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韵歌を読んでみた

韵歌を読んでみた

韵歌概要

 韵歌(いんか)というのは漢詩の韵字を用いた短歌の事で、本稿では藤原定家さんが作っていたとされる一連の韵歌を取り上げます。韵字というのは漢詩で脚韵を踏むときに使う一連の文字グループで、韵を踏む為には同じグループ内の字を使わなければなりません。
 韵字については漢和辞典に載っているので現代の我々でも確認する事が出来ます。本稿は韵歌を作る話ではないので詳細に言及する事はしません。

本稿で扱う韵歌

 本稿で扱う韵歌は、藤原定家さんの自撰歌集『拾遺愚草』に収録されているもので、以下の2種類があります。

①韻歌百廿八首
②韻字四季歌

 ※「韵(いん)」表記について
  筆者は中国文献も直接読むため、本家に合わせて「韵」で統一しています。意味するところは「韻」も同じです。例外として、歌集名など固有名詞で「韻」を使っている場合は「韻」の字を採用しています。

韻歌百廿八首の実際

 では、実際に韻歌百廿八首が収録している歌をいくつか見てみましょう。それぞれ二首ずつ挙げておきます。日本語の読みは違っても、漢詩の世界では同じ韵グループに属する事がわかります。

韻字四季歌の実際

 韻字四季歌が収録している歌をいくつか見てみましょう。日本語の読みは違っても、漢詩の世界では同じ韵グループに属する事がわかります。

実際に読んでみて

 実際にいくつか読んでみて思った事は色々ありますが、考えてみるまでもなく、漢詩三千年、我が国にも奈良時代以前から入ってきているのに、先人たちが韵字を知らないはずはなく、漢詩(からうた)に対して和歌(やまとうた)を打ち出して歴史を積み上げてくる中で、韵を意識した和歌が作られていても不思議ではありません。
 さて、肝心の韵歌を読んでみた感想を述べてみますと、

 韵字を使った和歌。これ以上でもこれ以下でもない。

 これに尽きます。「だから何?」というのが率直な感想です。特定の文字を句中に織り込んだ和歌、というだけのもので、面白味を出す為には以下の点が物足りないのです。

①同じ韵字でも和歌と漢詩では読み方が違うので韻を踏んでいる様に聞こえない。
②多くの場合、和歌同士を対比してみても、日本語として韻を踏んでいない。

 つまり、韵字を使っていながら発音は少しも韵を踏んでいないのです。前述の韵歌の事例はそれぞれの韵で二首ずつ挙げてありますが、風(かぜ)と空(そら)、遅(おそ)と葵(あおい)、といった感じで音読みは韵を踏んでいますが歌としてそこは訓読みになっているので韵を踏んでいません。また、韵字は五句目のどこかに入れていればよく、日本語の文法としては句中だったり句末だったりするので韵を踏める様な対応関係もありません。

 ここが限界点かぁ、と思う反面、現代日本語の押韵方法を使って音的にも韵を踏んだ和歌を作れないか、考えてみる事にしました。もちろんすぐに結果は出せないので何等かの進展があればまたお披露目したいと思います。

参照文献

 本稿は、読書日記のようなものであり、テーマである韻歌そのものを解説するものではありません。詳細は筆者も参照した以下に見る文書をご欄いただく方がより正確に内容を把握する事が出来ます。

資料編

新古今和歌集の選者になった男

 藤原定家さんは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した人で、現代でも百人一首や新古今和歌集の編者として知られています。九条良経さんとは九条家に出入りする様になってからの付き合いで、政治的にも随分と引き立てて貰ったようです。本稿の『韻歌百廿八首』は九条良経さんの命で1196年に定家さんが独詠したものです。

藤原定家さん
(1162~1241年)
画像情報:
https://gashuu.hateblo.jp/entry/2022/12/22/145818

新古今和歌集を支えた男

 九条良経さんは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した人で、摂政、太政大臣にまでなりました。
 彼は政治だけでなく和歌、書道、漢詩も堪能で、新古今和歌集以外にも歌壇で活躍したほか、書道においてもその作風は後京極琉と呼ばれ、伝えられています。
 余談ですが、最初『良経』さんの名を見たときに、筆者は藤原良経さん(1001~1058年)の別名かと思いましたが、()内の生没年代を見ても明らかな通り、調べてみると全くの別人でした。藤原定家さんより百年も前に亡くなっています。

九条良経さん
(1169~1206年)
画像情報:
藤原豪信 - https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100235192/90?ln=ja, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.phpcurid=137254234による