「古参」と「新規」

最近すごく気になっている事がある。
それは様々な趣味における「古参」とされる人々と「新参」とされる人々の対立軸だ。
アイドルヲタク、F1好き、サッカーサポーターetc・・・
なぜか分かり易い対立軸として存在する。
どちらが良い悪いというのではなく、なぜそこで対立軸が発生する理由に関して少し考えてみた。

まず「古参」「新参」それぞれから連想できるキーワードを抽出。

古参:少々のことがあっても動じない、重鎮、プライド高い、今までやってきた自負、過去自慢、知ってることはエライと思ってる、変化は好まない、自己肯定して欲しい、昔話を良くする、既得権益を得ている場合がある、支えてきた人、色々な経験をしている、知識が浅い新規が嫌い、何かを変えようとする新規が嫌い、

新規:興味の瞬発力が高い、一過性のブームで去る可能性がある、今が良いと思っている、過去に対して興味を持つ場合がある、過去より今という可能性、今に合わせた楽しみ方をする、将来ライト層になる場合がある、とりあえず今楽しい

キーワードの抽出時点で俺個人の意見しか入っていないので、他の人のイメージを聞けば違うキーワードが山ほど出てくるんだろうけど、
とりあえず思いついたまま上げるとこんな感じ。ここから分かる事は下記の通り。

 ・「新規」はその後ガッツリハマり「古参」となっていく場合もあれば、その人の中で「ブーム」が終われば去る可能性がある。
 → 将来「去る人」が「古参」が作ってきた歴史を土足で踏み荒らすのはかなりの確率で軋轢を生む。
 ・「古参」になるには時間が必要なので、「時間を費やし今がある」という状況でその人のアイデンティティになっている可能性がある。
 → 自分のアイデンティティを否定されることは誰にとっても嫌な事なので、「古参」は頑なに自己肯定に走る場合がある。
 ・「古参」中年以上、「新規」若年層という状況が多くの場面で成立するため、一般的な世代間差(考え方の違い)がある。
 → 相手を受け入れるという気持ちがお互いに低い可能性あり。

「古参」「新規」だけでなく、応援に対する「スタンス」も各自持っていると思う。
意識している事ではないだろうけど区分けすると以下の通り。

 ・応援するモノへの否定的な意見は受け入れないし対立する。
 ・応援するモノが盲目的に好き(否定的な意見は聞きたくない、見たくない)
 ・応援するモノへの否定的な意見も聞くけど、スタンスがブレない。
 ・応援するモノへの愛しさがゆえに否定的な事も言ってしまうけど、めっちゃ応援してる(阪神ファンはその典型)

「新規」の時って応援するモノに対しても、そのモノの所属する属性についても理解が乏しい。これは当然の事。
で、色々知っていくと「良いトコロ」だけじゃなく「悪いトコロ」の話も情報として入ってくる。

この辺りで少しスタンスが分かれてくるのかと思う。自分が応援するモノなんだから、「良いトコロ」だけでいいと思う気持ちになる人。
このような人に対し、「古参」は確実に「あなたはわかってない」と先輩風を吹かせる。この時点確実に「古参」がやってることはおかしい。
確かに「わかってない」のは事実だろうけど、その人は「そのスタンス」で応援しているのだからそれでいい筈。
多分だが「そのスタンス」で応援すると、応援しているモノへの理解はなかなか深まらない、もしくは一元的な見方での応援になる。
自分にとってポジティブな部分だけで応援する。このスタンスは実はすごく楽しいんだと思う。
このスタンスで「古参」になった場合、理解は浅いけど一生懸命なファンって形になると思うから、意見を積極的に述べないなら一番良い応援スタンスかも。
ただ、意見を言い出した場合は「自分が応援しているモノを守る」というスタンスにしかならないので会話が成立しない。

応援している人が引退したらその人はその属性の他の人を応援することなく応援を引退する事が多い筈。
応援するモノへの理解が深まらなくとも、「面白い」と感じる事は当然あるので、そこで「面白い」と思い応援対象がいなくなっても次に応援する対象を見つけて応援する事もあるだろう。

対立軸って「自分の思いと違う思い」に対して「自分が正しい」「相手が間違っている」と思うから対立するんだよね。
「古参」とされる人は「自分の知識でマウントを取りたい」「今までの形を変えたくない」このような思いがあると「ただの老害」にしかならない。
多分「新規」とされる人って「古参」に対して敬意は持ってると思う。ただ、「色々教えてくれる」ってだけの「古参」じゃなくて、
上記したように「古参」がマウントを取ろうとしたり、「過去」にこだわり上から目線で対応されると「古参うぜーよ」ってなるんだと思う。

実際俺は「古参」の域に入るものも「新規」の域に入るものも趣味として存在する。
「新規」の枠になる地下アイドルの応援なんて、まさにこわごわ周囲の環境を乱さないように、でも自分の推しとの関係性は自分自身で決めるって形で動いてる。でもここに「老害古参」がマウント取ってきたら反発するもんね。
もちろん「課金マウント」とかを取ってくるなら「参りました」って降参するんだけど、
「お前は〇〇ちゃんの1年前を知らない。俺は〇〇ちゃんが大変だった時期をサポートして推してきたんだ」とか言われても、「それはご苦労様でした。私は1年前を知らないけど、今の〇〇ちゃんをちゃんと応援してるし、これからも応援するつもりです」としか言えないもん。
「ご苦労様でした」この言葉に尽きるよ。

俺は正直「古参」でも「新規」でも周りの人ってあんまり関係ない。「今、自分が応援しているモノ」それが全てだし、そこは「周囲の人がどう思うか?」なんて全く考えてない。
自分が楽しみたいから色々楽しむ。俺はハマったなら深く知りたいから応援するモノの悪いトコ含めて知りたい。その結果離れることになっても、それは自分が望んだことだから別に問題ない。そう思ってるから「色々知りたい人」には何でも俺が教えられる事なら教えたい。

結局、「その人が好きなモノに対してどのようなスタンスで好きなのか」なんてことは本人しかわからない。
で、そこに対して「あーだこーだ」と色々聞いてもいないのに教えるのは筋違いだし、そんなことをする必要はないって事だ。

古参は過去を過大評価しがちだ。F1でセナプロの頃が大好きな人は「あの頃は年間16銭だった」「参加台数がもっと多かった」「マシンのコントロールがもっと難しかった」「6位までしか入賞ではなく、ポイントも優勝で9ポイントだった」など様々な理由をつけて現在の記録やドライバーに対してケチを付けようとする人がいる。
確かに記録の面を見ると「年間最多勝」とかの記録はレース数が多い方が有利なのは間違いないし、ドライバーの通算勝利数もそうなる。
でもそこってあまり比べても仕方がない気がするんだよね。「マックスかハミルトンかセナかプロストか4人の中で一番優れたドライバーは誰だ?」なんて議論は人によって答えは違うし、正しい答えもないし、そもそも「優れた」とかって抽象的な言葉で比較すると十人十色な答えが出て当然。
F1なんか今とセナプロ時代なんて違うことだらけだから、それぞれの感性で色々な意見を居酒屋で酒の肴にしながら語るレベルでちょうどいいんだよ。

という訳で俺的な結論は「古参」でも「新規」でも自分が楽しむのが一番。「古参」が色々「新規」に対して過剰に意見したり押し付けるのは、「古参」じゃなくてただの「老害」だって事だ。

俺も老害にならないように「他人に意見を押し付ける」って事がないように気を付けよう。
で、俺に対して「意見を押し付ける」ような人は俺は認めないし、俺の中でオミットします。

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