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47歳の挑戦 ~情報処理技術者試験~

本日から7年2か月に渡り携わってきたプロジェクト業務が完了し、現在は終結に向けて残務処理を中心としていましたが、この職場から離れることになり、組織全体を見渡す仕事に異動となりました。

「仏造って魂入れず」にならぬようとは、プロジェクト初期の直属の上司がよくお話をされていた言葉ですが、いままさにハードが出来上がりましたので、ソフトの充実に力を注いでまいりたいと思います。

今よく言われている自治体DⅩとか、ソフト面ももっと並行して進めていくことができたらよかったんですけれども、いや、なかなかそこまで力が足りないというか体力が持たなかったというのが本当のところです。

わが社はもともとプロジェクトを推進するような職種ではなく、民間IT企業やゼネコンのようにプロジェクト開始前から、綿密な資源マネジメントを作るということはあまりやらないのです。なので、民間だとプロジェクトマネージャーが、一定の仕事をするというために、まず、それなりの人的資源を確保してもらってから、その業務を引き受けるというような業務プロセスを経るのでしょうけれども、わが社ではそのようなやりとりはなく、紙一枚で号令を出されてその職場に赴きます。
むろん必要な人的資源の確保などは求めていくことはできるけれども、それは事前に話し合うのではなくて、事業を進める中で不足すれば求めていくというやりかたになります。

そこには、プロマネを引き受けるかどうかというようなプロセスはないわけです。ゆえに責任が曖昧になるという面は否めません。それと必要な人的資源が不足していても、今いるメンバーで頑張ろうとします。つまり、勤務時間外の勤務などでその不足分を解消させようということになります。

若いころや、この仕事へ異動してきた頃には、まあまあそうやって少し無理を掛けながらでも頑張ってこれたものですが、いよいよ体力が衰えてきたなぁと言うのが実感です。だから、もうちょっと自分の仕事の仕方も変えていかないといけないとも思っているところです。

さて、タイトルにもありますように「情報処理技術者試験」については、学生時代にも挑戦をしたことがあります。大学とは別に資格試験対策の講座を受けていて、当時は第1種、第2種と呼ばれていたのを覚えています。

当時は試験用の言語と言うのでしょうか、CASLという言語を覚えて試験対策をしていました。結局第2種試験は一度受けて、不合格だったもので、その後、就職活動シーズンに入ったので、勉強は継続しませんでした。

それでも、当時からhtml言語を直接入力してホームページを作成したりして、サイト作りのお手伝いやメルマガを作ったりとか、結構詳しい方と毎週土曜日の朝集まっていろいろやってました。

まあ、そういうこともあって、まったくのPC音痴ではないわけです。かといって、何か特別武器になるということもありませんでした。

17,000㎡を超す建物を作るという中では、このPC系に関する知識としては、ネットワーク(NW)についてもっと知っておけばよかったなと反省をしていmす。また、ICカードによる電子錠などの運用を検討する中で、データベース(DB)についてももっと見識が深ければよかったなぁと思いました。

そのたびに「高度情報処理技術者試験」の本を買って読んだりして、知識の定着化と全体像を把握するのに役立てていました。局地的にはNWやDBの知識は重要だなあと思いましたが、全体を通してで言えば、やはりプロジェクトマネジメント(PM)の知識・知見があればよかったなぁと反省をしています。

文系がIT系で力をつけて役に立つレベルになれるなぁと感じるのは、このPMかストラテジスト(ST)なんだろうと思っています。

さて、わが社でも「情報処理技術者試験等に対する補助制度」が創設されることとなりました。これはDⅩ化を進めていく人材を増やしていくためのものです。

かつて挑戦したまま資格が取得出来ておらず、いまや、第1種や第2種なんて名称も残っていないわけですが、あらためて挑戦をしていきたいと思っています。

こんどの秋試験に向けては残り約4か月です。いきなりレベル4のPM試験を受けるのは無謀なのかなあとも思ってみたりしています。言うても中小企業診断士一次試験経営情報システムは70点超えで受かっているので、基本情報技術者(FE)レベルくらいはすでにあるのかなぁ、それに加えて論述試験慣れしていて、いちおうプロジェクトにも携わってきたことから、挑戦してもいいんじゃないかって思っています。

試験申し込みギリギリまで待ってみて応用情報技術者(AP)にするかPMにするか判断して、残り時間を思いっきり勉強してみたいと思います。

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