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思考センターの私が、考えすぎるとロクなことがない

小説の感想はひとまず置いておいて…

自分の頭で考えなさい。これ、最近いろいろなところで聞きますね。
「メディ〇洗脳に騙されるな」「ネットのほとんどはフェイク」
「自分で調べて、それで考える」

 ぴろ☆も自分なりに調べてみて(といってもGoogleが“神”ですから)調べて出てくることはフィルターが掛かっている。その点と点をつなげて線に、線と線をつなげて面に、面と面を…いや、そこまで立体的ではないかもですね^^;

 そんで考えていろいろ浮かんだことを、このところ徒然に書いたりしてますが。

 正直、楽しめてるかな?楽しいか?

 いや、楽しいのですよ、それが証拠に、論文なんか何カ月かかっても1行も進まないのに、noteの原稿は進むこと進むこと…(Boss、すみませんでした…)

 でもね、何かを考えるネタを集めるために、まぁネガティブな情報も見たり聞いたりするわけです。それを映像として、そのまま受け流して…いやいやいや。なかなか出来ないです。いわゆる心の中の引っかかりが出来たりする。(ネガティブといえば、カミさんから日々受けるお小言(笑) これもなかなか引っかかる。そもそも叱られるのが苦手なのだな、うーん繊細だなぁ、我ながら)

 そんな自分が、それこそ自ら藪の中にネタを探しに入って、枝で擦傷、切り傷、時には罠にハマって…そこまでして、ネタを拾って、そして文章を書いて…何のために?

 

これがかつては、Geocitiesmixi、はたまたFacebookにもなり。でもブログというか、ホームページを直打ちで書いていたころの感覚に近いですね。実際これも、いったんWordで書いてコピペしてるのでね。
で、何のために書いているのか。なんだろうね。

 これが憂さ晴らし、だとしたら、「よくない」Twitterと変わらない。たぶん自分の考えをまとめつつ、残して置きたい欲に駆られているのではあります。それは誰に向けてか分かりませんが。そうなってくると、その全身傷だらけになるようなイヤな情報の藪の中を歩くのが、本当に私欲のためだけに行っているのだとしたら、意味ない。

 きっと、そうじゃない、ハズ。何か役に立つだろう、と思って書いているのだ。それは、たとえひとりごとだとしても。最近clubhouseでも発信したりしています。これもひとりごつ系。だあれも来ない。それでも、時々しゃべっています。テーマは主に緩和医療と栄養、それと僕の好きなジャズ音楽についてなど。いつも友人の一人がひょっこり絡んでくるので(笑) オーディエンスのいない、まるで夜の公園でネタ合わせしている売れない芸人のようですが(^_^;A

 

あと…これは誰にもいっていないことですが…どうせ匿名だから書きますが…

ぴろ☆は、Wordで自動書記をしていました。なぜかルイジと名乗っておられたけれど。

一応Wordのファイルは残しています。でも正直、支離滅裂になったりするので、あまり内容はお見せできるものもないし、予言のようなものもないし、要は自分の中の別人格のひとりごと、かも知れません。これは、しかし、いまでもたぶん出来ます。出来ますというか、ゾーンに入ると、自然にタイプしている(笑) 一番困るのは、カルテとか書いているときに、疲れてうつうつらしていて、ふと気づくと、ダァアアアアアアと書いてあるとき。決してだaaaaaaと左手小指押しっぱなしで居眠りしたわけではない。

きょろきょろしてほかのスタッフに覗き見られてないか、ひとりドキドキしてます。大した内容はありません。ほんとに。

 だから、「あーもう文章書くの面倒臭いな、おっくうだなー」と表の僕が思っていても、タイピングの手は休まずに打ち続けることもしばしばあります。なんだよう、解放してくれよう、おらは眠たいのだよー、と思ってもカタカタカタ…

 つまりはブラインドタッチができるということもあるのですが、これは中学1年生の時に入学祝いに叔母がブラザーの英文タイプライターを買ってくれて

バリアント、確かそうだった

特に打つこともないでしょうに、当時はFMラジオで流れる好きな曲をカセットテープにとって保存する、「エア・チェック」が流行っていて…それのインデックスを打つのに、苦労しながら英文タイプを使った思い出があり、そのために一生懸命、jjj kkk lll ;;; とか練習したものです。おかげでアーケードのタイピングゲームの「House of the dead」とかも、シューティングのソレより得意だったりする(笑)

あー、もう長くなっちゃった。またこの続きはいつか・・・で、なんだったけ。でわー。