心理シは市場の倫理と融和せよ
心理業界の友達と飲み屋で話していた話。
主張
しばしば臨床家は、いわゆる「ビジネス的な態度」を臨床的な倫理観に欠けた姿勢とみなしている
同様に、市場取引の多くの場面において、普通のビジネスマンや利用者から見ると、心理シという民族は「基本的なビジネス的倫理観に欠けた相手であり、取引が非常にしづらい相手」になりやすい
「市場の倫理」と「臨床の倫理」は異なる2つの倫理体系である
しばしば臨床家は、「臨床の倫理」を「市場の倫理」の上位の倫理体系だと見なすが、社会のほとんどの場面において、「市場の倫理」の方が「臨床の倫理」よりも身近であり、支配的である。
心理シが市場で評価される(=お給料がもっともらえるようになる)ためには、「市場の倫理」のことを再評価すべきである。少なくとも「臨床の倫理」と並列くらいには見なすべき。
具体例
「市場の倫理」の1つとして、正直であることや契約尊重がある。「取引の際には、何を交換するのかをすべて明示せよ」(商品の内容について後出しするな)ということだ。
一方で、臨床の倫理においては、それが患者(あえて患者と書く)の健康につながるならば、患者を騙すことは推奨される。
祖母が障害者手帳取る時、本人なりのプライド? で嫌がってたんだけど、お医者さんが「本当はこれくらいの障害で手帳は取れないけど、お金とか色々得になるから、僕が特別に裏ルートで取らせてあげる」(嘘。普通に手帳取れるレベルで体動かん)と言ってくれたら俄然乗り気になってた。上手いな〜。
— 鴫嶋の宗教へようこそ (@kamozi) April 4, 2024
かつて(今も大部分の場所ではそうかもしれないが)、クライアントがカウンセリングを「購入する」場合、カウンセリングという商品が一体何なのか、クライアントは事前にほとんど何も知り得ないのが普通だった。例えば、セッションの中で何をやるのか? カウンセリングを何回やるとどの程度の症状の改善が見込めるのか? などは多くの場合事前に全く説明されない。それどころか、契約締結時点ではカウンセラーが誰なのかもわからず、カウンセラーのプロフィールや顔写真なども非公開であるのが倫理的であるとされてきた。
書籍「市場の倫理 統治の倫理」の中で、非常によく似た議論が出る。Amazonレビューに非常に良いまとめがあったので抜粋。
道徳や価値にも2つの根本的に異なる体系があり、しばしば矛盾すると指摘します。
・市場の倫理(たとえば誠実)
暴力を締め出せ/自発的に合意せよ/正直たれ/
他人や外国人とも気安く協力せよ/競争せよ/契約尊重/
創意工夫の発揮/新奇・発明を取り入れよ/効率を高めよ/
快適さと便利さの向上/目的のために異説を唱えよ/
生産的目的に投資せよ/勤勉なれ/節倹たれ/楽観せよ/
・統治の倫理(たとえば忠実)
取引を避けよ/勇敢であれ/規律遵守/伝統堅持/
位階尊重/忠実たれ/復讐せよ/目的のためには欺け/
余暇を豊かに使え/見栄を張れ/気前よく施せ/
排他的であれ/剛毅たれ/運命甘受/名誉を尊べ
(中略)
常に同じ規範で動かなきゃいけないというのは幻想であって、ワンプレイヤーとして一患者と向き合う時には、かなり市場の倫理に寄っている一方、精神科救急や社会保障としての活動をしている時には統治の倫理に寄っている、と。そこでもやもやしているのが現在の自分なのかな、と思いました。
心理の世界に限らず、医者や看護師など、医療の世界全般において、このような倫理観の対立はある。
最近の心理業界の転換
ここ数年くらいで、心理業界においても、「市場の倫理」を重視する言説がだいぶ目立つようになってきたと感じる。
例えば自分が読んだ中だと、東畑開人「臨床心理学の社会論的転回」や山崎孝明「精神分析の歩き方」の中では、心理療法を「ユーザに提供するいちサービス」として捉えなおす視点が色濃く押し出されている。
Twitterでも、心理シの労働環境を改善するにはという文脈で、「ユーザの需要」に合わせて心理業界の姿を変えていかないといけない、という主張を非常によく見るようになってきている。
心理職の需要と供給問題は、
— utatane (@utatane1943) April 3, 2024
「心のケアをしたいという人はたくさんいるけれども、心のケアを受けたいという人はいない」(小西聖子先生)だと思う。更に、面接室で面接がしたい心理職と心理療法以前のニーズを抱えた人たちとの間の溝を自分の足で埋めようとしないこと。決して需要がないわけではない。
このように、大きな変化はみられるものの、「市場の倫理」が「臨床の倫理」に匹敵する一つの倫理体系なのだという認識にまで至っているかというと、そこまでは到達している人は多くないように感じる。自分たちの給与を上げるためには、臨床の倫理を捻じ曲げなければならない時がある、くらいの認識で生きている心理シがほとんどではないだろうか。
市場の倫理の再評価
例えば、ユーザがカウンセラーのプロフィールや顔写真を見比べながら、カウンセリングを申し込む相手を選べるようになる、という変化は、臨床の倫理においては後退に見えるが、市場の倫理(特に、消費者倫理)においては前進であろう。消費者庁から見れば間違いなく「健全なサービス」に近づいているに違いない。
今後の心理シ業界には、「市場の倫理」も、社会に広まっている「善さ」の一つであることをきちんと受け入れていく態度が求められていくのではないだろうか。
例えば、日本のビジネスマンの中では、インド人は「自己中心的で一般的な契約の概念が通じない人々」として知られ、契約相手としては敬遠されがちだが、市場取引という文脈の中では、心理シもしばしば「市場の倫理観に欠けた存在」とみなされているように思う。これは正社員として心理士を採用しようとする時などに顕著にみられる。
もちろん、臨床の倫理を主張し、守ることは大事である(組織の中で臨床の倫理を守れるのは臨床家しかおらず、臨床家が果たすべき役割であろう)。しかし、「臨床の倫理」に固執するあまり、「市場の倫理」を「臨床の倫理」に劣った存在とみなす姿勢や、ビジネスマンを倫理観に欠けた存在とみなす姿勢は、市場における心理シの立場を貶める結果にしかならないだろう。
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