うちは、“保育に欠ける”のに、保育園に子どもは入れない。

うちは、“保育に欠ける”のに、子どもは保育園に入れない。

今、子どもを保育園に入れたければ、以下の理由がいる。

1:就労  2:妊娠、出産 
3:保護者の疾病、障がい
4:介護、看護 5:災害復旧 
6:求職活動
7:就学(職業訓練校等を含む) 
8:虐待やDVの恐れ
9:育児休業取得中に既に保育を利用している子どもがいて継続利用が必要であること

これらは、「保育に欠ける」と社会に“認められて”いるから

けど、ほんとにこれだけが、「保育に欠ける」なの?と、思う。


わたしは、現在、上記のどれにも当てはまらない。

けど、けどだ。

朝から晩までオットは仕事で家をあけていて、家事はすべてわたしがやらなければ生活は成り立たない。

「生活が成り立たない=暮らしていけない」で言えば、「仕事をしなければ(お金がないから)暮らしていけない」と同じだ。

今のわたしと子どもの暮らし(午前の部)は、

朝起きて、子どもの姿を片目に見ながら、朝食の準備をし、(自分の睡眠時間を削って、朝食の準備をすることもある)洗濯機を回し、自分の食事そこそこに子どもに朝食を食べさせ、
午前中の一番元気であそびたい気持ち満々の子どもに待っててもらいながら、わたしは朝ごはんの片付け、昼ごはんの準備、洗濯物を干して、家の掃除…

という感じ。

こないだふと、一人、車あそびをしている背中をみて、「ごめんね。」と、思った。

わたしが、子どもを“保育”している時間って、どのくらいなんだろう?

なんとか、やるべき家事を終え、やっとの思いで連れて行った公園で遊ばせられている時間?

それとも、アタフタと家事をしているお母さんの姿を“見る”ことも“保育”に入るの?

親がご飯を作って食べさせてあげられてるんだから、“保育”してることになるのか…?

一日の中で何度も言う、「ちょっと待っててねー!」も、保育に入るの…?


「保育をできている」と言いきれない日常が続いているのに、うちの子どもは保育園に入れない。


で、そんなことを思っていたとき、目の前に“保活”があらわれた。

子どもを保育園に預けるための手続きや保育園の見学など、いろいろ含めて“保活”と言うらしい。

わたしが今住んでる地域では、書類の提出と子ども同伴の面接というのがあった。

去年は、「子どもを保育園に入れたい」という思いがなかったし、まだ、今の地域に引っ越してきていなかったのもあって手続きをしたことがなかった。

車あそびを1人でしている背中を見て、「ごめんね。」と思ったわたしは、保活の入り口に立ったけれど、

「保育所に入園させるための理由」を見て、自分がそのどれにも当てはまらないこと、

けど、子どもにとって、今の状況は“何か”が足らないこと、

それでも、「仕事をする」「求職活動をする」はたまた、「妊娠をする?」「介護をする?」しかない、現状に、

悲しさや、さみしさ、ぶつけようのない気持ちを抱えた。

この気持ちを残しておかなくっちゃ。わたしのまわりの人には知ってもらいたいな、と思って、とりあえずnoteを書いた。


あとは、それでも、こんなわたしの思いや、“保育に欠ける”子どもの存在をなかったことにはしたくなくって、

住んでいる地域への挑戦状のような気持ちで、
「求職中」とし、書類を書いて、子どもと面接に行った。

たぶん、点数や今の地域の人数からして、入園はできないんだけど、

でも、それでも、「待機児童、ここにあり。」という、気持ちでね。


さぁて、わたしはこの後、どうしましょうかねぇ。


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