見出し画像

中国雑感:寂しいけど優しい

中国には数えるほどしか行ったことがないけど、毎回、感じるのがハンパないアウェイ感。どんなに楽しんでいても、緊張感?警戒心?がどうしても抜けない。で、ああ、自分は外人(よそ者)なんだなと、なんとも言えない寂しさにおそわれることがある。今も家で中国の画像や動画を見ただけで、その心境が生々しくよみがえることがある。

でもそれと同時にまた無性にその寂しさを味わいたくなる。なぜなら寂しくなるんだけど、中国は優しいから。

個別具体的な場面ではよそ者だけど、中国には全体としてはよそ者も受け入れてくれる懐の深さがある。誰も私が何者か気にもとめない。あの放っておいてくれる感じがわたしには心地よい。疎外されない。それだけなんだけど、そこにいることを容認されてる気がする。

あくまでも個人的な感覚だけど、日本では気を抜くと疎外される。その場にいるためには、その場に相応しい振る舞いが求められる。中国でも人間関係が密接になると色々気をつけないといけないこともあるだろうけど、複雑な人間関係を抜きに行動する分にはものすごく自由だと思う。わたしも自由だし、周りの中国人はもっと自由だ。生き生きとしていて、パワフルで、なんだか眩しい。自分が無くした何かを中国の人たちはもっている気がする。

疎外されないのが優しいとか、放っておかれるのが心地いいとか、ちょっと変かもしれないけど、これに加えて中国でわたしは日本にはない親切に何度も出会っている。

中国人というと人目を気にせずマナーが悪いイメージがあるが、彼らはいい意味でも人目を気にしない。日本人は人目を気にして悪いこともしないが、とびぬけて良いこともなかなかできない。「偽善」と言われることをひどく恐れてる。

中国語にも「伪善」という言葉はあるし、見て見ぬふりする人もいるけど、電車にお年寄りが乗ってくるとサッと席をゆずる。抖音(中国版TIikTok)でも困っている人を助ける動画をよく見かけるが、それを批判する人は見かけない。例えば、農村から野菜を売りにやって来たおばあさんから野菜を全部買って、さらに手土産まで渡すとか。これに対して、みんな「感動的だ!」とコメントしている。結果的に誰かが助かれば、それは「良い事」なのだ。助けられた方も施しを受けて見下さるてるとか、迷惑だとか、そういうようなこともない。

最近「こちらあみ子」という映画を観て、「寂しいけど優しい」という気分になって、わたし自身、どこかで味わっている気がして、ああ、中国にいたときのことだと思い出した。

コロナが明けたら、また行きたい。中国はいつも予想外。良い事も悪い事も予想外に起こる、とても刺激的な国だ。生まれてからずっと日本で暮らしているので、慣れ親しんだ日本を離れて中国に移住とかとてもできないと思うけど、日本に疲れると、ふと日本とは違う空気に触れたくなる。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?