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43歳の休日 〜さとうきび企画4 新しい発見〜

こんばんは。今日はとても嬉しい報告をいただきました。
以前に、下のさとうきび企画2の中で、高祖父”民蔵”の話をさせていただきました。そのさらに一代前の名前がわかったのです。

以前にわが町の民生課に民蔵の戸籍を出して欲しいと頼みに行ったことがあります。除籍になってから150年前まで遡ることができるわけで、高祖父は明治11年5月没ですから、西暦で言うと1878年(ちょうど、大久保利通内務卿が暗殺された時期が5月のことで、その後、るろうに剣心では、緋村剣心と志々雄真実が戦った年となります。)なので、残っていそうなものですが、「ありません」という以上の情報は何も出てきません。結局、曾祖父民吉の戸籍があって、民吉の父親が民蔵であることがわかるまででした。

今日送っていただいた資料は、「芝生村最初の戸籍簿」です。江戸時代には正式な戸籍はなく、地域のお寺に人別帳というのがあって、お寺で管理をされているものが残っているかどうかというものです。

明治時代に入り、新政府は、新たな国造りを始める手始めとして、明治5年に新政府が戸籍簿作製に力を入れていまして、その当時のものだろうということです。

当時の戸籍簿は戸主とその尊属だけが記されたもののようですが、戸主原民蔵、松井留蔵(長男)と書かれています。

”留蔵”さん

初めて聞きました。トメさんやん!アメリカ横断ウルトラクイズのテーマ曲が頭の中をよぎりました。

めちゃめちゃ嬉しいです。きっと松井留蔵は讃岐國阿野郡新居村でその生を終えたのでしょう。民蔵は長男ですから、他に兄弟がいたのでしょうか。その後どうなったのか、もっともっと知りたくなります。

コロナが収束すれば、まずは高松を訪れたいと思います。

#43歳 #休日 #さとうきび #高祖父の父 #富田坂 #草堂寺 #熊野参詣道 #讃岐

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