少女都市からの呼び声 感想と考察

安田章大さん主演舞台、少女都市からの呼び声の自己解釈と感想です。
文章作成時点で複数回観劇していますが、勘違いしているセリフなどあると思います。

あくまで自分の気持ちの整理用に書きなぐったものです。

ほとんど誤読なんじゃ、と思いますし、私は文章を読むのが好きですが書くのは得意ではないのでめちゃくちゃな文章でも大丈夫な方だけ読んでくだされば幸いです。

正解も不正解も、まだわからないところも、こうして一人で思いを馳せて考えている時間自体がとても好きです。

冒頭、有沢に対する「愛している者は?」「親友は?」という田口に関する質問
どちらも回答は「わかりません」
有沢目線で、どちらも自分かもしれないしそうではないかもしれないという意味での「わからない」
有沢は田口の親友なのか、愛している者なのか。同時に有沢にとって田口は親友なのか、愛している者なのか。

田口は以前有沢に「僕とフィアンセのどちらかを選ぶようなことがあったらどちらを選ぶか」とたずねて、2人は肉体関係もないのにバスを乗り過ごすほどもじもじしていた。とあったように、田口からの有沢へのきもちは明白で、有沢は婚約者と男友達を天秤にかけさせられて選べない程度には田口への気持ちがあった。
有沢が自覚していたかについては、薄々わかってはいるけど確証が欲しい。といったところで、同性なこともありそれを前提に話を進めて勘違いだったらと思う気持ちからか、同性だし…異性の婚約者がいるし…という迷いからかもしれない。
少なくともそれは終盤で有沢の胸のわだかまりくらいわかると言うビンコに「あのひとが女じゃない限り私を選ぶ」といわせるほど逆に言えば「あの人が女性なら私を捨てるかも」という気持ちにさせるものだったと推測できる。

夢の中でオテナの塔を目指す老人や連隊長たちがでてくるけど、オテナの塔をこの世に存在できなくなった者、亡くなった人が行き着く場所だとするなら、三日三晩田口は生死を彷徨っていたからあの世界にいたのでは。
「帰らねばなるまい」「男ってかえるのがすきね」「カエルが鳴くから帰るなら〜」と終始帰るという言葉が使われている点から、胎内回帰願望あるいは生寄起帰のようなものがテーマのひとつとしてあるように思えます。

田口の夢の中でも特に印象に残る人物、フランケ醜態はその名前の通りフランケンシュタインとかけられていることを前提として、フランケンシュタインの物語を調べると

「生命の創造に魅了されたヴィクター・フランケンシュタインは盗み出した死体を使い化け物と錬金術を駆使して理想の人間を創造する。怪物の醜い容貌に絶望したヴィクターは研究所を放棄する。
怪物は山の中を彷徨い盲目の老人のもとで教養を学ぶが、老人の家族に見つかり追い出されてしまう。
追い出された怪物は川で溺れた少女を救けるが、襲っていると勘違いされて銃で撃たれる。
怪物は研究所へ戻りヴィクターを探すと、ヴィクターの弟を殺して、自分の伴侶をつくってほしい。願いが叶えば人間の前に姿を現さないと依頼。
しかしヴィクターはその約束を破り創造を放棄。
それに怒った怪物はヴィクターの婚約者や友人を殺す。ヴィクターは復讐のため北極圏へ向かったが、海に落ちて深刻な肺炎になってしまい命を落とす。それに絶望した怪物は自ら命を断つと約束して北極圏に旅立った。怪物のその後を知るものは誰もいない」

私はフランケンシュタインの物語をしらなかったが、これを読んでほぼフランケ醜態と連隊長では?と思った。
フランケ醜態は喘息で、肺炎ではないものの症状が近い。
連隊長が「北へ向かう」と言っていること怪物が北極圏に旅立ったこと、また、フランケ醜態の「自決するつもりでありますね!?」というセリフからも連隊長が自殺しようとしていたことがみてとれて、北の地で自殺という点が一致。
初めは満州事変で爆破されたのが南満州鉄道で、鉱物がとれたとされるのが満州の北側だったことからかとも思ったのですが、フランケンシュタインとの関係性の方がしっくりはきます。
伴侶を欲しがったことと雪子の婚約者であったことに関係があるようにも取れるし、田口が雪子にいわれて雪子の首を絞めているときにフランケ醜態に殺人鬼だと冤罪をかけられ、「それはお前じゃないか?」と返す場面も、怪物が少女をたすけようとして襲っていると疑われて銃で撃たれたという点に酷似している気もする。
先に亡くなったのがヴィクターで、それに絶望したのが怪物なら、ヴィクターが連隊長で怪物がフランケ醜態でしょうか。(フランケ醜態が連隊長に「私の親は連隊長あなたであります」というシーンもあるので)

フランケ醜態と連隊長が怪物とヴィクターに関係する何者かであったとして、その2人と田口はどう関係するのか。

共通点として感じたのは、田口も怪物も孤独を感じていたんじゃないかというところ。
同性愛者への偏見の目は今よりずっと厳しかったのではないかと思うし、家族もおらず好きな人は婚約者と結婚目前。
私なら自分はずっと1人で生きていくんだろうか?と考えるし、自分が有沢に愛されるような綺麗な女性ならばと考えると思う。
フランケンシュタインにつくられた怪物も、自分の醜い容貌のせいで誰にも受け入れてもらえず親であるフランケンシュタインにも見放される。
フランケンシュタインの後を追うと言ったという怪物のその後を誰も知らないことから、もしかするとそもそも死体から出来上がった怪物は死ぬことができなかったのかもしれない。
フランケ醜態も「生きることも死ぬこともできない」と口にするし、後を追うこともできないままどこかで彷徨い、自分が普通の人間と同じような容貌ならばと絶望しているのでは?
そしてフランケンシュタインと同じように理想の生命(雪子)を作り出そうとしているのではないかな。

夢はその人の深層心理から作り出されるともいうし、そう言った共通点から夢の中で出会い、同じように綺麗な姿を求めたり、「いつの日かわれるからだを恐れる子」という雪子を指した歌詞とは真逆の死ぬことのできない存在であるために雪子に憧れたりしたのかもしれない。

ちなみに劇中「オテナの塔」を「乙女の塔」と呼ぶ場面があって、満州事変に関連する「乙女の碑」に関連があるのではと私は考えています。

田口と有沢の話に戻り、田口は夢の中では雪子をすぐ怒鳴りつけたり、フランケに喧嘩を売ったり、現実の田口とは別人のように気性が荒く、時代の流れにそぐわぬ表現をすると「男性的である」と感じます。
これは田口自身が「男らしくなくてはいけない」と自分を責めたからなのか、本来田口はあぁいった性格で、好きな人の前でだけ猫を被っていたのかわかりませんが私個人は前者かなと。

また、田口は有沢に婚約者がいることで孤独を感じていて、田口と一心同体ともいえる雪子もが知らぬところで婚約者を作ったことで癇癪を起こしたと解釈してます。

「必要だと言って欲しかったのね」と雪子が言うように、田口は誰にも必要とされないのならせめて自分は自分や自分の恋心を認めてあげたかったのかもしれません。
でも田口は心の底の部分で自分を認めてあげられていないから雪子にも必要だと言ってもらえない。

そんな孤独から逃れるために田口の人生を産まれられなかった妹である雪子に譲ろうとしたのかな。
死ぬことができない怪物が雪子に憧れたように産まれることができなかった雪子は生きているものを毛嫌いしているようで田口を通して憧れるようになっていく。

雪子が産まれられなかった理由はわからないけれど、愛を知らず「必要、不必要」という言葉を使うことから雪子視点で自分は不必要だから産んでもらえなかったと思うような状況だったのかな?

雪子にたりなかった三本指は「勇気」「情熱」
「約束→田口自身の身体」
これを田口が有沢への恋心を成就させるのに必要なものだと認識しているのであれば、結局のところ勇気と情熱があっても、結婚の約束をしていても、田口の体を手放して雪子が生きるのであれば有沢と一緒にいられると思ったんじゃないでしょうか。
ビンコ曰く、「あの人が女性じゃない限り私を選ぶ」とのことなので、婚約者がビンコであっても性別という課題さえクリアできれば有沢に選ばれるのは自分だと言う気持ちがあったのかも。

田口の劇中歌も「帰る場所がない子にカエルはなんてなくんだろう?」って言ってて、田口は有沢に恋をして、でも有沢には女性の婚約者がいて、天涯孤独で、帰れる場所がないということかなぁ。

そして実際に雪子が有沢の元に現れると、有沢は田口(雪子)の口から自分を好きだと言わせようとする。

それまで田口の中に雪子の髪があることである意味で一緒に生きていた2人だったけど、手術で髪を切り離されて別の人間とされて、オルゴールの中に入れられて思い出になる。
田口に自分への恋心を持っていて欲しい有沢はオルゴールから髪を取り出して田口の上に置くけれど、ビンコにとじこめられて蓋をされた雪子。田口の恋心も同時に蓋をされて、切なそうに恋心を隠してビンコに「2人はいつ世帯持つんですか?」とたずねる。そのときビンコさんもビー玉をしまったビンを田口から見えないように隠している。

その言葉を聞くともう有沢はそれ以上追求しようとしなくて、どこかがっかりしたようにも見える表情で田口から離れる。

一方田口はもう雪子のいないはずのお腹を痛そうにかかえていて、これは田口が有沢を好きになったのは田口の中に妹という女性が存在したからというわけではなくて、確かに男性である田口が有沢を好きだったということなのではないかなぁ。
勇気と情熱の指をもったままだった田口、勇気と情熱を川に捨てて有沢の指をもらおうとした雪子。
田口が欲しかったものは有沢からの愛情で、雪子が欲しかったものは誰かからの愛情なのかも。結局有沢が好きなのは田口だから雪子は満たされない。

割れたガラスの破片がさっきまではたしかにビー玉だったように、割れたら雪子は雪子でないように、失恋した田口はもう恋をしているとはいえなくなってしまう。

フランケ醜態と同じ顔の子供が笑いながらビー玉を投げてビー玉が流れ落ちるのは、誰からも必要とされなかった似たもの同士の雪子と自分自身を嘲笑って、雪子と田口、この世に存在できなかった者の涙がビー玉で表現されてるように私は感じました。
生まれて、生きていても自分を肯定できない、存在を否定してしまうことはある意味でこの世に存在できていないともいえるのではないかなと。

最後にビンコが蓋を開けるのは、もう開けてしまっても有沢を奪われることはないとおもったからなのかなぁ。

全体を通して私自身も夢の中にいるように思う舞台でした。

個人的に好きなシーン、これから観る方に注目して欲しいと思うところですが

・冒頭の有沢の看護師との会話。質問とその受け答えで有沢のどっちつかずなもやもやした感情が現されているようで、同じ解釈でなくても有沢が田口をどうおもっているのかという点を知るのなら注目したい場面。それを表現している細川さんのお芝居が素晴らしいです。

・乞食たちの演奏がおそらく田口の夢の始まりと終わりのBGMのような大正琴の演奏で、初めて見た時にかっこいいなと圧巻でした。
私自身が小学生の頃雅楽部で琴を演奏していたこともあり、何度見ても目を奪われる場面です。

・夢の中の田口と現実の田口の違い、「いつ世帯持つんですか?」という失恋の言葉の時の安田章大さんの表情や声色。感情の引き出し。いつ世帯〜のセリフと表情はあまりに悲痛で胸が痛みました。怒りの表現、哀しみの表現、痛みの表現、諦め、驚き、男性的な凛々しさと女性的な可憐さの共存、喜怒哀楽ではたりない表現の幅には意図せずとも注目してしまうと思います。

・子宮虫さんたち可愛い。明るい内容のお話ではないですが子宮虫さんたちには癒されます。

・老人たちの理由を明確に言い表せない切なさ。お芝居を音や視覚だけでなく匂いや温度で感じました。「なんてジメジメした陽気だろう」言葉の通りなんだかじめーっとした空気を感じるんですよね。ミラノ座がジメジメしているわけではないです、雪子の歌の場面ではひんやりとした空気を感じました。失礼な言葉と感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、老人2人を見ていると幼い時亡くなってしまった大好きだった祖父を思い出しました。

・咲妃みゆさんの演技と歌。幼い少女のように感じる瞬間と母性を感じる瞬間、妖精のように可憐でガラスのように繊細でありながらこちらがゾクっとするほど恐ろしく感じる瞬間があります。

・ビンコさんの嫉妬心や焦り、有沢への愛情。田口目線で見てしまいますが、ふと自分がビンコの立場ならと感じてしまう時があります。一途に愛する婚約者の心に別の人間がいて、自分を安心させられる材料が私は女だから、と言う点だけ。ビンコは「自信のある女だけ愛すのよ」と言いますが、この時のビンコはきっと自信なんてなかったと思います。子供がビー玉を取り合っているときに有沢は俯いていますがビンコは微笑ましく見ていて、これから有沢との幸せな家庭を夢見ていると言うところまで想像してしまいました。それだけの演技の説得力があります。

好きな人に不幸になって欲しいと思う人はほとんどいないと思います。
いつだって幸せを願っているし、なんだったら世界で1番幸福であって欲しいと本気で願います。
でも好きな人が別の人と結婚すれば、孤独を感じる。
それが切なくて寂しくて苦しくても、好きな人の前ではいつまでもいい人でいたくて、笑顔で「おめでとう」と祝福したい。好きな人の幸せを邪魔なんてしたくない。
舞台が現実離れした雰囲気のあるお話ではありますが、田口がもつ感情は決して想像し難いものではないと思います。

まだ東京公演も大阪公演も残っているので、もっともっと新たな気づきを得たいなぁ。
千秋楽まで皆さんが健康で楽しく走り抜けられますように。

舞台を観劇するたび知らない言葉を調べ始めて数時間経っていることも多く、私に知識があれば一度で吸収できることも多かったんだろうなぁ、やはり知識は財産なのだなぁとも思いました。本を沢山読みたいな。

長くて拙い文章でしたが、自分の気持ちを整理できて満足です。今後の公演で見え方が変わることもあるかとおもいますが。
ありがとうございました。


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