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Diary 20230714 父に同行

昨日は、父の腹部CT検査の結果を聞きに行くのに同行するだけで一日が終わってしまった感覚。クリニックにいたのはものの30分もないくらいだったんだけど。

お昼に実家の電話がなってわたしが出た。クリニックの医師からで、応対が本人でないにも関わらず、

検査結果に異常が見つかりましたので、本日午後来院してください。

と医師が言うので、父本人に代わった。このような対応はこちらの動揺を引き起こす。緊急性が勝手に強調される。その数時間後、父に頼まれて同行して直接医師に会ったら、そんな対応もなんとなく腑に落ちた。失礼を承知でいうと、コミュ障か?と思える感じの話し方、説明の進め方だったから。わたしもある程度動揺していたので、余計にそう思えたのかもしれないし、その対応に少し怒れたりもして。ある程度、ではなくてかなり動揺してた、というのがあとからわかる。そう感じてしまったのだから仕方ない。

検査結果は、腸に多少の腫れが見受けられらるとのことだった。肝臓や腎臓に問題は見受けられず、腫れの原因として考えられるものの中に大腸がんの可能性も含まれるので、原因特定のために総合病院での内視鏡検査を勧められて、来週行くことに。以前父が硬膜下血腫で入院していた病院。

昨日は16:00から宮崎作品を見る予定にしていたけど、父の同行と重なったので、日曜日に行くことにした。

医師の電話からクリニックで話を聞くまでの3時間位の時間はなかなか落ち着かなかった。きっとある程度の詳しいことはわからず、次の検査に進むんだなというのは想定内ではあったけど、もっと緊急性ががあるのかもしれないと思う部分も捨てきれず、しても仕方のない心配をした。

そんな時の自分を落ち着かせる行動は、情報を漁りまくるということだった。スマホ片手に

大腸 腹痛 嘔吐 体重減少

などのワードで検索しまくる。大腸がんや様々な腸炎の説明にたどり着く。読んでもよくわからない。こちらの情報が曖昧なので当たり前なのだけど。

不思議なもので、マレーシアに居るときに今日のこととつながるような出来事があった。めったに連絡を取らない若い頃の知り合いから着信がついていた。なんとなくただごとではない気がして折り返すと、その人のお母さんが大腸がんで入院するのにセカンドオピニオンを受けるべきか?という相談の電話だった、話し方は落ち着いてはいるものの、上ずる声の感じに本人の動揺を強く感じたのでひとしきり話を聞いた。今となればその動揺も分かる気がする。

クリニックに行くまでの時間に、知り合いに連絡して検査のことやお母さんの症状を教えてもらった。父のことももちろん説明して。経験者の言葉に説得力と安心を感じた。伏線回収といったところだろうか。

肝心の当事者である父は、ここのところ腸の動きがいつもどおりではないことを排便習慣から感じていたようで、そこへきて先週末の腹痛だったので、検査に引っかかることは装幀していた、と落ち着き払っていた。山羊座の父らしい、彼なりの動揺を奥にしまった態度だなあと思った。母は、クリニックからの電話で即座に『お父さんと一緒に行ってきて。』とわたしに言う様子に、動揺を感じた。

こんな時こそ『しっかりしなくちゃ』の一人っ子気質とでもいうのかが、全面に出てくる。自分の不安や動揺をそうやって抑えるのだ。家族の危機的な状況にはいつもそうやって対峙してきた気がする。

どんな結果でも、これまで通り家族で乗り越えたらいいよ。

と親たちに声をかける。それも実は自分に言い聞かせるためになんだけど。わたしの8ハウスがこういう状況で俄然光を放つ感じとでも言えるかな。こういうときの家族の結束が、生まれ育った我が家系の持ち味なのだ。

昨日は珍しく、映画を公開初日に観ようとチケットを取っていた。奇しくもクリニックのアポイントと重なってしまい、映画はやむなく諦めて、日曜にチケットを取り直した。観るのは、宮崎作品の新作『君たちはどう生きるか』。このタイトルが、昨日の出来事と妙にクロスオーバーする。

すっかり気疲れしてクタクタ感を感じてしまった一日だったのと、この時期わたしにとっての土星スクエアを感じずにはいられない日だった。わたしのふたご座の太陽と重なる土星。肉親であれば、父や祖父たちの象徴の土星。わたしもついに50になったように、親も歳を重ねて、今までと同じでないことがあるのも自然なことだ、と今年はずっと教えられている気がしてる。

だからこそわたしはどう生きていきたいんだろう、と改めて考えてみることにした。今週お願いした友人ナミちゃんのセッションの中で、その問いに対する参考材料を数え切れないほど受け取った。マレーシアに発つ前に彼女が描いてくれた土偶レターに添えられた『再構築』という言葉が本当に相応しい。

ナミちゃんによる土偶レター
再構築に向けて色々溶けている(笑)

夜な夜な夫を捕まえて、この日の出来事を話す。夫は以前お母さんががんを患ったことがあり、仕事を長期休んで外国での治療に同行した経験がある。だからか、うちの母が調子が悪くなったときも昨日も、『気分が落ち着くまで話したいこと話して。』と言って、わたしの不安を吐き出す手伝いをしてくれて、その不安を一個一個取り上げて客観的に理解しようとすることで、わたしを落ち着かせようとする。彼なりの寄り添い方なのだと思う。もちろん、わたしにとっては助け以外の何者でもない。

誰かの経験に救われる、そんなことも感じた1日だった。

父と毎晩一緒に寝てるモモ男。

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