自分を大切にの誤解
自分を大切にできているかの判断基準の点からすきなことができている、やれているかを考えてみたい。
自分、自己肯定感、自己充足、自己理解について自分が好きだと思っていることをやれているかの切り口から考える。
ここではイラストをかくことを据える。
そもそもそれが好きなのか未来が不安なだけなのかは自ずとわかる。
自分がやりたいことをやれていない場合、既に自分を肯定して自己充足できていると考えることも出来る。
そんなバカな、私は全然満足してないと言われるかもしれないが、今のポジションに安定していることは十分考えられる。
―それじゃ嫌なんだよ、こんなにやりたいのになんでできないのか悩んでるから自分がわからない……。
乖離が起きている。2人の自分が綱引きをしている。やりたい自分は未来を考えて心配しているのだろう。やりたくない自分は今に充足しているのだろう。
どうするか?
やるかやらないかよりも、やりたい人の母数に対して継続できている人の方が少ない事実からどんな形でも継続した方が得策では?
イラストをかくのにイラストが好きである必要はないと認めてしまえばいい。かいてるうちに好きになることもある。自分は知らないんだ何もという姿勢はお得だよ。見聞きする何もかも新鮮で素晴らしく思える。それらに劣等感を持たずにただすごいとおもえる。
何でもなぜ?どうして?と子どもは聞いてくるけれど圧倒的な知識欲でなんでも吸収しちゃう。
やりたいことをやるのに理由や条件が必要になったのは、私が社会化したからだ。人間の間に生きるようになったからだ。
三日坊主になっても4日目5日目にまた始めればいい。
レッドオーシャンと言われるイラスト業界で継続できる人が少ないから教本が次々売り出されコレクターが群がる。そのうちの何人が最後まで実践するのか。
教本はアプリの操作方法だけ教えてくれればいい。好きなら勝手に手が動くはず。そうならないのはイラスト描くのが好きなんじゃなくて未来が不安だから。
「でも、漠然と成功することばかり考えてると辛くなっちゃいますもんね」(PAさん)
自分の心が潤うことに敏感になって欲しい。
生活費なんていざとなればなんとでもなる。
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