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nullという名前

 いつからだかもう覚えていないけど、X(旧Twitter)ではnullというハンドルネームをもう何年も使い続けている。居ないとは断言できないが、僕が見聞きする限りドイツ語数値をSNSで使っている例は珍しいのではないかと自負するハンドルネームだ。nullとはドイツ語で0を表すものであり、プログラミングなどのコンピュータ関連世界においては「何もない」状態を表すのに使われる(らしい)。
 ドイツ語数値をハンドルネームに使っていると豪語しているが、関数ソフトのエクセルを使っているときに何度も目にしたことがきっかけであたまに頭に刷り込まれている言葉がnullだった、という方が圧倒的に正しい説明だし、なんなら数年前の秋に気まぐれで勉強すべく購入した、大学生向けドイツ語入門の本に「ドイツ語で数値を表すには」とかいうページでnull=ドイツ語の0と見て初めて知ったほどには知識不足で生きていた類の人間である。ちなみにドイツ語の勉強は一週間も続かなかった。

自分が使っているXのアカウントは2010年に開始した今となっては化石のような状態のものである。いつからか忘れたが、Xのプロフィール画面には「20○○年◯月からXを使用しています」と表示されるようになっていた。Xをしている意義の一つに他人のライフスタイルやパーソナリティの覗き見というお世辞にもいい趣味とは言われない趣味を持つ僕はとにかく年齢性別職業国籍問わず多種多様な他人のプロフィール画面を見るのだ。そんな僕であっても2010年に開始されたものは数えるほどしか見たことがない。毎年のことであるが職場に新卒社員が入ってきては生まれ年を知り驚愕すると同時に自分の人生のこれまでの片道がずいぶん長くなっていることを実感する。社会の人はきっとこれを繰り返しているであろうが、「2020年4月からXを使用しています」なんていうのを見かけると2010年開始の自分は全くそれと同じ気分になるのである。自分だって新卒で入った職場で生まれ年を言って吃驚された時代だってあるくせに(ここで「ちなみにギリ平成生まれです」なんてことを宣おうものなら多方面、特に偉大なる人生の大先輩方からお叱りを受けることになるので、何も言わずにやり過ごそうと思う。やはり沈黙は金なのだ)。


そんなちょっとした古の時代からXをしていた自分がnullという名前に意味を持たせることになったのは、2021年の夏が始まる少し前に起きたとある出来事がきっかけとなっている。「今となってはいい思い出」ともいまだに呼べることのない悍ましい黒歴史に由来を持ち、ここでは多くを語ることは憚られるため、またいつか機会があればということで。病みやすいとはいえさすがに今も凹んでいる訳ではないので安心して欲しい。まあシンプルに中身の無い自分に猛烈に辟易する事件が起きたのだ。自分が如何に空虚な生き方をしてきたかを思い知らされ自分の存在に疑問すら持ち、生きる気力を擦り減らしていた。当時に助けてくれた友達には今も感謝しきれない。その事件から立ち直る過程において、自分の内面に巣食うこの虚空をいつか飼い慣らし自分自身のアイデンティティと呼べるほどの何物かに昇華させてやるという思いから、僕は今もnullという名前を使い続けている。

そんな僕ですどうぞよろしく。

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