見出し画像

2021年・私的GOTY第5位 『リーガルダンジョン』

この数年、そして2021年においても「ゲーム」について通奏低音的に考えていたのは、「ゲームにおけるインタラクティブ性とは何か?」「ノベルゲームとデジタルノベルを分かつものは?」といった、いかにも聞き慣れたテーマ/主題への問いかけであった。

まあ、昔っからその手の面倒な与太話は、創作者/ゲーマー/レビュアー誰しも意識的に、あるいは無意識的に「一家言」持ってることだろう。「楽しけりゃいいじゃん」。それもまた、清々しく力強い言説である。

が、自分の内ではまだ実感(じつかん)として腑に落ちていない。
なので、本稿「私的GOTY」という、いかにも年イチ恒例行事的な記事も、このような面倒な前口上から始めざるを得ないんである。

小難しいこと言ってんじゃねー、黙ってゲームやってろ、ゲーム面白かったら、簡潔に面白ポイントだけ紹介してろ、とまではどうか君まで言わないでください……後生だから。
自分はゲームしてる時、いついつでもそんな風に、堅苦しく厄介な主題だの命題だのを携えて遊んでるわけじゃない。けっして。ただ、興味の対象が通奏低音的に「そこ」にあるのだからしゃあない。

なんかようわかんない感じになってきちゃったけど、続けよう…!!!

とりあえず、ここ『2021年私的GOTY』では、今年プレイした、強く印象に残ったゲーム1本1本を仔細に振り返りながら記すことで、前述の「(自分内的)主題・疑問」に対するヒントのようなものを少しでも得られたら幸いと思って、今日もウーロンハイ片手に頑張ってしたためている次第である。全く時間の無駄かもしれないけど、飲みかけたハイボール、乗りかけた屋形船であろう。
そういうわけで、以下、小難しいことは抜きでも有りでも、楽しかろうと、つまらなかろうと最後までお付き合い頂けると之幸い。(ちなみに各タイトルの順位は暫定的なものと捉えて頂ければ之幸い。順位あった方が盛り上がるかな…的な軽い感じで一応つけた次第。)

では、いきまーす。

●私的GOTY第5位 『リーガルダンジョン』(Steam/PS4/Switch)

画像3

ゲームについて記すのは、すこぶる楽しいけど難しい(よね?)。
が、本作のような文字だらけの可愛げのない(と言うべきか)ゲームについては、その難易度がさらに跳ね上がるように思う。

何故か?

まず、このゲームには物語的なカタルシスというものがほとんどない(活字中毒者には快楽をもたらすだろうし、ゲームメカニクス的にも一応あるのだが)。キャッチーなキャラクタービジュアルもない。BGMは何やら…総じて暗い。シナリオは骨太で硬派な警察小説を読んでる感じに近い。
が、ページを不可逆的にめくり続ける「小説/novel」と本作が抜本的に違うのは、

本作には本作を「ゲーム」たらしめている、たしかなインタラクティブ性がある。

その、「ゲームたらしめるインタラクティブ性」とは具体的に何なのか?

それはゲームによって異なる(がくっ←頭を垂らした音)。

だが、広義すぎて何を言ったことにもなりゃしないこの「インタラクティブ性」とやらを、ひとまず、ざっくり定義しなければ話が進まない。

なので、しよう。今作におけるインタラクティブ性とは、

「プレイヤーが自身の行為/選択によって此の世界の真相/実相に近づける」

画像2

本作において、プレイヤーはエリート(街道に乗って現れた)捜査課長・清崎蒼(きよさきあおい)となって、入り組んだ、現実味溢れる(つまり、ほぼほぼ気が滅入る)事件(かの『逆転裁判』のように、キャッチーだったりコミカルだったり非現実的だったりする事件はない)をつぶさに解決していく。これがプレイヤー/主人公の「行為/選択」である。

その「行為/選択」は、空白欄にキーワードを嵌め込み、意見書を仕上げ、フィニッシュとして被疑者に尋問(これは主人公の脳内における架空の尋問らしいのだが、それについて考察するといっそう出口が見えなくなるので割愛)することで成り立っている。おおむね。

だが、被疑者の有罪/無罪は「事件の真相」として前もって存在しているわけではない。

どういうことか?

「此の世界の真相」は、意見書を作成し、尋問を為すこちらの「切り取り方」であっさりと真逆に変わってしまう。変えられてしまう。ゲーム内に表出する太文字メッセージから引用するなら、

「真実」は意見書の中にのみ存在する/意見書に「感情」は存在しない

現実における検察と警察との「大人な(了解された)」関係性、為すべき仕事内容(繰り返すが、それは「真実」を明かすことではない)を掴みながら、「お仕事」をこなしていく警察シミュレーション。
それが本作『リーガルダンジョン』のアルファである(しかし、オメガではない、ということが本稿のポイントかもしれない)。

「HP」「MP」「ランク」といった用語がどうにかゲームらしい「てい」を保っているが、ガワをかいつまんで言うなら、ひたすら証拠/事実を集めて(書類を読んで、嵌め込む)脳内尋問をして意見書を作成していく、それだけのきわめて地味なゲームである。さらにそこには罪悪感と「これで良かったのか?」といった、後ろ髪を引かれる忸怩たる思いが伴う。

そこで、あなた(僕)はこう思う。

なんだって、そんな作業をゲームでやらにゃならんのか? 現実の仕事だけでも充分気が滅入るのに、と。

たしかに本作をプレイしていると、自分が間違った迷路に迷い込んで、もはや後戻りできないようなムードにずぶずぶと気が滅入ってくる。この感じ、所謂「お役所」に身を置いている時の気の滅入り方にかなり近い気がする。

汚職に手を染め続ける政治家や「忖度」を計り続ける公務員とかって、こんなような気分なんじゃないか? プレイ中、ふとそう思ったりする(無論、現実はゲームよりもさらに奇であり、出口なき世界であろうが)。

画像3

作者SOMI氏は現実世界において、このような職場環境に身を置いていたらしく、自身の作品を「罪悪感3部作(本作『リーガルダンジョン』は第2部)」と命名している。
たしかに、この絶えず後ろ髪を引っ張られているような嫌な感じは、ある種の普遍性と今日ならではのリアリティを持ってひしひし迫ってくるようだ。

さて、本作は一部インディー/ノベルゲームファンの間で局地的に盛り上がった程度の盛り上がりであったように感じる。
が、個人的には、ノベル/アドベンチャーゲームの新たな可能性を開拓した作品なんじゃないか、本作はいささか過小評価されているのではないか……などと思いつつ、本稿をしたためている。

「ノベル/アドベンチャーゲームの新たな可能性」とは何か?

ひと言で言うのはやはり難しいのだけど……ひとまずは「謎/真相の潜ませ方(その深度)」と定義しておきたい。

アイマイすぎる、ね。自分でも何だかしっぽの先にどうにか触れている感じがしているだけです。ただ、これだけは言える。

本作における「真相」は用意されたエンディングの内には存在していない。

13+1つある(と言われる)エンディング全てに辿り着いても、プレイヤーは真相を知ることができないんである。それは明示されることは決してない。こちらにできるのは……ただ推量、想像、断定することだけだ。

人物グラフィックは進行/ナビ役の「あおい」(なぜ、彼女が主人公と同じ名前なのか? ここでは、彼女はナビ役であると同時に自身の「オルターエゴ」であるから、という安易かつもっともらしい説明に留める)のみ、剝き出しに並んだフローチャート/分岐節、無機質なテキストをゲームのメイン画面に据えるという荒技は「インディーゲーム」というニッチ(いや、もはやニッチではないな)形態ならではだし、前述したように、「裁き」をこちらの裁量で「有罪/無罪どちらにも運べる」というのは本作のオメガであろう。

そして「選択」を為す自分自身も、或る巨大なシステムの1部に過ぎないという無力感。絶望感。諦念。結局のところ、大局的な意味では自分は何ひとつ選んじゃいない。運命決定論。歯車一部感。選択権が一切合切剥奪された現代社会への警鐘。言い様はどうとでもあるが……。

とにかく。冒頭に述べた、ゲームにおける「インタラクティブ」といった要素は本作において、「恣意的な選択」「分岐」という形でたしかに存在してはいる。そう、見かけは。

「だが、しかし、」と言うべきだろう——ここで我々が得られるインタラクティブ性を、作者SOMI氏は「実際に我々が選択できる(した)ことは何ひとつない」という、アイロニカルかつ、リアルなメッセージとして真っ向から否定/主張する。
そのことが、いくつかのエンディングを見た後、プレイヤーには身にしみて理解る。本作『リーガルダンジョン』はそんなSOMI氏のメッセージ性を真っ向から伝える、案外とストレートな作品でもあるのだ。

本作について、SOMI氏はインタビューで下記のように直截的に述べている。

なぜ、こんな退屈な事務処理シミュレーションゲームを作ったのか?私は、ゲームのプレイヤーに対して、本当にプレイヤーに選択肢があるといえるか、と問いかけたかったのです。 彼らが現実の世界で全く同じ環境にいた場合、平均的な警察官の選択とは異なる他の選択をすることができるかどうか、を問いかけたかったのです。

そういうわけで、『リーガルダンジョン』レビューはここでいったん終わるが(何か全然GOTY紹介的じゃないな…)、さらにこの私的GOTY記事なるものを続けようと思います(書き終えられないかもしれないけど)。

余談だが——プレイした誰しもが誉めそやしているので、割愛しようかと思ったのだが——本作、日本語ローカライズが本当に丁寧で細やか(なんて言葉じゃ褒め尽くせない)で、これはいくら褒めても褒めたりないんである。そのくらい、満足度/違和感の無さが凄かった。もし全編英語でプレイしてたら、全然違った所感だったように思う。あるいは機械翻訳まる写しのようなつたない翻訳だったら!きっと吾国のプレイヤーの多くが投げ出していたのではないか。ありがとうありがとうありがとう。

心から感謝すべき功労者はかの名作『グノーシア』の製作チーム、プチデボットしごと氏/ことり氏(ことり氏はキュートかつクールなビジュアル書き下ろしも!)。下記インタビューもぜひっ。(私的GOTY第4位に続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?