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『インテリジェンス ─国家・組織は情報をいかに扱うべきか』を読みました

積読崩しで『インテリジェンス ─国家・組織は情報をいかに扱うべきか』を読みました。

本書で論じられるのは国家・組織(情報機関)での情報の扱い方なので少々極端な例ですが「組織での情報の取り扱い方について考えるにあたって参考になるかも」とページをめくりました。


読書メモ

単なるインフォメーションから一歩踏み込み、インテリジェンスは「意思決定の材料とすべく判断・評価が加わった情報」のことです。
CIA による「国家にとってのインテリジェンス」の定義は以下のとおりで、国益のため、わかりやすい例だと戦争を有利に戦うための手段として発達してきました。

最も単純化すれば、インテリジェンスとは我々の世界に関する知識のことであり、アメリカの政策決定者にとって決定や行動の前提となるものである。

小谷 賢『インテリジェンス ─国家・組織は情報をいかに扱うべきか』(筑摩書房 2012) P.15-P.16

スパイから始まるインテリジェンスの歴史や情報ソースの分類、あれやこれやの秘密工作の手口が事例つきで説明されており、読み物としても面白いです。


インテリジェンスを提供する「情報サイド」、それを利用して意思決定する「政策サイド」の分離の遍歴が興味深かったです。
お互いの距離が遠いとインテリジェンスが政策サイドへ届かずに失敗(受け入れてもらえない)、近過ぎると情報サイドが忖度したインテリジェンスを届けるようになり失敗、最終的に「組織としては分離するが、緊密にコミュニケーションをとる」運用になった、と。
情報サイド、政策サイドの双方に「情報の失敗」を起こす原因があり、その構造的な問題や事例にうなずくばかりです。
情報サイドの長は正確なインテリジェンスを政策サイドに売り込めるだけの能力も必要で、そこは「政治力学や人間関係といったアートの領域」という論旨にも納得しました。


インテリジェンスには「秘密」の取り扱いがついて回りますが「『秘密』をどう定義するか?」という話も参考になりました。欧米が「形式秘(ラベリング)」の運用を主流としているのに対して、日本は「実質秘(自然秘)」を重視してきとのこと。

日本では戦前から実質秘(自然秘)という考え方があり、これは「秘」の印の有無に関わらず、誰がみてもそれが国家機密にあたるものは秘密であるとする考え方である。

小谷 賢『インテリジェンス ─国家・組織は情報をいかに扱うべきか』(筑摩書房 2012) P.163

意図はわかりますが、バックボーンの異なる関係者が増えて判断基準のバリエーションも富むようになると運用が難しくなるよな、と感じました。基準が曖昧なため「秘密にすべき情報を公開してしまう」ばかりではなく、「他部門に共有して良い情報も非公開にしてしまう」など情報の流動性を妨げる効果もあるようで、使い方がなかなか難しそうです。
一方の「形式秘」は運用時の明確さがメリットではありますが、「漏洩時のリスクを回避するために、とりあえず "秘密" のラベルをつけてしまう」傾向があり、「秘密」の情報量が膨大になりやすいそうです。

「秘密とすべきか、否か」が明確に判断でき、かつ誰もが利用可能なロジックがあれば…


おわりに

たまたま「攻殻機動隊」を見返し始めたタイミングだったので、世界観がリンクしてより楽しく見れています。
いま草薙少佐が「少し揺さぶりかけてみる?(ニヤリ)」と言ったところです。情報戦が熱い。

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