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「こうすれば上手くいく」話は響かない

突然ですが「楽しい熱帯魚」という雑誌をご存知でしょうか?
白夜書房から2013年くらいまで発刊されていたアクアリウムという若干ニッチな趣味を扱う月刊雑誌です(現在は休刊中です)。

その雑誌に「僕たちの失敗」というコーナーがありました。

読者のお便りによる失敗談の投稿で成り立つ頁で、
アクアリウム関係の失敗を面白おかしく紹介する人気コーナーでした。

例えば、

(失敗投稿その1)
 エンゼルフィッシュとネオンテトラをショップで購入
 ルンルン気分で一緒の水槽で泳がせた翌日、水槽を見ると
 お腹がうっすら赤と青に染まったエンゼルフィッシュだけ泳いでいた!
   (群馬県 ペンネーム エンゼルではなくデビル さん)

だとか

(失敗投稿その2)
 癒しが欲しくて始めたアクアリウム
 水槽の置き場所は奥さんの許可を取って玄関の靴箱の上に決定!
 癒し空間を得たのも束の間、次の朝には靴箱の引き戸が開かなくなった…   
  (京都府 ペンネーム おうちに居場所ないのに外でれない さん)

みたいな、わかる人にはわかる読者の自虐失敗談が白黒2ページくらいで毎月20個ほど紹介されていたと記憶しています。

この「僕たちの失敗」はインターネットがなかった時代、当時小学生で両親が飽きてしまったアクアリウムという趣味を引き継いだ私にとって大変貴重な反面教師で、特に大きな失敗もせずにアクアリウムという趣味を楽しむことができました。
(でも水漏れでフローリングの床をバリバリにしてしまったことがあったっけ)

そんな私も大人になり、仕事で上司や研修などの「こうすれば上手くいく」的な話をされることも、することも増えていく中、その「響かなさ」を身にしみて感じることが増えてきました。(皆さんもそういった経験ありますよね?)
そんな中、子供の頃に読んだ「僕たちの失敗」の有用さを思い出すに至ったわけです。

「僕たちの失敗」の有用さを分析すると以下3点かと思います。

①人の失敗談は単純に面白い
②失敗がなぜ起きるかの解説はあえて書いていない
③失敗を失敗と認識しやすくなる

1つずつ解説したいと思います。

①人の失敗談は単純に面白い

皆さんは熱帯魚に興味がありますか?
興味がないのに上記のエンゼルフィッシュやら靴箱開かない問題の「失敗」はなぜか気になって全部読んでしまったのではないでしょうか?
(頑張って読んでいただいた方はすみません)

逆に「こうすれば上手くいく、熱帯魚飼育のコツ」みたいな成功談を読みたいと思いますか?
熱帯魚に興味があれば読むかもしれませんが、熱帯魚に興味がない人にとって、成功談も失敗談も自分の人生には何も関係ないはずですが、なぜか失敗談には興味が出てしまうのが人間の性だと思うのです。

人は誰だって「何だって」失敗したくないと思っているはずです。
「人の振り見て我が振り直せ」とか「反面教師」とするために自分が興味のないジャンルでも他人の失敗談には興味をそそられてしまうのだと思います。

②失敗がなぜ起きるかの解説はあえて書いていない

この「僕たちの失敗」には失敗の原因の解説はありません。
わかる人だけクスリと笑える作りになっているのがポイントです。
よって読者が面白さを感じたければ自分で原因を考えたり調べたりして理解できるようになる必要があり、それは落語やクイズの答え合わせのような楽しい側面を持っていたように思います。

では逆に「こうすれば上手くいく」というような成功談だとどうなるでしょうか?
成功談を聞いた時、恐らく多くの人が「感心して終わり」ではないでしょうか?
「そんなの自分には無理」だったり「限られた条件ではそうなんだろう」がセットになっていることもあると思います。

また、成功談は聞いてみると「当たり前のことを当たり前に実行する」ことがほとんどだったりします。
例えば「早寝早起きして腹八分目、適度な運動をすれば健康になる」といったことです。
ハイハイ、そんなのわかっていますよ、ということで全く楽しくありません。
「わかっている」だけで「できるわけではない」のですが聞き流してしまいます。

③失敗を失敗と認識しやすくなる

人間は「自分に甘く他人に厳しい」という側面が誰しもあると思います。
他人の失敗は気になるけど、自分の失敗は自分への甘さ故に「失敗とすら思わない」ということがあるのではないかと。そしてそれがポイントになってきます。

例えばダイエット中にお菓子を食べてしまった「自分」に対して失敗したと思うかというと、大抵そうは思わないようになっています。何らかの言い訳があり、食べることが必要だったと都合よく自分を納得させるからです。
一方、「他人」がダイエット中にお菓子を食べてしまったら、理由はどうあれ失敗と思うのではないでしょうか? 人間誰しも他人には厳しいものです。

同様に、腹八分目を成功談として話す「他人」に対して、あなたは成功談ではなく「当たり前の話」として聞いてしまうのではないかと思います。
その「当たり前の話」である腹八分目を自分ができていなくても、人間は自分には甘いので失敗と認識できず、お腹いっぱい食べてしまう習慣は続いていきます。

つまり、人間は自分が失敗するよりも他人の失敗の方がはるかに感情的に「失敗」だと認識することができるということを言っています。
皆さんも「人の振り見て我が振り直せ」とか「反面教師」の方が自分を変えるモチベーションが高くなりやすいことは実感としてないでしょうか?

最後に

「こうすれば上手くいく」話(略して「こううま話」)をするよりも「僕たちの失敗」話の方が相手に響くという話でした。
ですがここまで読んでいただいた皆さんはお気づきだと思います。
上記もある種の「こううま話」です、最後に以下で締めたいと思います。

(失敗投稿その1)
 仕事のコツとか心構えを「こううま」だよって後輩に伝えて上機嫌
 でも翌日確認してみたら後輩何も分かってない!
 上司に愚痴ってみたものの「お前もそうだろ」の返事あり
   (静岡県 ペンネーム やっと上司の気持ちが分かった さん)

以上、私のnote初投稿でした。
これから今まで人生でやらかした失敗を面白おかしくnoteに投稿していけたら良いと思います。
そうやって失敗投稿というジャンルが定着し発展していけたら良いなと思います。
賛同いただける方、面白かったという方は、よかったらフォローしてくださいね!

それではまた次回お会いしましょう!

#僕たちの失敗
#こううま話

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