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マレーシア駐在を終えて日本に帰国しました!

Bienvenue!(You're welcome!)

ご無沙汰しております。ついに先週日曜日に日本に帰国しました。今ものすごく楽しいです。Le meilleur du Japon!何でも美味しいし日本語が通じる!友達にも会える!ただ、意外にもマレーシアより暑い・・・。

前回のブログから結構な日が立ちましたが、その間、①退職交渉、②引継ぎ、③帰国&留学準備、④送別会、、、と色々立て込んでいました。少し落ち着いてきたので、諸々振り返っておこうと思います。ちょっと愚痴っぽい内容なので、不快にさせたら申し訳ありません。ただ駐在ステータスで会社を辞めると大変なこともあるということを生々しく伝えようと思います。誰かの役に立てば嬉しいです。

①退職交渉

この過程では色々な感情が渦巻きました笑 良いこと悪いこと色々ありましたが、いろんな人の本質に触れることができて面白かったです。1月に書いたブログでは、以下の様な前提で手続き進める意向であると記しました。

Must
6月末に国内外問わず仕事を終えること(留学に向けた手続きの期間は必須)
8月末まで有休取得すること(資金の確保のため。ここはブレないようにする。)
Want
6月末まで駐在先で仕事をすること(条件の良い場所で。ただし強くはこだわらない。帰任もやむなし。)
後任の手配も考慮して現時点では3月中旬に退職意思を伝え、6月末までの勤務・8月末までの有休取得を要望する計画です。

…結論としては1勝1敗みたいな感じで、3月下旬に退職意思を伝え、7月中旬まで駐在先で働き(7月末まで駐在ステータスの給与を享受)、有給は7月末まで取得、となりました。

退職日についてはある程度本社にコントロールされてしまいました。退職を伝えた時点である程度人事異動計画がFixされており、後任手配が困難というのが理由でした。(実際、人事畑以外の人が後任に来たので、それは本当だったと思います。)
これによってズルズル退職日が後ろに延びそうでしたが、何とか5月下旬頃に後任が決まったこと、VISA取得のために渡航の最低1カ月前には日本に帰国する必要があると明確に伝えたことにより、7月中旬帰国で落ち着きました。
有休に関しては、納得はいきませんが現地企業での有休のみ使用できるという理屈で、半月分のみ取得しました。(2年弱しか勤務していないので、保有数が少ない。全然使っていないのに。)日本で保有していた40日分の有休休暇は消え去りました。

簡単に書きましたがこの間のコミュニケーションが不透明この上なく、思うところはありました。が、約7年間希望通りのキャリアを歩ませてくれ、駐在させてもらった恩義はありましたし、6月のボーナスが想定以上だったこと、7月までは駐在扱いの給与が支給されること、気分よく留学に行くこと等を考慮して、波風を立てずに会社を去る道を選びました。

ちなみに以前も書きましたが、想定通り帰国用の引越代(20万円程度)/航空券(ビジネス。20万円程度)/帰任時支度金(40万円程度)/空港への送迎等々、通常駐在者が帰国する時に享受できるベネフィットは提供されませんでした。
まあお金のことは良いのですが、特に最後の空港への送迎が無いのはケチ臭さと、裏切り者扱い丸出しで気持ち的に残念でした笑。同僚が私的に送迎してくれましたが。
引っ越し代は荷物を切り詰めてハンドキャリーにしてセーブし、航空券代は早めに帰国スケジュールを引いてLCCのエコノミーを安く取得しました。(このスケジュールもこちらが主導権を握らないとズルズル引き延ばされそうになりました。)この点に関してはダメージも含めてある程度想定通りだったので、納得はしました。

もう1つ納得感につながったのは、上記の帰任者が裏切りもの扱いされることについて、風の噂を聞いた尊敬する他部署の重鎮達が、人事部に大クレームを入れてくれたことです。本社人事部に「辞めるとしてもこの2年で会社のためにやってくれたことは変わらんやろ!」「こんな会社でええんか?!」と啖呵を切ってくれたことは、一生忘れないと思います。
一方、当時の上司含め日本の人事部関係者には諸々の対応含め思うところがあり、信頼はなくなりました。制度面は仕方ないですが、リスペクトに欠ける対応の数々を忘れることはないと思います。

②引継ぎ

退職を告げた4月以降、(上司への不信もあって)業務上の新しい取り組みはできるだけセーブし、引継ぎに注力したこともあり資料の準備は順調に終わりました。ただ後任も当時の上司にコントロールされ、赴任が決まってから時間があったのに実際に引継ぎができたのは10日間(現地では1週間)でした。いずれにせよ年次仕事が多いので、口頭での引継ぎしかできない業務が多いですが、ちょっと酷だなと思いました(7月末まではメールベースで相談対応。)。詳細な引き継ぎ書を記述して説明し、現地では業務で関わる人との人間関係を作ることに注力して帰国しました。まあ私も前任はいなかったのでなんとかなると思います。

③帰国&留学準備

帰国準備は大変ではなく、車の売却と家の解約、荷物の整理くらいでした。車は思ったよりも高く売れて助かりました。仲良くなった会社のドライバーが良いエージェントを紹介してくれて、相場の2割増しくらいで売却できました。これぞ人間関係。家の解約も、通常最後の2~3日は市中のホテルに泊まることが多いですが、その手当が会社から出ないので、最終日までコンドミニアムに居住できるよう現地の総務スタッフに交渉してもらい費用を浮かせました。これも人間関係。荷物整理は、先述の通りハンドキャリーにする必要があったので、大袋4袋くらいは廃棄したと思います。単身でしたし、家具備え付けの物件だったので、そんなに大変では無かったです。

一方で留学準備は神経を使いました。日本に帰国してから1カ月という限られた時間でビザを取得する必要があるので、余裕がありません。具体的な準備の流れは別途ブログにまとめますが、申請書類の準備(妻含む)/Campus on Franceの予約/フランス大使館の予約等をマレーシアにいながら抜け漏れないよう進めました。先週ビザの申請を完了させたのですが、この準備対応は成功でした。スムーズに進んで良かったです。
注記として、(おそらく)外国にいながらのビザ申請もできると思いますが、私の場合はマレーシアだとマレー語での手続きになると聞いたのと、日本にいる妻の手続きもあったので、帰国後に申請することにしました。

④送別会

帰国前2週間は嬉しいことに毎晩遅くまで壮行会を開催していただき、本当に嬉しかったです。社内の他部署メンバーはもちろん、社外の人たちにもたくさんお声がけいただきました。送別ゴルフやソフトボール大会等、色々企画をしていただいて、感謝してもしきれません。ドンペリを開けてくれた方もいました笑。これからもしっかり付き合っていきたいと思います。
また恨み言を言いますが、4月には退職が決まっていたものの、「皆が動揺する」、「送別会に呼ばれて仕事をしなくなる」という(謎の)理由で7月になるまで退職を言うことができませんでした。それにより、最後の2週間にインテンシブに送別会を入れました。もっと会いたい人はいたのに、残念…。

最後に

ちょっとネガティブな表現が多く、不快な思いをされた方がいたら申し訳ありません。若干感情的になっている部分も多く、会社の立場ならそうやろな、と思える点ももちろんあります。こちらの意見を聞いてくれたところもありました。
ただ伝えたいのは、会社なんてそんなもんで、一生懸命尽くしても最後はこんなもんやで、、、ということです。こんなことは言いたくありませんが、本社時代は1人担当の仕事で有休も使えず夜遅くまで働き、全国行脚で家族と1カ月以上離れることもありました。マレーシアでも休まず働き、上司が権利を行使する中で自分は一時帰国もせず、仕事に取り組んできました。それでも辞めると言ってからは上司及び日本の人事部からの扱いは悪くなり、毎日会社の行き帰りで、「MBAなんて意味が無い」「英語ができたからって仕事はできない」等とMBAにも行っていない、英語もできない上司に愚痴を言われる毎日でした。「自分が本社に責められて大変だ」等と部下に言うべきではないことも言われましたし、「お前みたいなのがMBAに行ってどうするんだ」という典型的な言葉も頂きました。結構しんどかったです。

救いは他の部署の人たちや、現地のマレーシア人、社外の人たちが心から応援してくれて、自分の働きぶりに感謝を伝えてくれたことです。これがあったから、何とか数カ月の地獄を乗り越えることができました。
前のブログでも退職を早く伝えたら気まずくなると書きましたが、実際にその通りになりました笑 海外駐在先で退職する人は、こういったデメリットについても一応ご参考いただければ幸いです。人材流動性が高まる中、日本企業(特に人事部)がもっと変わっていけば良いなと切に思います。

今後はもう少し明るいトピックとして、ビザの取得手続きや、MBA面接の振り返り、進学準備等について書いていきたいと思います。向こうについたら何らかの配信コンテンツもやろうかな、、、とか考えています。

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