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HRからのMBA!!海外MBA受験記①Why MBA?/スケジュール編

はじめに

はじめまして。カープ男子です。
この度、約2年半続いたMBA受験生活を終え、スペインのESADEとフランスのHEC Parisに合格(両校から奨学金付きのオファーを獲得)、後者に留学する事に決めました。

駐在先で孤独に準備を進める中、主にネット上にある合格体験記やTwitterにいる諸先輩方からの情報を頼りにしていましたので、ブログを通じてその恩返しをしたいと思いました。
また、エリート街道まっしぐらの天上人が進学していると思われがち(私はそう思っていました。)なMBAですが、平々凡々な、それもMBAには少ないHRのキャリアを歩んできた私が、受験生活やMBA生活について本ブログでつらつら書き連ねることで、後進の皆様に少しでも自信をもって臨んでほしいと思っています。物凄く失礼ですが、自分は「この人でもMBAにいっているんだ!」という出会いがあったことで、受験勉強に本腰を入れることができました。そんな役割をこのブログが果たすことができれば嬉しいです。

出来るだけ生々しく書いていこうと思いますが、個別に質問等あれば喜んで詳細をお伝えしますのでコメント欄等にご連絡下さい。今回は、MBAを目指したきっかけについてです。
(退職が正式に決まるまでは若干ぼかして記載することにします。)

Why MBA?

関西の下町で生まれ育ち、高校卒業までは日本語以外を母国語とする方と話す機会も無く、海外旅行をしたこともありませんでした。高校も5年に1人関西の難関国立大に合格者が出るか出ないか、浪人して何人かが関関同立に進学するかどうか、といったレベルの中堅公立高校出身で、その中でもクラスのワースト3に入るような散々な成績でした。親には失礼で申し訳ないですが裕福な家庭では無く、大学進学は私の世代が初めてで、スポーツが物凄く得意だとかそういったユニークなポイントもありませんでした。しかし、あるきっかけで一念発起し、運良く都内の難関私立大学(文系)に滑り込みで進学することはできました。

大学では人生で初めて出会うような人たちに出会うことができました。特に印象に残ったのは、同級生が多かれ少なかれ幼少期からグローバルな経験を積んできていること。その時の同級生に対する憧れは非常に強いものがありました。この憧れが、その後長く長く続いたMBA受験を乗り越えられた大きな原動力になっていたと思います。在学中も留学は頭の隅にありましたが、金銭面や当時の自分の語学力(TOEIC650程度)を考えると夢物語で、挑戦することはかないませんでした。この時点では海外に憧れはあるものの、具体的な行動は起こさない典型的な怠け者でした。課外活動もバイトで貯めたお金で長期休みにバックパッカー(英語は話せない。ボディランゲージでなんとか乗り越えるレベル)をしていた程度で、体育会はおろかサークルにも入っていませんでした。

その後、新卒で日系の鉄鋼メーカーに入社しました(配属先は人事部門)。安定した雇用が人々の生活に与える影響について自身の体験からも実感していたので、その裾野も含めてたくさんの人を雇用する重厚長大産業やインフラ企業を志向していました。ただそんな会社でも機会を見つけて海外に行きたいという思いは持っていました。入社時のノートを見返すと、自身のキャリアビジョンについて「35歳でMBA」と書いていて、感動したことを覚えています。今でも入社年発行のGMATのOGは家にあります。それくらい、将来グローバルな環境で挑戦したいという思いは強くもっていたのだと思います。ただ、アルクの教材等を使ってTOEICの勉強程度はするものの、英会話レッスンには少し恐怖心があり、DMM英会話に予約してはサボりを繰り返すような状況でした。(先生申し訳ありませんでした。)GMATに至っては、何一つ手をつけていませんでした。

その後一度、人事でも若手から海外駐在ができる会社を探して日系化学メーカーに転職しましたが、一貫して人事の仕事に携わってきました。工場や本社で管理やオペレーションの仕事をし、楽しく働いてはいましたが、グローバルという環境からは縁遠いキャリアを歩んでいました。今後短期的に海外勤務はあるかもしれませんが、自分のキャリアや評価を客観的に考えた時に、国内工場やグループ会社の部課長等に収斂していくような、大体の自分の将来像が見えた気がしました。(本社でゴリゴリ出世する人間では無いと自覚していました。)

本当にこのまま会社人生を終えて良いのか?そんなことを考えていた時に、Agos夏祭りに参加しました。そこで生まれて初めてMBAホルダーの方々のお話を聞き、国際色豊かな環境で経験を積み、自由に人生を歩んでいる様子に強い刺激を受けました。またそれ以前はMBAは投資銀行やコンサルでバリバリ活躍する雲の上の人が行く場所だと思っていましたが、多くの人は自分と同じような日系大企業で経験を積んできた人たちで、自分も頑張れば何とかなるのではないかと感じました。この日を契機に、本格的にMBA受験準備を開始することにしました。

それから約1年後、山あり谷ありありながらも、ようやくIELTS7.0、GMAT640点と、最低限のスコアをそろえることができました。そんな時、突然上司からアジア駐在をアサインされました。入社時から海外勤務希望はしつこくアピールしていたのでそれが叶った結果でした。TOEICのスコア(860点)は社内では比較的高めで、かつ私の部門には海外勤務希望者が少なかったのも功を奏したと思います。業務で英語を使う経験はなく、むしろ英語で仕事をする環境には恐怖心があるレベルでしたが。
受験準備を1年間苦しみながら続けてきて、いよいよ出願…という中での難しい決断ではありましたが、兼ねてから希望していた海外勤務のチャンス。最終的にはこの辞令を受諾して一旦MBA受験への思いを凍結することにしました。しかし、この駐在先での経験が、MBAへの思いを再燃させることになります。

赴任先の会社は、非常に苦しい事業環境にありました。人事として対応すべきことも多く、状況を好転させるために何ができるか常に頭を悩ませていました。経営陣や現場と協力しながらあらゆる手を打ち、いくつか成果につなげることもできましたが、その過程で実感したのは人事は所詮間接部門であるということ。事業を継続し、雇用を守るためには儲けを出し続けることが何よりも重要です。しかし、私ができることはそのサポートに過ぎませんでした。もっと自分がリーダーとしてビジネス戦略を立案・推進し、儲かる企業を作っていきたい、あるいは儲け方を理解した上で経営陣にアドバイスができる人材になりたいと考え、MBA受験を再開することにしました。駐在先という本社よりこじんまりとした組織で、経営者とより近い場所で仕事ができて、その決断の結果を生々しく実感することができたからこそ、上記のような思いを持つに至りました。

その後、急ピッチで出願資料を仕上げ、2022年11月にESADE、12月にHEC Parisから合格をいただき、受験を終えることができました。

全体スケジュール

全体スケジュールは以下の通りです。

2020年6月 AGOS夏祭りに参加、MBA受験を決意。TOEIC860点。
        まずはTOEFLの勉強を開始。
2020年8月 TOEFL初受験。86点。
                  意外とイケる?と思ったが、その後3月まで月1回受験するも最高点は96点)
2020年9月 E4TG受講開始。(2カ月間)
        Andy田開先生の授業を受講。Andy先生の教材をひたすら解き続ける。
2021年2月 焦って試しにIELTS初受験。Overall6.5。残り+0.5でOverall7.0。イケると確信し、翌月に予約。
2021年3月 IELTS Overall7.0取得。IELTS終了。
2021年4月 GMAT対策開始。Math対策でJ-Mathを1週。
2021年5月 G-Prep中山先生のGW特別対策授業を受講し、Verbal対策を開始。Mathはe-GMATの問題を毎日解く。
2021年7月 遊びでGREを受けたところGMAT換算640を取得。
        駐在辞令を受け、MBA受験を一時凍結。
予約していたGMATは620。
2021年10月  駐在開始。以降も一日10問ずつくらいはMathの問題を解く。
2022年2月 旧正月で時間があったのでAlumuniの方々のお話を聞く。
        キャラ的に合いそうな3校(Tuck, HEC, ESADE)に魅かれる。
2022年3月 週末にPrepを解き始める。
2022年4月 GMAT受験。660取得(出願スコア)。
2022年5月 カウンセラーの話を聞いてみるかと思い、何人かアポをとる。
        L-inkの木下さんに決定。
2022年6月 本年度のMBA出願を本格的に決意。カウンセリング開始。
        以降エッセイに関する宿題はもらうが、業務が忙しくて何もできず、記憶無し。
2022年10月 11月にインタビューがしたいとの連絡を志望校から受け、焦ってEssayを仕上げにいく。推薦書も2人に依頼。
2022年11月 ESADEインタビュー。合格。
2022年12月 HEC Parisインタビュー。合格。
Tuckの受験は最後まで迷ったが、スコア的に厳しくここからGMATに再度コミットする必要があることや、家族の欧州希望もあり、これにて受験終了。

年齢(出願時30才前半)や仕事との両立も考え、年内合格を目指しました。受験凍結前の蓄積があったため幸いにもスコアメイクが早々に終わり、かなり中だるみはあったものの理想的なスケジュールで進める事ができたと思います。

スコアメイク期間はコロナ禍で飲み会が無く、在宅勤務も多かったので、毎日出勤前後に各1時間程度、勉強時間に充てる事ができました。駐在開始後も、時間が取られる飲み会や日本からの出張者対応は当初は制限されており、勤務後や週末のゴルフ終了後の時間を使って受験準備を継続できました。

初回から長々と書き連ねてしまいましたが、以上が全体感です。次回以降、各セクションをどんな風に乗り越えてきたか、駐在ならではの面倒だったこと等、思いつくままに書いていきたいと思います。駄文で申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いします。

受験に関するご相談があればいつでもご連絡下さい!
carpman024@gmail.com


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