あけましたの

2021年になって早7日目。

元旦は、ぬるりと起きて、新しいコンタクトレンズと新しい歯ブラシで背筋が伸びる気持ちになってみたけれど、炬燵にそんな思いを全て飲み込まれて結局ダラダラと過ごす祝日になった。

それでも、今は1人暮らしではなく夫婦暮らしなので、話し相手がいる。私は、人と話すことで怠惰な気持ちが少しは行動力に変わるようだ。おかげでポストに入っていた年賀状の返信を書いたり、スーパーで買った伊達巻や黒豆を食べたり、夕刻近くには近所の神社に初詣に行ったりと正月らしい行事には乗っかることができた。

3日頃までは、のらりくらりと静かに過ごし、4日・5日は休みではあったものの各々の作業をしたりZOOMでMTGをしたりとすこし仕事モードになっていった。でも、元旦からの記憶が早くもぼやけてしまって、もうわからない。

6日から、旦那さんは出勤して終電近くまで残業をするという日常に戻った。

私はというと、家で細々とたまっている作業を淡々とこなしたり、飽きたら家事をしたりと精神的に落ち着いて過ごしている。直接的な研究は進んでいないのに、間接的な研究作業はぐんぐんと進んでいる。出来たことが何か一つでもあれば生産性があったと自分を褒めていればいいよね。きっと。

私が落ち着いている一方で、残業をこなしながら転職活動を行っている旦那さんはやつれている。まるで私が精神的なゆとりを吸い取ってしまっているような、ありもしない罪悪感を感じるほどに。


ありもしない罪悪感は炬燵が溶かしてくれるから問題はないのだけれど、旦那さんの残業と転職は私の手に負える問題ではないのがもどかしい。そもそも私の問題ではない。彼が勝手に残業の多い会社に入って、それを打破しようとしているだけに過ぎない。それでも、やっぱり私は苦しい。苦しいのは私の問題だ。

結婚すると幸せは2倍とはよくいったものだけれど、「幸せ」の対義である「苦しみ」も同じ感情なだけあって2倍であるということなのか。それでも、この苦しみは独身時代に感じる苦しみとはわけが違うように感じる。結婚したおかげで、とりあえず夫婦一緒に過ごすことは確約されているという点では安心感が強い。よって、今は確かに苦しいけれどこの苦しみは明るい未来のための踏み台であると思うと大したこともない。

希望がある!なんて素晴らしいのだろう。

将来に対する漠然とした不安は無限に見つけられる。それでも、一人ではない今は希望を見出し続けることを強いられている環境に置かれている。

笑う門には福来たるよのように、無理矢理に前向きな未来を想像して行動して引き寄せの法則を実行するかのような環境が今だ。

結婚してよかった。おかげで苦しみさえも愛おしい。



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