東海学生アワードがもたらした私の進路。
せわしない日常がようやくひと段落。
直近は東海学生アワードで、カレンダーから余白が抜けていたものの、また時間に余裕ができたのでやっとアウトプットができる。少し長いので時間のある時にでもお付き合いください。
1年前:プレゼンター
自分は去年東海学生アワードにプレゼンターとして参加。東海学生アワードって何なのかは伝えにくいが、一言で学生の本気の想いに多くの大人が支え、自分の真ん中を見つけていくプログラム。(多分伝わらない笑)
自分は日本に、もっと自分の幸せに向き合える場を作りたいと、デンマークのフォルケをモデルにした場を作るとはじめ発表し、2か月間で最終的にはフィジーの文化を取り入れたリトリートを実施すると宣言。一年たてば、実際にフィジーへ行き、フォルケを作る会社でのインターンとして携わり、アワードで得たものの一つがこの「実現力」だった。
半年前:作り手に。
ここは異世界だと思った方がいい。
そう言われるほどこの場はとても異質な場。作り手の熱量はなかなかに高く、社会人サポーターという経営者や地域のキーマンが本気で一人一人と向き合っていくにも関わらず、完全ボランティア制。みんな本気の場だからこそ、プレゼンターにも火が移り、東海で本当に熱い場が作られる。
この場に関わりたい想いから、ゆたかさん(前期実行委員長)と話し、①プレゼンターと作り手では視点が全く違うこと②すでに自分のプロジェクトやサービスを持ち、プレゼンターよりも1歩、2歩進んだ人たちと何かをする経験が魅力だと伝えてもらい、今期実行委員になることを決めた。
7月には実行委員合宿が行われ、色んな問いが飛び交い、対話し、自分にとってのアワードとは、この場で何を求めているのか、どんな人に届けたいのかをひたすら考え、作り手としてのアワードが始まった。
10月頭:東海学生アワード開始
9月30日に、プレゼンターも交じり東海学生アワードが正式に始まった。作り手の合宿からこの日まで、ずっと進路に悩み続けていたことと、一人のプレゼンターよりも、もっといろんなプレゼンターとフラットに向き合いたいという想いからバディ(伴走役)をしない決断をした。普段からコーチングをやっていたり、人を支えることが今年のテーマの一つだったので、この手放しは大きな決断。
そしてアワードでは、魂という合宿の根源を担うチームに参加。プレゼンターファーストの場で、一人一人と向き合い、場全体としてどんなことが必要なのかを考えつくした。
去年自分にとってのアワードは、本当に苦しく、怖く、大変な場だった。それでも2カ月間やり切って本当に良かったと思ってるからこそ、パニックゾーンに行く前に安心して話せる人や場があるというのを認識してもらうのがゴール。この日は朝の5時までじっくり話し、中には自分の心の内を話して涙が止まらなくなるプレゼンターもいて、心理的安全性の高い場を作る価値をここで初めて再認識した。
10月末:ゼミへ参入
そうして始まった東海学生アワードも中盤に差し掛かり、所々でトラブルが発生。アワードはプレゼンター以上に作り手もチャレンジャーであり、個人の活動とアワードの活動の両輪で難しい部分でもある。そして自分のチャレンジャーを支えていきたいという想いからプレゼンターと共に作り手のサポートに入ることが増えた。
アワードは役割を大切にする組織ではあるが、自分は7月の作り手の合宿でマイコミが定まらず、初めの方はアワードでどんなロールを持ち、どうこの場に貢献していくのか見えていなかった。
そんな役なしだった自分も、合宿の根源を担う魂チーム、外部にアワードの雰囲気(世界観)を伝えていく広報チーム、プレゼンターのホームルームを担うゼミ、プレゼンターの支えになるバディとそれぞれ補助的に入ることになった。自分自身、興味の幅が広がりやすいので、固定化されたロールよりもその時必要な場で自分の関心と重ね、ロールを担っていく柔軟的なのがやりやすかった。
11月末:直前合宿、そして本番
一番楽しみで、一番不安だったところ。
この2日間はアワードを象徴する2日間だったと思う。寝る間も惜しみながら、24時から8時まで組まれたメンタリング表(通称:壁)。1カ月半もの間考え抜いてきたプロジェクトもこの日に変わる人も続出。
自分に取っての直前合宿は「生まれ変わる瞬間」。去年自分の中でもこの日ほど印象に残ってる日はなく、毎回プレゼン緊張で話し切れなかった自分がこの夜で覚醒。他の人もプロジェクトやプレゼンの内容、話し方とどんどん変わっていく。そうした既存のものを手放し、どう変えていくのかを問われていくのがこの直前合宿。
そしてそのまま寝ることなく進む本番。
自分はこの一カ月半、比較的苦しい時期のプレゼンターのメンタリングをすることが多かった。あの時死んだ顔してたあの子が、あの時本当に壊れてしまいそうなあの子が、何度もアワードをやめようとしてたあの子が、今この1分、この6分に全力に想いを伝えるため、300名の前で発表する姿は本当に感動ものだった。きっとあの300名の会場で最も感動し、最高の瞬間を見届けられるのは作り手であり、あの瞬間は作り手としてもらった一番大きなプレゼントなんだと思う。
アワード後:プレゼンターから
ここまで頑張ってきたプレゼンターからのメッセージ。みんなこの1カ月半のどこかで見てきたから泣ける。各プレゼンターにはおつかれさまとおめでとうを伝えているけど、本当に伝えたいことはありがとうで。沢山勇気もらったし、刺激もらったし、感動もらったし、作り手として与えてるようですごく受け取るものが多かった。改めてありがとう。
プレゼンターの声も一部紹介。
総括:終わってみて
まだまだアフターアワードやマイキャリアラボも続くが、ここで一区切りなので一旦振り返りに入る。
はじめはアワードには関わりたいけど、何か大きな目標があったわけでもないし、それ以上に別の活動や自分の進路の方が大切だった。でも、自分を極限まで追い込むプレゼンターと携わる中で本気の想いにとことん向き合いたいという気持ち、作り手の負担を見る中で何かしたいという気持ちからだんだんコミット量が増した。
これから:ようやく進路決定
そしてここからは自分の進路のお話。
8月に日本へ帰ってきて、9月頃から色んな人に相談しながら悩む時期を迎え、10月にはいろんな選択肢も見え、アワードやりながら裏で来年どうしようとぐるぐるしていたわけですが、アワードの当日までに進路を決めると宣言。そして出た答え。
アワードを通じて人を支えることや熱量高い場を作ることの難しさや大変さと共に、それ以上に面白さを思い出した。やっぱり自分は人を支えていきたいし、人の根幹に触れていきたいし、困っている人の助けになりたい。そんな思いから、一言で言うと経営自走化に向けた経営者に対しての伴走支援をしていきます。アワードでは人を支えることにはもっとコーチングのスキルを磨く必要と共に、コーチングではない形の支えが必要性にも感じる機会が多かった。
その為、来年からはがっつり中小企業診断士として経営を学びながら、アクションコーチングという日本ではまだまだ浸透しきっていないかなりマイナーな部分のコーチングと、コンサルティングを担っていく予定。会社もまだ10年目、社員も4名程度の小さな会社で、完全フルリモート勤務なので仕事落ち着いてきたら時差の許す限り世界中を回る予定ですが、はじめの方は関東圏のシェアハウスかどこかでしばらくいようかなと検討中。こんな感じで、アワードの振り返りと進路の近況報告を終えます。
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