第19回 漆黒の薔薇


エレガンスとはなんだろう。
優雅なことか。たおやかなことか。気品があることだろうか。
いや、そんな単純なものではない。

初めてエレガンスという言葉を意識したのは、セルジュ・ルタンスが資生堂と共に創り上げた「ノンブル・ノワール」というフレグランスを手にした時だ。
「黒の番号=廃盤」という逆説的な名前を冠したこの香りは、資生堂が初めて海外向けに作った香水と言われている。プロデュースを担当したセルジュ・ルタンス自身、黒を至高の色として黒しか着ないということだが、彼が創り上げた黒一色のアートディレクションは、当時鮮烈な印象を残した。調香を担当したのは、資生堂の調香師であったジャン・イヴ・ルロワ。オスマンサスとダマスク・ローズの香りに加えられた天然の麝香が、発売後すぐに国際的に取引禁止となってしまったため、この香水はその名の通り潔く廃盤となり今では幻の名香と言われている。
フラコンボトルのものは高価でとても手が出なかったので、当時の私は小さめのアトマイザー(パルファムではなくオードトワレだったと思う)を背伸びして購入した。その黒一色の八角柱状のアトマイザーは、もうそれだけで完成した芸術品であった。そしてその香りもまたそれまでのフレグランスのイメージを覆すもので、それは私の感覚で言うと至高の墨の香りだったのである。単なる良い香りという以上に、鎮静効果があるようななんとも気分が落ち着く香り。麝香という動物性香料を使用しているにもかかわらず、それは非常に植物的な香りであった。

深い深い思索と豊かな教養に基づいた確固たる価値観の上に、その香りは存在した。いや、単に香りというだけではない、「ノンブル・ノワール」というひとつの芸術作品としてそれは存在していたのだ。洗練という一言で表現してしまうには、あまりにも強靭な個性。
エレガンスとはこういうことなのではないかと、その時心から感心した。エレガントな女性とか、エレガントな仕草とか、ともすればエレガントという言葉は女性的な外面を強調する場合に使われることが多い。しかしエレガンスというのは、男女の別を問わないもっと内面的な価値観であり、そこには一本筋の通った矜持というものが感じられるのだ。
生き方にしろ立ち居振る舞いにしろ、その個人の確固たる美意識に基づいてあるものは、それを目にした人の背筋を伸ばさせる。そこにはある種の覚悟というものが存在しているからだろう。誰かとの比較や他所から借りてきた価値観ではなく、自分自身で掴み取ってきた尺度によって、外見も言動も決める。他から何を言われようとも、自分で決めたことなのだから文句は言わせない。これは言うは易しで、実際貫くのは相当タフでないとやってられない。
少女性を保ち続けるという覚悟もまた、エレガンスと言ってもいいのではないかと私は思う。

単に上品で優雅であることがエレガンスではない。
エレガンスというのは、じぶんの美意識に忠実であるということなのだ。
少女という美意識を保ち続ける覚悟はあなたにはあるか。


登場した香り:「ノンブル・ノワール」資生堂
→1982年に発売され今尚その名前が語り継がれる名香。再販を熱望されつつも全く同じ香りは再現できないからと復活させないこともまた、資生堂とセルジュの美意識と言えよう。
今回のBGM:「Ulisses」by Cristina Branco
→ポルトガルのファドは、全身黒のドレスに黒のショールをまとって歌われる。光は闇無くしては存在できないのだ。

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