で、「人が指す将棋の可能性」に言及し、やはり2人は根源的に将棋に対する考え方が似ているのだと興味深かったし、AIに精通しながらも「人の可能性」を信じる2人がたのもしく、うれしかった。

2年前の竜王戦を特集したNHKスペシャル、「第4局が終わった後思ったことは竜王獲得の喜びではなく、第4局の続きでした。棋は対話なり、と言いますが、相手の指し手の意図を一手一手必死に考える。純粋な将棋の楽しさを豊島九段と共有できたことは幸せな時間でした」藤井八冠が優しい表情で語る。(返し、豊島先生)これまた限りなく穏やかな表情で、「もっと考えていたかった。考えている時間がとても心地よかった。自分が正確に指せていたら、もっと続いていたのに、終わってしまったことが残念でした」……まるで相聞歌ですね。

八冠になって藤井さん自身や他の棋士のモチベーションが下がり、ファンも藤井一人勝ちはつまらなくなって将棋人気もそのうち覚めるのではないかと危惧されているが、少なくとも前半は全く当たらない。藤井さんにとって八冠が目標でないことは将棋ファンなら誰でも知ってるし、他の棋士にとっても今はチャンスだ。予選に藤井さんは登場しないのだから。4強を中心に同じようなメンバーばかりがタイトル戦に登場していた数年前までと違って、出口さん、大地さん、伊藤さんと続々若い人が挑戦に名乗りを上げた。またかつてタイトルをとったが近年少し停滞していた広瀬さんや菅井さんも挑戦者になり、勢いの若手とはまた違い、実力通りの接戦を繰り広げて新たな将棋の魅力を伝えてくれた。棋士の皆さんに言いたい!ご自身は結果がすべてかもしれないけれど、負けても人(将棋に関しては全く素人でも)の心を動かすのがあなたがた選ばれた棋士(特に挑戦者)なんですよ!レーティング的にももはや殿上人みたいな藤井八冠はとりあえ下界からは消え、ほっとした市井に生きる人達の新たな戦いが始まる。悲観することも卑下することもない。誰が昇ってきても「盤を挟めば肩書など何の関係もない」と将棋の魅力の究極を知る八冠がいつでもにこにこ待っている。

天彦先生が「天才は孤立する。藤井さんを孤立させてはいけない」と語っていたがそれは幸い杞憂かもしれない。実践的なパートナーの永瀬さんとはこれからもVSを続けるだろうし、藤井さんの将棋真理追究世界線の傍らには、今も前進を続ける豊島先生がいるのだから。

藤井さんが全冠制覇しようとも、今日も変わらず棋界は回り、物語は続いていく…。

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