ごんぎつね
小4の国語の教科書には「ごんぎつね」が昭和31年から載っている。
国民的な情緒的な無難な物語。
(時代の途中、中味が原文より変更があるとな。現在はほぼ原文になってると。)
この童話を読むと意思疏通のすれ違いの不幸を感じる。
どうすることもできない事への確認、結論がでないところに意味があるような。
そもそも意味を論じてはいけないような。
授業とは思ったことを言うと、正解不正解で分けられる。
先生によっては、今時は「それはいい質問だね」となるのかもしれない。
あまり深く思い悩んでも、それはそれで場にふさわしくない。
ごんはかわいそうという意見が普通。
子供も間合いを知っている。
ごんはかわいそうだけどいたずらしたからねそれがいけない、これもセーフ。
(オフコメ希望)
不登校で、読んでない子供もいるとどこかにあった。
それで、どうしたいのだろう…
意思疏通を積極的にとるとか、論理的思考へのアプローチするとかの市民権も必要だろう。
情緒で説明するとか、可哀想の言葉ですますとか、最後には 《~のくせに》と論理の飛躍やら破綻やら、一部の我を通したい人の、力で押しきる方法に対抗するにはいったいどうすれば良いのだろう。
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