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心理士のキャリアのためのPX(サイコロジカルトランスフォーメーション)人材のすすめ

数人の心理士の方から、「将来のキャリアイメージについて悩んでいます。べとりんさんの意見を聞きたいです」という相談をもらった。

最近の私は、株式会社ソラハルさんのところで心理士の労働環境まわりについての講義(↓1個目の動画)をやったり、「精神分析の歩き方」の著者の山崎さんとラジオ配信(↓2個目の動画)で話したり、以前私が書いたnote「労働者としての心理カウンセラー」がなぜか日本臨床心理士会の発行雑誌の中で言及されたりと、色々なところで発信していたので、相談をもらったのだと思う。(その後、臨床心理学 増刊14号に「データから見る心理職の賃金と雇用形態」という名前で寄稿している。)

私自身は心理士ではないし、臨床心理学を修めた身でもない。が、元々オンラインカウンセリングサービスのCTO(最高技術責任者)をやっていたのもあるし、心理業界については、俯瞰した見方を持っている方だと思う(山崎さんなど、何人かの心理の専門家の人にそう言われた)。なので、おそらく私に期待されているのは、「あなたは今の心理業界はどう見るか? 今後の心理業界はどうなっていくのか? どうすれば生き残れるか?」という観点での答えだろう。毎回口頭で答えるのも面倒なので、ここに私の意見をまとめておく。

「心理士」は、カウンセリングだけをやる人ではない

2021年3月に、厚労省の事業による公認心理師の活動状況等に関する調査の報告書が出た。事業の目的に「公認心理師の効果的な活用...(中略)...に関する分析を行い」と書いてあるだけあり、「公認心理師に今後期待される役割」についての示唆が豊富なレポートとなっているのが特徴である。特に第12章の「考察と提言」では、公認心理師のキャリアについての具体的な提言が書かれており、個人の心理士にとってもかなり参考になるだろうと思う。

この資料では、公認心理師の業務を基本業務展開業務の二つに分類している。

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日本公認心理師協会「公認心理師の活動状況等に関する調査」 p193
(カッコ内に示している数字はその活動を行っている公認心理師の割合)

報告書には「心理専門職は、心理的アセスメントや心理支援に焦点を当てるがゆえに、展開業務へのエネルギー配分が不充分となる傾向があった。このたび国家資格となった公認心理師は、来談した個人にとどまらず、そこで生活するすべての住民を対象とする必要がある。少なくとも多職種と連携してチームを作り、すべての住民へのアプローチについて検討することが求められる。(p193)」という記述もある。公認心理師という資格の位置付けから考えても、心理支援(カウンセリングを含む)だけでなく、展開業務を担える人材を増やしていきたいというのがこの報告書の執筆者陣の思惑としてあるのではなかろうか。

給与や待遇的な面から見ても、「展開業務」は重要である。報告書では「心理専門職としてどのような業務内容にどの程度の収入が対応するかの検討(p204)」がなされているが、提示された仮説によれば、月給と業務範囲にはおおまかに関係があり、展開業務ができる人ほど月給が高い。

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日本公認心理師協会「公認心理師の活動状況等に関する調査」 p205

また、「非常勤勤務では基本業務が中心となり、常勤勤務では展開業務への広がりがみられる傾向(p196)」があるという。

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日本公認心理師協会「公認心理師の活動状況等に関する調査」 p196

「専門技術だけの人」の価格帯 ーITエンジニア業界との類比ー

このような概況を確認すると、「心理的アセスメントや心理教育などの基本的なスキルを身につけた上で、展開業務ができるようになっていくこと」が給与を上げていくために重要である、と思われる。

私の生業であるITエンジニアも、ほぼ同様の傾向がある。私の観測範囲内の話ではあるが、開発者としての基礎的な技術力を身につけた上で、他の能力を掛け合わせで身につけると、給与帯が急激に増加する。

最近、地方の小規模なWEB制作会社でメンター業をやっているが、後輩エンジニアのキャリア相談に乗る時は、必ずと言っていいほど、オカダヤスヒロさんのnoteで公開されている図「プロダクトマネージャー・スキルチャート・ヘクス」を見せている。

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オカダヤスヒロ(岡田康豊) プロダクトマネージャーに必要なテクニカルスキルを定義してみた話。

プロダクトを作る上で必要な6つの能力領域「Dev(開発)」「Design(デザイン)」「Growth(サービスの発展・運用)」「Business(ビジネスモデル・経営戦略)」「Domain Knowledge(業界知識)」「Project Management(プロジェクトの管理)」を定義し、それのレーダーチャートとして個人の能力を考える。

オカダさんによれば、メンバーのグラフを比較することで、理想のチーム編成を考えることにも役立つという。

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オカダヤスヒロ(岡田康豊) プロダクトマネージャーに必要なテクニカルスキルを定義してみた話。

1つのプロダクトを作るためには、これらの6つの能力全てがチームに必要なわけだが、小規模なチームにおいて、領域ごとに一人ずつメンバーを雇うことはかなり難しい。一人増えることに、コミュニケーションコストや教育コストがかかるからだ。「デザインができる人を新しく1人雇うくらいなら、開発もデザインもどっちもできる人に2人分の給与を払ったほうが遥かにコスパが良い」という事態がしばしば起こる ※1。

また、領域をまたいで指示を出すことは非常に難易度が高い。心理の専門家でない人が心理士に指示を出すことが難しいのと同様である。私が以前勤めていた企業でも、1〜2時間コードを書けば自動化できるような業務を毎月10時間以上かけて手作業でやっている(しかも毎月時間も人手も足りないと嘆いている)、というケースがしばしばあったが、その業務をやっている人にIT知識がない場合、「そもそもそれがIT技術で解決できるものだという発想すらない」のである。その領域の技術的な専門性が高いほど、その領域に詳しくない人には、その領域の人に正しく仕事の指示を出すことができない、という事態がおこる。※2, ※3

これらの事情により、私がフリーランスエンジニアとして仕事を探した時の肌感だが、「開発(dev)もプロジェクトマネジメント(Project Management)もできる人」は、開発の技術力が同じくらいでも、給与が「開発(dev)だけできる人」の価帯の2倍くらいにはなる。加えてGrowthもBusinessもできて4領域かカバーできる、となると、年収1千万も超えてくる、という状況になってくる。

私の予想ではあるが、心理業界もこれと全く同じことが起きているだろう。ほとんどの上司にとっては、「そもそも心理士がどこで/なんの役に立つのかすらわからない」のであり、指示を出すという発想すらないケースが多い。上述の展開業務が常勤者に偏っているのも同様の理由であろう。非常勤の仕事の多くは、上司によって「切り出された仕事」である。展開業務の中にある「マネジメント」や「組織内の関係者への支援」を仕事として切り出すのは非常に難易度が高い。組織内の関係性の問題を「切り出す」能力とは、それこそ、心理的アセスメント能力のことであり、心理士の固有能力である。※6

PX(サイコロジカルトランスフォーメンション)のすすめ

上述のような意見もまとめて、私に相談してきた人には、若干のネタを込めて、「DX(デジタルトランスフォーメーション)ならぬ、PX(サイコロジカルトランスフォーメンション)人材になりましょう」という回答をしている。

すでにバズワードと化したDX(デジタルトランスフォーメーション)であるが、基本的な思想としては、「IT技術が当たり前になった世界で、それを前提としたビジネスモデル・組織構造に変えるべき!」というものだろう。

例えば中国の地方都市などでは、(ほんとかどうか知らないが)紙幣を扱うレジが普及するよりも先に、QRコードを用いたスマホによる電子決済が普及したために、「ほとんどの店は電子決済のみ対応であり、現金を使うと嫌がられる」という事態が起こったという。「IT技術が当たり前になる」とはそういうことだ。「はじめから電子決済が当たり前にある世界」では、余計な手間がかかる上に、一台あたり数万もする現金用のレジなど誰も買わないのである。

それと同様に、PX(サイコロジカルトランスフォーメーション)とは、「心理についての知識や技術が前提となった世界」を作る思想と定義できる。

分かりやすい例としては、モチベーションクラウドなどのHRテック業界がある。常に社員の心理的状況を計測・把握し、それに基づいて組織のマネジメントや改善を進めるシステムだ。

つまりは、「心理についての知識や技術が前提となった世界」において、あるべき組織構造や仕組みを想像/定義し、それに近づけるように様々な職種や領域と連携/横断しながら、今の組織や仕組みを変えていくため、プロジェクトを実行/推進できる人材のことをPX(サイコロジカルトランスフォーメーション)人材と呼ぶことができよう。※4, ※7


なぜPX人材がいないのか? -大学教育批判-

先の報告書を読む限りでも、国の指針として、単にカウンセリング(心理療法)ができる心理士ではなく、多職種と連携しつつ、多くの人にアプローチできる心理士を増やしたいのは明らかである。にもかかわらず、なぜPX人材はいないのだろうか? ここから先は若干余談になるが、なぜPX人材がいないのかについての私見も述べておこう。

私が知り合いの大学教員から話を聞く限りでは、ここには現在の心理士の大学(院)教育が心理療法一辺倒であり、展開業務のスキルについてほぼ全く教育がなされないという問題があるようだ。

これには、大学という領域が、他の心理士の活動領域とかなり異なったルールで動いているという事情があるのではないか、と私は考えている。一言で言えば、医療分野や教育分野と異なり、大学だけが「努力して、その領域(ディシプリン)の中で、一目置かれる技術を身につければ、良い待遇・報酬が得られる」という徒弟制度の原則が生き残っているからではないか、と予想しているのだ。

再び「公認心理師の活動状況等に関する調査」を見てみよう。この報告書には分野ごとの給与状況が記載されている。まず保険医療分野の常勤者の月給の分布を見てみよう。

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日本公認心理師協会「公認心理師の活動状況等に関する調査」 p98

常勤等の月給の額は、 20-25万円が最頻値である。経験年数10年以上になっても波形に大きな変化はなく、20-25万円が最頻値なのも相変わらずである。

次に、大学の給与分布を見てみよう。「大学」という領域は統計になく、私設心理施設の人などと一緒になって「その他の分野」というカテゴリでまとまっているが、なんとなくの傾向は掴める。

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日本公認心理師協会「公認心理師の活動状況等に関する調査」 p98

20万円以下にピークはあるものの、10年未満と10年以上で波形が明らかに異なる。経験年数10年以上では、保険医療分野では4%しかいない50-100万円/月の人数が、全体の約1/4を占める。

このようなデータから推測するに、大学は「心理療法のスキルなど、"心理専門職としての技術"を極め、それで成功してしまった人たちが率いている集団」なのではないか。そして、下の人たちにとって、その領域内で主導的立場を持つ"偉い人"に従い、認められ、地位をあげていくことで、それなりの報酬を得られるという期待が維持されている集団なのではないか、という予測が立つ。

「目上の人が利権を所持しており、目下の者は、目上の者に従うことで利権の恩恵を受けることができる」という形で報酬を配分する構造は、徒弟制の基本的な原則である。中世では、「親方」が街に工房を持つ権利などの基本的な利権を独占しており、弟子は、親方に認められることでその恩恵を得られたという。「親方」に認められることで、次の親方になることができ、利権を引き継げるのである。給与帯だけからの推測ではあるが、大学は、心理士の職場にしては珍しく、配分できるだけの「利権」が生き残っている場所なのだ。

一方で、保険医療分野のなどの現場では、このような利権構造は崩壊している。メンバーを包摂できるだけの十分な「利権」の席はなく、席は詰まっており、上に登り詰めたところで大した報酬がない

そもそもとして、病院で働く心理士の多くは、上司が心理士ではないことも申し添えておこう。全国の医療機関を対象にした調査「公認心理師の養成や資質向上に向けた実習に関する調査」によれば、「⼼理職が雇⽤されている医療機関のうち、雇⽤⼈数が 1 ⼈のみの施設が 29.2%、2 ⼈のみの施設が 20.1%であり、全体の半数を占めていた。常勤⼼理職に限った場合、24.3%の施設では常勤者が 0 ⼈であり、28.7%の施設では 1 ⼈のみであった(p33)」という。組織の中に心理士のポジションが1人しかいない中でいくら頑張ったところで、そもそもとして「昇格先」として狙えるポジションがあるのかすら怪しい。

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「公認心理師の養成や資質向上に向けた実習に関する調査」(p33)

そのような状況で、心理的なスキルさえ高ければ、待遇が良くなると考えるのは、いささか頭がお花畑であると言えるだろう。現場の心理士は、同じ領域の格上の人ではなく、別の領域の人に認められなければならないのである。※5


つまり、私が言いたいのは、大学と現場は異なるルールで動いているらしいということである。大学は「心理専門職」としての技能を高めることが自分たちの役割であると考え、立派な「心理専門職」になることがクライアントのためにも個人の成功のために重要だと考えている。一方で、多くの現場では、心理専門職としての技能を高めるだけでは不足なのだ。それはIT技術には強いけども、業務のことやマネジメントのことは何もわからないITエンジニアのようなものである。適切な業務を持ってきてくれるパートナーがチームにいればいいが、いない場合は、ほとんどのチームにおいては宝の持ち腐れ、もしくはただの置き物と化す。

現場ではPX人材が求められているにもかかわらず、大学教育が遅々として変わらない理由には、このようなズレがあると考えている。個人のキャリアを悩む心理士の方におかれては、「専門技術だけの人」ではなく、領域を横断し、心理的なスキルを生かせる課題を自ら発掘し、動ける人を目指すのがいいだろう、と私は思う。

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※1 たとえば、同職種が10人もいるような大規模なチームでは当てはまらない。その場合は、同職種内でそれぞれの専門性を高め、分業する方が重要である。だが、心理士の場合、「同じチームの中に心理士が5人いる」みたいな状況は極めて稀であろう。

※2 余談だが、ITエンジニアの肌感としては、基本的に「技術に詳しくない人からコンサル的な要素も含めてまとめて依頼を受ける」ケースが一番儲かる。が、あまり良いお金の使い方ではないので、知り合いの企業には、できれば組織内部にITに詳しい人を入れ、せめて外注する前にその人に依頼内容を整理させることをおすすめしている。

※3 その領域の技術的な専門性が高いほど、その領域に詳しくない人には、その領域の人を正しく評価したり、採用したりすることができない、ということも申し添えておこう。以前、心理士が一人しかいない職場で現任の心理士が辞めたために後任の心理士を探そうとしたが、上司が心理士のことが何もわからないために求人票を作れない、という話を聞いたことがある。結局は、辞める心理士が求人を作る役割を押し付けられたらしい。

※4 この記事で深入りするつもりはないが、この世に存在する心理的な問題のうち、いわゆるカウンセリング(≒ 1対1の心理療法)がベストな解決策であるケースなど1%もないというのが私の基本的な主張である。端的にいえば、現在の心理療法は労働集約型すぎるからだ。実際、アメリカの主要メンタルヘルス企業のほとんどはマインドフルネスアプリや心理教育コンテンツなどの企業に占められている。全ての人に浅く広くメンタルケアを提供しつつ、どうしてもシステム的にカバーできない課題にのみ、専門家が1対1で対応する、という形になるだろうし、今明らかに市場価値が高いのは、個別ケースを拾える実働者ではなくて、多くの人のメンタルを広く浅くケアできるシステムを作れる専門家である。

※5 ・・・と書いたものの、実際には心理士の採用や評価は「知り合いの心理士に紹介してもらう」などの方法を取っている場合も多いようだ。「専門職は専門職にしか評価できない」という原則に則った適切な対応と呼べなくもないが、単に「評価不能」なポジションに留め置かれているだけという気もする。

※6 サーバーの障害の問題を調査できるのはITエンジニアであるのと同じであろう。特定の専門領域の観点に基づいて解くべき課題を特定できることが専門能力なのであり、課題を特定できれば、半分は解決できたようなものであることが多い。

※7 めちゃめちゃ余談だが、山崎さんとのラジオでエヴァンゲリヲンの話をした時に、僕の世代の人からエヴァを見ると、「そもそもとしてシンジ君をあんな環境に放り込むな、環境調整しろ」という直感が最初に来て話に入り込めない、という話で盛り上がった。この感性の変化がまさにPXだと思う。ゲンドウはあれだけの野望を抱き、巨大なプロジェクトを進める力はあるのに、プロジェクトの主要なリスク要因であるはずのシンジやレイのメンタルについては全くといっていいほどケアしておらず、結果的に計画をひっくり返されまくっている。現代の感性からすると、マネージャーとしてプロジェクトの管理をやっていれば、部下やステークホルダーのメンタルやモチベーションがプロジェクトを破綻させる主要な要因であることは常識であり、プロジェクトマネジメントの教科書を紐解けば、数章分の紙面がこのテーマに割かれている。旧エヴァの時代から比較すれば、心理についてケアするのが当たり前でしょ?という感性は、徐々に広がりつつあるのだろうと思う。



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