🥫🧴雪の反射光_宮田愛萌
idol|(名)〔実態のない〕虚像、幻想
わたしにとって愛萌ちゃんはまさに"アイドル"だった気がする
薄氷
わたしは第2次日向坂ぶりっ子ブームの最中に日向坂に嵌まったといえばこの段落の7割が伝わると思います
あざとい女の子が好きなわたしは当然のように愛萌ちゃんに惹かれて、すぐにがな推し時代の柿崎 芽実ちゃんとのぶりっ子対決に行き着きました
あざといから想起されるアクションを武器にする芽実ちゃんに対して、芽実ちゃんが言うように所作にあざとさや色っぽさが詰め込まれた愛萌ちゃん
同じカテゴリでちがう性質の対比が好きなのでぶりっ子対決、本当に何回も見たなあ
求められる"アザトカワイイのプロ"をちゃんと演じきる所が凄いなあと思ってたんですけど、そもそもアイドル"宮田 愛萌"を演じてたんだなあと今になると思います
たぶんここまで読んだ人は察してると思うんですけど、愛萌ちゃんが見せてくれてた「アイドルとしての愛萌ちゃんの輪郭」が好きだった
愛萌ちゃんに惹かれたのはアザトカワイイからだけじゃなくて、そういう「宮田 愛萌ってこういう人」っていう輪郭を提示することに優れてたからだと思います
愛萌ちゃんはこっち側をわかった気にさせるのが上手
お淑やかだけど早口ヲタクの素質もあって丹生ちゃんのことが大好き
ダンスとか歌とかは自信なさげだけど、それでも魅せ方が上手いからカバーできる
(当時のわたしはもっとわかった気でいたけど、今じゃ霞んじゃってあのときどういう人物像を思い描いてたかすらわからない)
そんな風に見えてたけど、活動休止
卒業を踏みとどまって休業を選んでたなんて1mmも思ってなかったです
だって休業中なのにブログを更新してくれたり、美穂ちーの卒業発表があったときのブログを読んだときは全然そんな風に見えなくて
アイドルとしての"宮田 愛萌"を見せるのが上手かった
その幻影を作ることを辞めたり、わたしたちをわかった気になってた輪郭を壊したりしてたのが休業明け
それが愛萌ワールド全開で趣味の話をするだったり突然ポッカリ空いた服を着るだったり(笑)
そしてそれを「お淑やかなのにあざとい」愛萌ちゃんのことが好きだったわたしは受け止められなくて、
所詮、愛萌ちゃんが「こういうの好きでしょ?」ってファンにとって都合良いように見せてくれてた愛萌ちゃんのことが好きだっただけなことにちょっと罪悪感すら覚えてる、未だに
それでも好きだったもの
でも好きだったものが全部が幻想だった訳じゃなくて
同期の前ではおねえさんだけど、先輩の前では後輩の顔になったり
先輩や同期には愛萌さんって呼ばれたがるのに、後輩には愛萌ちゃんって呼ばれたがったりする姿
1・2期生から愛萌ちゃんへの卒業ブログから読み取れる唯一無二の存在感とかビブス事件に垣間見える後輩への愛情とか
グループ内での立ち位置とか相関図とか最後まで本当に見えなかったし、愛萌ちゃんに関しては凡ゆることが曖昧でぼんやりとした言葉になっちゃうんだけど、でもそれでも確実にその中に収まってるだろう何かがあったよね
あと確実にわたしが好きだったのは簡単な言葉の連なりで紡ぐのに賢さを感じる文章
1番好きなのは
「子どもの決意が紙よりも軽いのならば、
少女の憧れは石よりも強いのです。」
憧れの強さを表現する機会ってあんまないのにこんなにぴったりな言葉を嵌めてくる
前後の文章、コーヒーが苦手だけど憧れだったから頑張って飲み続けたらカフェラテなら飲めるようになったみたいなニュアンスのむちゃくちゃ他愛もないことなのに、このワンフレーズが挟まるだけで一気に物語感出るのがなんかもう(語彙力)
あとねメンバーに向けて詠む短歌、すごく好きだった
わたしがリアルタイムで見ることができたのは
好花ちゃん休業に際しての「明日のなか見つけ好ましあいの花」
美穂ちー卒セレに際しての「柔らかい陽が差し込んで君になる手を伸ばしても届かないけど」
の2つだけだったけど
愛を敢えてひらがなにしたのは自分のこと("愛"萌)と切り分けて表現したかったからで、敢えて引っかかりをつくるために愛だけ開くんじゃなくて「中」も開いたのかなあ、とか
"手を伸ばしても届かないけど"に2人の関係性だったり、たぶんタイプのちがう美穂ちーへの憧れに似た感情だったりを表してるのかなあとか
そういうことを勝手に考えられる奥行きがあるから短歌って良いよね
あと愛萌ちゃんの短歌は手を伸ばす仕草が多い気がしていて、色んなものに興味があってなりたい自分像がいくつもあるのかなあなんて思いを馳せたりしてました
そんな愛萌ちゃんのブログの終止符の打ち方が綺麗でわたしは好きでした
(意図した構成ではなくて結果論なので、もっと書きたかったっていう本人の気持ちや、もっと読みたかったっていうファンの気持ちは蔑ろにしちゃいけないものですが)
そのあといくつかブログが更新されて最後の卒業発表ブログ
この時点では卒業の時期もブログの更新の可否もわからない状況だったのに、綺麗に詠んで卒業して行ったなあって
ここで更新が止まってしまうとは思わなかったし、きっと愛萌ちゃんもそんなことは夢にも思ってなかった思うけど、奇跡のような偶然だったなあ
年忘れの月に忘れられなかった言葉
卒セレでの愛萌ちゃんの言葉
リアルタイムではうまく受け取れなかったんです
激しい主張はしないけど静かに訴えかける人だと思ったら、最後に威力強めのものを置いて行ったなあと
正直、愛萌ちゃんがドレス着れた姿を見れてそういう場を作ってもらえる事が意外だったからそれだけで嬉しかったんだけど、結構そうじゃない人も多くて
誰も置いて行かない日向坂でも全員に素敵な花道を作れる訳じゃない
この歪みを最大限に露呈させて行ったのにとどめの言葉が「なんか、日向坂になってよかったかも!」
理想のアイドルの姿を見せることを辞めて、素直に気持ちを吐露しない天邪鬼さを知っているつもりでも、たのしくライブを観た後に聞くには辛い言葉の数々
賢い愛萌ちゃんなので使う言葉にも伝える内容にも、ただの気分じゃなくて自分のためなのかメンバーのためなのかファンのためなのか、何か込められた想いはあると思ってはいる
でもそれが何かわからなくて噛み砕けなくて
ああ、やっぱ指と指の間から愛萌ちゃんの輪郭が溢れていくなあって感覚でした
雪解雨
休業明けにアレ?って思うことが増えても、卒セレに至るまでに色々波乱を巻き起こしても愛萌ちゃんのことが嫌いになった訳じゃありません(他のメンバーと比較して「愛萌ちゃんの今まで」よりも大きなことを望むファンには辟易したけど)
日向坂で会いましょうの卒業回、最初のアー写と同じツインテールで出たり、余裕綽綽なようでよく見るとちょっと力が入ってて涙を堪えてたように見える顔を見たり、、
そういう所を見るとやっぱ日向坂に愛情があったのはわかるし、休業前のサービス精神旺盛な愛萌ちゃんは愛萌ちゃんがなりたかったアイドル像で、休業明けはなりたいものと体調がついてこなかったからスイッチをオフにしていたのかなとか思って
なりたい像とできることのギャップ、しかも前はできてて休業を経てできるようになることを目指してたのに諦めることを余儀なくされた
日向坂46に居たくて未練を持ってくれてるからこそ、その焦燥感と葛藤に苛まれてたからこその卒業までの棘々期間
今まで優等生アイドルだった愛萌ちゃんのちょっとした八つ当たりだったのかなあ
12月から2月までかかってしまったけど、「日向坂46 宮田愛萌 卒業式」でやっとここに辿り着きました
「微笑んでた 君がある日 振り向いたら泣いてた」のが休業前
「僕が思ってるよりも 泣いてる君は遠くにいた」のが休業後
飛行機雲ができる理由を知った「僕」のことを責められないくらいに気づくのが遅過ぎる
そう感じたときからわたしにとっては美穂ちーだけじゃなく愛萌ちゃんの卒業ソングにもなりました
愛萌ちゃんの最後のフル参加mvだしね
きらきらし
きまぐれで千変万化な愛萌ちゃん
我儘なお姫さまなように見えて実は周りのために色んな我慢をしてるアニメのヒロインみたいだなあなんて感じました
わたしが好きだったのは「日向坂46 宮田愛萌」として振る舞ってくれてたアイドルの愛萌ちゃん
だからこれから先のことはあまり知らない事になると思います
芽実ちゃん卒業後も美穂ちーがぶりっ子選手権をやってくれて、その企画ができたのは愛萌ちゃんが居てくれたから、わたしが日向坂に出会えたので
感謝の気持ちと幸せを願う気持ちはずっと有るんだろうなあ
日向坂46 2期生最年長
みなさんのハートを萌えさせる和風娘
愛萌ちゃんがこの看板を下ろすのは寂しいけど、愛萌ちゃんのこれからがキラキラしていますように
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?