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コロナ禍でのコンサートに光を見る


読売日本交響楽団のサマーコンサートに行って来た。三大交響曲
未完成、運命、新世界
この手の演奏会は、安いし手抜きではないがそれなりの演奏で終わるのだろうと思っていた。
私のメンタルが大分回復したので気分転換で行った。
指揮者は最近デビューした新人 角田
しかし、しかしである。見事に期待を裏切られた。
素晴らしかった。読売日本交響楽団が全盛期の力以上を出していた。弦楽器が良くなっている。管楽器も木管楽器も良くなっている。
ソシアルディスタンスをとっているのでいつもは弦楽器奏者の譜面は二人に一人だったのが一人一人。実はこれがこの演奏会のポイントであることは間違い無いだろう。
私は、楽器を自分で演奏することも楽譜を読むこともできないが若い頃からレコード擦り切れるほど聴いている。
外国のオケのコンサートにも沢山行った。日本オケはそれなりに上手になったが個性、音色という点では海外の
オケに劣る。
ところが今日の運命を聞いて初めて感動した。運命はあまりなも有名過ぎて何回も聞いたがここまで感動したのは初めてだ。未完成の弦楽器の美しさ、新世界交響曲の牧歌的響き 読響の響きがこんなに美しいなんて。
ソシアルディスタンのためにまず弦楽器奏者は、今までなら聴衆に遠い側に座っている奏者が楽譜をめくっていたが今回は、みんな一人一人がめくっている。これは他人任せではない。
すなわち今までの聴衆側に座っていた人も同列ということ。めくる奏者の方がへたとは言い切れないがあながち間違いでもないだろう。全員が同じタイミングで譜面をめくる。緊張するだろうね。この緊張が演奏に関係していただろう。さらに管楽器も木管楽器も離れているので相手の音色を注意深くしていないと聞き取れない。聞き取れないとバランスが崩れる。このことはより音楽に対して深くならざる得ないだろう。
コロナで演奏ができなかったがやっとできた嬉しさ、喜びも奏者から感じられるし、指揮者もノリノリになる。
こういうのを調和と言うのだろう。コロナでダメダメと駄目押しされているけれど、だからこそ知恵を使って、持っている五感をフルに出すことができたら距離なんて関係ない。やる気だよ。力を合わせると言うのはこのことを言うのだろうなと演奏中ずっと考え、感動した。
コロナだからできないは、言い訳。できないなら他に考えて努力したら開ける。
役者、劇団、コンサート、ライブ、クリエーター、その他沢山の方々がもがいてる今、苦しけれど別の考え方すれば良いチャンス。それを示してくれたコンサートだった。

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