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羽のように軽いエッセイ

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深みも学びもない、でもちょっと笑える軽いエッセイ。まじめな話に疲れた方におすすめ。
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AIの力を借りて「ぬり絵」作りに挑戦

画像生成AIで遊んでいたら、昔子どもたちのためにぬり絵を自作しようとして失敗した時のことを思い出した。 うちの子たちはぬり絵に対する情熱が熱すぎて、ぬり絵本を買っても買ってもすぐに塗り終えてしまう。塗れば塗るほど技術は上がって塗る速度は速くなっていく。 私はぬり絵本を供給する側として、週末が来るたびに本屋をまわって新しいぬり絵本を探し続けなければならなかった。 そんなぬり絵探しの日々に疲れた私は「見つからないなら描くしかない…!」と自らぬり絵を生み出す方法を考えるようにな

スイーツの香りで脳をだます。フラペチーノよりも甘かった私のダイエット作戦

私はもうダイエットができない体なのかもしれない。 勉強や運動ならば続けていればいつかは成果が出ると信じることができる。だけどダイエットについては何年続けても成果が出る気がしない。 だっていろいろやってるのに体重が三ヶ月前から変わっていないのだもの。 ダイエットを成功できるのは、神に選ばれし限られた者たちだけなの? それとも私のダイエット神への信仰心が足りないの?? 食事の前には「このカツ丼のカロリーがゼロになりますように…」と祈り、体重計に乗る前には「なにかのはずみで体

我が子に海外旅行の魅力を伝えるために架空の旅行写真をつくる

家族で海外旅行に行きたい。 ハワイとかヨーロッパとかタイとかオーストラリアとか家族で行ってみたい場所がいくつもある。行く気もあるし休みも取れそうなのだけど…問題は子どもたちがカケラも興味を持ってくれないということだ。 あの夢の国ディズニーリゾートですら「まだいい」と断る手強い娘たちである。このままではディズニーリゾートの楽しさも海外旅行の楽しさも知らないまま大きくなってしまいそうで不安だ。 どうにかして興味を持ってもらい、みんなで旅行に行きたい。 楽しそうな旅行写真を見

名探偵になるためだから

年齢を重ねるにつれ、何かを続けることの大事さというのをひしひしと感じるようになる。今の自分に残っているものが「やめなかったこと」だけだと分かってくるからだ。 そうなると何かを新しく始める場合も必然的に「長く続けること」を前提として考えることにわけで、長く続けるとなると当然それなりに時間なりお金なりを使うことになるわけで、結果それを始めることが今後の自分や家族の生活にどのような影響を与えるかを考えたり話し合ったりして決める必要が出てくるわけで…。 時にそれが家族との絆の強さな

君になら踏まれても

先にお伝えしておくと、これは私の「女性に顔を踏まれたい」という性癖をカミングアウトする話ではない。また、以前書いたお話で開きかけた「裸足フェチの扉」をさらに大きく開け放ったという話でもない。 なのでどうか安心して読み進めてほしい。 人に顔を踏まれるという状況はなかなかないと思う。 ないと思うけども、もし踏まれたらたいていの人は怒るはずだ。「人の顔を踏むなんてどういうつもりだ」と。私だって怒る。 さっきまではそう思っていた。 それはついさっき踏まれることの喜びに目覚めちゃ

洗濯機はプレッシャーを感じない

ここ数日間、我が家の洗濯機に引退を勧めている。 ゴトゴトとまわる洗濯機の前で「君はもう十分働いた」「毎日働き続けて疲れただろう」「後のことは任せろ」と執拗に声をかけ続けている。 聞こえているのかいないのか、今のところ一向に退く様子がない。 私がなぜこんな部下に早期退職をせまる上司のようなことをしているかというと、最新型の洗濯機を導入したいからだ。 洗濯という家事は大変めんどくさい。 洗濯機をまわし…終わったら洗濯物を取り出してハンガーに通し…外に干して乾くのを待ち…乾い

好きなものをキャラクター化してみたら

「はたらく細胞」が実写映画化されるらしい。佐藤健が白血球になって暴れまわるというだけでもう面白そう。 原作漫画が発売された当時は「細胞の擬人化」という斬新な設定が話題になった。それから10年くらい経った今はあらゆるものが擬人化、キャラクター化される時代である。私が住んでいる市にはご当地ゆるキャラがいるし、近所を走るモノレールは萌えキャラになっている。 現実では極小の白玉団子にしか見えない白血球も、擬人化されて佐藤健になれば途端に面白くなる。作者と佐藤健がすごいだけのような

私はメキシコに行きましたか?

記憶というのは、それが遠い過去であればあるほどぼんやりしてくるものだ。40代にもなると幼少の頃の記憶なんてもはや、ラノベで異世界転生した主人公が高熱を出して思い出す前世の記憶と同じくらい曖昧なものになっている。 そんな幼少期の記憶らしきものをふとしたきっかけで思い出したとしても、それが本当に自分が体験したことなのか、それとも誰かに聞いた話なのか、はたまた風呂で妄想したものなのか…確信なんて持てない。 いや幼少期の記憶どころか、1年前の記憶ですら危うい。 ついこないだも「こ

とびら開けて

ねえ、ちょっとおかしなこと言ってもいい? というのはディズニー映画「アナと雪の女王」の序盤でアナとハンスが歌う「とびら開けて」という曲の歌い出しの歌詞だ。しっかり覚えている。何回も聴かされたから。 アナ雪はうちの娘たちが大好きなディズニー作品である。 そして先日ディズニーシーで新しくオープンした「ファンタジースプリングス」にはそのアナ雪のエリアがあるらしい。 アレンデールに行けると聞けばさすがに出不精の娘たちも飛びつくことだろう。そう思って誘ってみたのだけど…まだいいと

娘心と春の空、そして消えたカスタードパイ

人間として40年、親になって10年以上が経つベテラン大人だが、それでも先のことを読むのは難しい。特に天気と娘の気持ちの読みはだいたい外してきた。 私は基本的に在宅勤務なので会社に行くのは年に1、2回くらいだ。しかしなぜかそういう日に限って電車が止まったり大雨が降ったりと何かしら問題が起こり、気持ちよく出勤させてくれない。 今日はまさにそういう日、今年初の出社日なのだけど、外に出たら土砂降りだった。 晴れる日の多い5月を選び、週間天気予報でチェックもしていたのに、そんなの関

たまごサンドのお願い

思春期の子どもと暮らしていると、お願いを聞いているのに怒られる、という理不尽な扱いを受けることがままある。 質問をしすぎると「断る理由を探してるんでしょ!」と誤解して「もういい!」と怒って行ってしまったり、何も聞かずに「いいよ!」と答えれば「投げやりになっていない?ほんとはいやなんでしょ!もういい!」と早とちりして怒って行ってしまったり。 こうして思い出すと、いやまずもう少し機嫌の良い時に来なさい、と言いたくなってきたが、とにかく素直に受け取ってもらえないケースを考慮して

思い出させないで、笑っちゃうから

ある日の夕食がそろそろ終わろうという時間、私はちょっとした危機に瀕していた。 思い出し笑いに襲われたのだ。 少し前に読んで笑ったエッセイの内容を思い出してしまい、笑いがこみ上げてきて吹き出しそうになった。どうにかギリギリのところでこらえ、ニヤけた顔を家族に見られないようにしながら「ンンッ」と咳払いでごまかした。 ちょうど食事が終わって皿を下げにキッチンに向かうところだったから良かったものの、もし娘たちの目の前で急にニヤニヤしたりしたら「パパのキモいところ」リストにまた1つ

新しいカバンは選べない

残念ながら私はカバンを扱うセンスを何一つ授からずに生まれてきたらしい。センスがないのはカバンだけなのか?と聞かれたら他にも思い当たるものはたくさんあるのだけど、とりあえず今日はカバンの話だ。 先日家族で私のカバンを買いに出かけた。 パパのカバンを買うだけなのに妻も娘もついてくる。一見とても仲良しな家族に見えるが(別に仲が悪いわけではないが)、妻娘がついてくるのは休日をパパと過ごしたいだとか、パパにカバンをプレゼントしたいだとか、そういうプラスの理由からではない。私にカバン

先生、テニスがしたいです

私はテニスというスポーツが好きだ。 狙い通りの場所にボールを打てた時の気持ちよさ、パコンという心地よい打音。サービスやスマッシュが決まった時のかっこよさ。何よりテニスという言葉から連想される爽やかなイメージ。 日頃スポーツ観戦をしない私もテニスの試合なら観ていられる。 趣味はなんですか?と聞かれた時に「週末に家族や友人とテニスを楽しんでいます」と答えれば、それだけで信頼され好感を持たれて、友達も増えそうではないか。 テニスをすれば今の私に足りないものがすべて手に入る。