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舞台刀剣乱舞 維伝 朧の志士たち 考察その2

考察その1で維伝で円環に囚われているのは三日月ではない?と書きましたが、関連してあの時間遡行軍について考えると維伝って義伝トゥルーエンドへの布石だったのでは?と考え出した諸々(長文です)

舞台刀剣乱舞という作品は、虚伝の初演と再演の演技の差やキャス変、悲伝のルート分岐など様々な面で「同じじゃない」と感じる演出が用いられています。その積み重ねで今作は刀ステ二部の幕開けになる訳ですが、虚伝〜慈伝までの刀ステ一部は同じ本丸の別の時間軸の物語を切り貼りしているのでは?という全体像が見えてきました。(前回の考察参照)私は今作のパンフレット見開きでその考えは確信に近づいていますし、過去発表された作品全てが別の時間軸の刀ステ本丸である可能性も考えています。

この考察は、こういった考えの元行っている前提で読んでいただけるとわかりやすいかな?と思います。長文で色々過去ネタ織り交ぜてますが読んでやるぜ!という酔狂な方はお付き合いくださいませ。

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えーと今回のテーマは「あの助けてくれた謎の時間遡行軍の一振りはなんだ?」から派生した諸々について。

まずはあれ、山姥切国広ですよね。あの傘をクイッとするあの仕草はフードを引く仕草だし、金髪のあの顔も元は山姥切国広であった打刀の時間遡行軍であることは間違いなさそうです。仮にあの個体をまんばオルタとします。

今作で出陣した刀ステ本丸部隊は、過去に刀剣男士部隊と対峙し、そして彼らを破った吉田東洋と出会いました。吉田東洋が出会った部隊の構成は
日本号
骨喰藤四郎
山姥切国広
陸奥守吉行
大倶利伽羅
鶴丸国永(席が上手で見えず友人証言)
の六振りであり、全て過去の刀ステ作品にいる刀達です。
→鶴丸国永は皆様の考察見ると宗三っぽいですね!

しかし、今作の陸奥守吉行はその折れた部隊については無知であり、過去に別の部隊が今作の放棄された土佐時間軸へ干渉、そして敗退していたことが分かります。

あの部隊は、恐らく別の時間軸でこの土佐に出陣してきた同じ刀ステ本丸の部隊であり、あの時間遡行軍は折れた際の無念が形になった過去の山姥切国広の残滓のようなものなのではないか?と推測します。

今作の坂本龍馬をはじめとした歴史上の人物達は、全て放棄された土佐の時間軸に残された人々の感情が生み出して自分もそうであると思い込んだ「時間遡行軍」とも呼ぶには微妙な「何か」でした。特に坂本龍馬は。そもそも時間遡行軍とは我々の守る正史に対して害をなそうとする者たちを正史側がそう呼んでいるに過ぎません。(歴史修正主義者と時間遡行軍についてはまた別の考察機会を持ちたい)

そういった成り立ちの人が存在する時間軸であれば、残った感情を元にして形をなした刀がいても不思議ではないだろうな…というのが私の見解です。義伝の黒甲冑や、悲伝の鵺も怨念など感情から生まれた存在なわけですし。

しかしこのまんばオルタに関しては、本当に確固たることが言えなくて謎なのですが、次回や今後の観劇への宿題も兼ねて今思っている疑問と考えを整理しておきたいと思います。

【まんばオルタ、どこまで知ってる?】

過去に土佐に出陣した山姥切国広の残滓であると仮定するならば、敗北した六振りの後ろ姿からも、「修行に行かなかった時間軸の山姥切国広」であることが推測できます。
そして「織田信長の物語…伊達政宗の物語…黒田官兵衛の物語…足利義輝の物語…坂本龍馬の物語…」という台詞があることから、我々の知る虚伝〜維伝の時系列を辿ってきたことも分かります。但し、刀ステが同じ本丸の別の時間軸を切り貼りして見せてきているのであろうと考察できる以上、我々が見てきた物語と同じ道を辿ってきた山姥切国広であるとは断定できないでしょう。

【まんばオルタ、何がしたかった?】

維伝内では「物語をオクレ…」と歴史の逸話や刀剣にまつわる物語がひとつの重要なキーワードとなっています。(物語に関してもまた別で考察したい)刀剣は物語によって形作られ、物語を持つことが刀剣男士自身のアイデンティティとなります。

そして作中では「歴史を守ること=刀剣の本能」と提示され、陸奥守吉行もそれを復唱します。逆に言えば、歴史を守らなくなったものは刀剣ではないとも言えます。そう考えると時間遡行軍のビジュアルになりかけながらも元の形をかろうじて残し、歴史を正すための手助けをしたまんばオルタはまだ刀剣であると言えるでしょう。

しかし、刀剣としての歴史を守る本能だけがあの時間軸に残って浮遊していた状態であり、自分の意思はなかったのかもしれません。それはそれで愛しく悲しいよ山姥切国広(´;ω;`)

【鶴丸にだけ言った「強くなれ」ってなんだ?】

まんばオルタは鶴丸国永に対して「強くなれ」とか「お前は今後必要だ(うろ覚えです)」とか言ってます。本丸全体というよりも、鶴丸国永個人に対してです。また、これは前回の考察でも触れた「今作で円環に囚われているのは三日月宗近ではないのでは?」という考察にも繋がってくるのですが、鶴丸国永はまんばオルタとの殺陣のシーンで「忘れるはずがない、この太刀筋…!」と言う台詞があります。この台詞、なんかおかしくないですか?普通に本丸に山姥切国広がいるのなら「あれ?この太刀筋…」くらいの反応はあると思うんです。でも「忘れるはずがない…!」は台詞に乗せる感情としては重すぎる。まるで今生の別れを済ませた後のようで。

刀ステ過去作での円環(ループ)って、三日月の結の目と義伝の関ヶ原と二つありますよね?そして、義伝の円環を断ち切ることができたのは、黒甲冑に飲み込まれた鶴丸国永が自身の意思の力で黒甲冑を制御し、隙を作ったからです。

今回の作中で鳥太刀達、「円環から引っ張り出してやる」といった台詞は言っているんですが、誰を助けるかは明言していないはずなんです。(ここ再度確認したいので個人的な次回の宿題なんですが)

もし、あの義伝で出陣していたのが鶴丸国永ではなく、近侍を変わって欲しいと自信がなくて三日月宗近に訴えていた頃の山姥切国広だったら…?果たして義伝の円環を抜けることはできたのでしょうか?

また、義伝での本丸の留守番では山姥切国広は小夜左文字と向かい合うことで近侍として三日月の手を借りずとも成長し、小夜左文字はまんばと手合わせをすることで、自身の物語を乗り越え強くありたいと願って修行に旅立ったのです。もし、その流れが起こっていないとしたら…?

恐ろしくて震えるんですが、私は維伝の刀ステ本丸、義伝で山姥切国広を含めた六振りが出陣し(舞台構成は断言出来ません)、戻ってこないまま進んでしまった本丸だったのでは…?と考えてしまうんです。

ラストで肥前忠広達が本丸配属になるシーンで、本丸側からの台詞で「戦力が増えるのはありがたい」というのがあります。慈伝では「この本丸も戦力が増えて手狭になってきた」といった台詞があるにも関わらずです。このことからも、慈伝の本丸等と比較して本丸内で折れずにいる刀が少ないのでは?と推測できます。二振り目の表記やキャス変がなくとも、一振り目が折れたままやいなくなったままだという状況が無いとは言いきれないのです。

鶴丸国永が出陣することでループを破り、山姥切国広と小夜左文字が本丸留守番で強くなる義伝の物語が刀ステ本丸が未来に進むための義伝時系列でのトゥルーエンドだとするならば、その過程を踏んでいないこの維伝本丸に未来はやってこない(パンフ見開きページ、維伝の先は焼け落ちている)わけです。

しかし、義伝の鶴丸国永は刀ステ本丸で唯一敵側の属性を自身に取り込んだ刀になるわけで、それが今後の作品でも作用してくるのか、上記で考察した義伝トゥルーエンドの布石だけで済むのかはわからないですね。今後も鶴丸国永の動きには注視して行きたいです。


しかしなんだこの舞台…考えれば考えるほどしんどみが増す…今回も義伝の戯曲引っ張り出して台詞や流れ確認するとは思ってなかったよsemtおじさんゆるすまじ…(´;ω;`)

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