見出し画像

BL考察2

ほほえましい というのが、BLのポイントなのじゃないだろうか。

角度はファンタジーで良いのだと思う。

それを取り間違えてはいけないと思う。

BLを、作品にしたい人に言いたい。

見守り、応援したいという観る側の立ち位置がある。

それを暴力やら 無理やり押さえつけるとかを加えると、台無しだと思う。
相手の意思を無視して、優位に立つところに快感を得るとかで 作品をつくるってのは願い下げだ。誰目線なんだろう。

テーマは、相手をどこまでも 思いやるという部分だと思う。

ブロマンスとBLの違いは と考える。
距離感が違うので、決意感が違う。

ブロマンスは親友との友情に焦点があり、BLは もどかしさと到達するための努力に焦点があるだろう。

男女間だと、支配する側とされる側の微妙な立ち位置がある。
そこに『愛』というカモフラージュが御旗を掲げる。
時にはゴリ押しをしたあげく、それもなぜか男らしさにすり替えられる。
男である事が、免罪符となる。
男であるために安易に得られる免罪符は、多い。
男性は自分に有利なので気が付きにくい。
それどころか「女なんだから」という適当な論理性に欠ける考え方を持ち出す。
低める発想の他に、理想を押し付け持ち上げるというのもある。
女性を女神扱いで、女性の個性を薄める。
個性のある自分勝手なのは、悪女の役割分担だからと。
女性も物分かりのよい 他人の望む女性像に合わせる。 

BL作品では女性は脇役モブなので、葛藤が少ないので腹が立つことも少ない。

小説を読んでいても男性がつくる 女性の役柄のご都合主義的側面に違和感を感じてる。
女性の作家で、慣れ親しんだ女性の位置に疑問を持たずに 名誉男性のていで書いていても気付かない。
気付けよとか言いたい。
これはマイノリティの人が感じる悲哀と通じる。
子供の頃に『ロビンソンクルーソー』を読んでいて、フライディという黒人が彼に助けられる。
そして、従者になる。
という箇所で、呆然とした。
友達じゃないんだと。
あの時の衝撃が大きかった。
記憶では、フライディが膝まずくんだったと思う。

きっと、こんな隔たりが男女の立ち位置にも存在している。
男尊女卑がそこにあっても気付かない。
でも、これを分かりあえる人は少ない。

そしてBLだが、このファンタジーは女性が主な読者という事で私の中であれこれ考える とっかかりとして興味深い。

BLでは、男女間の感情や行動が焼き写しの部分があるが 参考にするべきものが漠然としてるために起きた便乗的な設定ではないだろうか。

BLでは、片方が女装したりしないしオネエ言葉も使わない。
これも理解していない作成者が誤解して、お約束違いをしてしまう。

この頃は少ないとは思うが。
このオネエ言葉で笑いをとるなんてバカな事までされると、一挙にシラケる。
笑い者にしてやろうというのは、クズの発想だ。
(劣等感の補償行為に過ぎないよ)

片方が片方の面倒をみるという設定や 甘える甘えさせるという場面があるが、これは疑似的母子関係と考えられないか。

幼児期に満足していない肌接触の補いという面が、あると思うのだが。

この辺も考察したい。





この記事が参加している募集

#とは

57,808件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?