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「悪魔くん」の話

私と両親の間には「悪魔くん」という概念が存在する。
それは数年前から現れた言葉だ。

私が鬱病と診断されてから5年、今までいろんな症状に悩まされてきた。希死念慮や脅迫観念、もちろん経験してきた。
実家住みの中で療養をしていて、それが避けて通れるはずもない。
私の強迫観念は様々な形があるけれど、いちばん多いのは「食事をしてはいけない」というもの。
「こんなにも役たたずなのに食事という"生きる"象徴である行為をしようなんて」と脳が勝手にストップをかける。
強迫観念に囚われるとそれまで食事の準備をしていても食べることはできない。目の前に食事があるのに、食べたいのに、食べちゃいけない。

希死念慮の説明はいらないとは思うけれど、まぁ簡単に言うと死にたい、死ななければという感情が湧き上がって抑えが効かなくなる。
ベランダから地面を覗き込んだり、ホームに侵入してくる電車に飛び込みたくなったり、首を吊ろうとしたこともあった。
けれど親は、特に私の母は私が「死にたい」と言うことを拒む。どんな状況であっても私がその言葉を口にするだけで顔を歪めて泣きそうになる。実際泣かれたこともあった。
だから私の中では「死にたいと言うこと=悪」という方程式が植え付けられている。こと親の前に関しては。

いつからか、私は「悪魔がいる」と言うようになった。
希死念慮も強迫観念も全部私の意思ではなくて悪魔の仕業なのだと。
悪魔が私に死ねと囁く、悪魔が私に食事をするなと禁じる。
正直に言うと希死念慮は私の意思なのだけど、親の前では都合がいいからそう言うようにしている。
最初は戸惑っていた親も私が何度も悪魔の話をすると飲み込めたみたいだ。
「悪魔くん」
その単語だけで私の状況がある程度分かるようになった。

「悪魔くんが来ているから食事はとれない」
「悪魔くんが来ているから部屋にこもる」

そうやって言葉にすると少しだけ楽になる。「そんなこと言わないで」と諭されないだけで心理的負担は軽くなる。

「悪魔くんどこか行った?」

心配する親はそう問いかけてくる。
私はその時の状況に応じて「まだいる」「どこか行った」と答える。
それが私と親の間のコミュニケーションだ。

あなたの「悪魔くん」はどんな形をしているのか、もし良ければコメントに残してほしい。

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