見出し画像

Szégyen a futás, de hasznos.

ついに舞台監督になりたいと言わなくなってしまった。

高校生の時から憧れた「舞台監督」
高校演劇部の頃から舞台監督という役を担うことは沢山あったけれど
私はずっと舞台監督になりたいと思い続けていた。

舞台監督の役は、やりたいと言えば小さな公演だといくらでもさせてもらえる。
公演を打つにあたって大変な役だってみんなみんな知ってるから、いつだってやってくれる人を探しているのだ。

高校生から大学卒業するまでの7年間、20から30回舞台監督の役についていたけれど、
それでも「舞台監督」になりたい。と言い続けていた。

既に「私は舞台監督です」と名乗って名刺などを作ってしまえば、舞台監督であることはなんとなく許されていたと思うのだけれど、
舞台監督はそう簡単になれるものだと思っていなかった。

そして、高校生で演劇を始めてから10年が経過し
私は「舞台監督」になりたいと言わなくなった。

そう気づいたのは、ついさっきのことだから明確な理由なんてまだわからないのだけれど、
とにかく、10年間憧れていたことだって、自然に薄れていき、重要ではなくなるのだと、そう思ったから言葉にしておこうと思った。

ずっと「舞台監督」になりたい。と言っていた理由は
「舞台監督」と名乗る自信がなかったからで、
責任を負えるほどの知識も経験も技術もないと自覚していたからで、
それらはいつか身につけて「舞台監督」と名乗れる日が来たらいいなと思っていた。

だけれど、私は一向に舞台監督として生活している妄想すらできず
毎日が苦しかった。憧れた「舞台監督」になれそうにない私から目を逸らしながら
どうにか毎日を過ごしていた。

「舞台監督」になりたかったのは、
上演を誰よりも愛し、誰よりも長く演劇と向き合っていたいからだった気がする。
一挙一同を知っていて、いつだって最高の状態で送り出したいと思っていた。

沢山の人は言う「舞台監督になりたいの?!やめときなよ!珍しいね!」
いつもその言葉に苛ついていた。

とてつもなく愛の詰まった良い仕事だと思っているのに、誰もオススメしてくれなかった。
追いたい背中がないこと、道が見えないことに不安を覚えていた。

そして、舞台監督の役をしなくなってから、3年半ほど経ち
上演を愛することは、舞台監督という役でなくてもできる気がしてきた。
日本のシステムのせいなのか、そもそも私が憧れていた「舞台監督」像に間違いがあったのか
もがき続けることに疲れてしまったのだ。

「舞台監督」と言う名前に縛られず、もしかすると違う職業になりたいのかもしれない。
新しい名前の職業に付きたいのかもしれない。
と、大学卒業時から心の隅にはあったけれど、よく分からなくて
憧れを捨てるのが怖くて、真っ直ぐに進む自分に対して胸を張り続けたくて、
「舞台監督」にこだわり続けた。

そして、自然に薄れていった。
ちょっと寂しいけれど、今晴れやかです。

私は10年間変わらず、演劇という事象を愛し、上演の面白さに魅了されている。今も。
それにハマる人が私以外にもきっといると信じている。
今の私は、そのハマりそうな人たちを呼び集め、ハマった時に諦めなければならないことを一つでも減らせるようにしたいと思っている。

観る側でも作る側でも支える側でも。

「舞台監督」でなくていい、だけれどこれはずっと私が目標としていたことと一寸の狂いもない。
「いい作品にはいい舞台監督がついている」
誰が言ってくれたのか忘れてしまったけれど、この言葉を胸に抱いてやってきた。

捨てない。「舞台監督」という名前に拘らなくなるだけ。
「いい作品には私がついている」と言われるように。

私は、観る人・作る人・支える人に寄り添いこれからも演劇と生きていきたい。

演劇なんて生活だし、
観劇なんて旅行だし、
上演は人生の一部だと思うから、

飲み込まれず、生きていけるように手伝いたい。私も生きたい。

タイトル「Szégyen a futás, de hasznos.」逃げるは恥だが役にたつのハンガリー語の原文です。
この文章を打ち始めた時なんで突然言葉にしようとし始めたのか分かんなかったけど、
もしかしたら、夜ご飯を食べながら配信サービスで逃げ恥を見てたからかもしれない。と思い。
書き終わった今、突然逃げ恥のタイトルを思い出し、これが言いたかったのかもと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?