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北半球で1番のポンコツ人間による思考の掃き溜め。 脱線多めで文章量も多めなので暇つぶし…

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北半球で1番のポンコツ人間による思考の掃き溜め。 脱線多めで文章量も多めなので暇つぶしにどうぞ。

最近の記事

母と法事とときどきオトン

 先日、父方の祖母の法事があり久々に帰省した。父方の祖母の法要だけでなく祖父のときにも僕は毎回欠かさずに行っていることがある。お寺のお坊さんのお経にハモることだ。宗派によってまちまちなのかもしれないが、父方の法要の際にお経の書かれた本のような物が配布され、法要が始まってからはお坊さんの独唱が続くのだが、しばらくすると一緒にお経を上げるよう促される。差し詰め、独唱と斉唱のようなものだろうか。サッカーW杯などスポーツ系の祭典においては有名な芸能人歌手が国家の独唱をしており、それを

    • 親愛なる名前をつけるほどでもない日常へ

      インスタにのせた秋のちょっとした日記を3本ほど  10月某日、広島カフェの旅をして大収穫を収めて帰路につくことができた。そもそものきっかけはwacciのホールツアーが広島で開催されたことを発端としてライブ前日くらいにせっかくなのでカフェ巡りしようと思いつき、当日の朝にせっかくだし泊まっちゃおうかって思って荷物詰めて、広島市内のkiki coffeeさんにいた頃にホテル押さえて、と本当に思いつきでプランがどんどん変わっていくような旅だった。気分の転がり方に関して言えば、自分の

      • 職場がイヤイヤすぎてついに熱が下がらなくなりました。今こそキャンセルするべきか…(しない)

        • 連日の疲労のあまり床で寝ちゃったしお風呂も入れてないし喉も痛いからお仕事キャンセルしたいな(しないけど)

        母と法事とときどきオトン

        • 親愛なる名前をつけるほどでもない日常へ

        • 職場がイヤイヤすぎてついに熱が下がらなくなりました。今こそキャンセルするべきか…(しない)

        • 連日の疲労のあまり床で寝ちゃったしお風呂も入れてないし喉も痛いからお仕事キャンセルしたいな(しないけど)

          お仕事キャンセル界隈な私

           世間の人はどのくらいの頻度で仕事を休んでいるのだろう。頻度というか、仕事を休むか頑張って行くかの境目?よく言われているのは体温が38.0度を越えたあたりだろうか。一つの境界線なのかもしれない。だが"39.0度台からが正念場!"という猛者もいたし、逆に"今日なんかダメかもぉ…"で休む人もいる。……そうだ。後者は僕のことだ。そして39.0度を軽く越えていても平然と働いていたという前者は周りが心配(この場合、発熱している本人のこともだが自分にうつされたくないという心配も含んでいる

          お仕事キャンセル界隈な私

          生き延びるために致死量の共感力を得た話

           MBTI診断というものが認知されてから久しい。無料でできるあれだ。本家のものは有料でかつ診断する度に変化することはないそうなのだが、"MBTIといえばこれ"とばかりに今日では一般的にその名で認知されはようになった16personalitiesの方だ。面倒なので以下そちらの診断を便宜上、MBTIという。初めて僕がMBTIを試してみたのが2019年だったと思う。外国語を何も考えずに直訳したような、微妙に分かりにくい日本語による質問に答えて最後に現れたページにはINFP(仲介者)

          生き延びるために致死量の共感力を得た話

          「お仕事大好きマン」には美しい花束あるいは突き立てた中指を

           自分でつけておいてタイトルの治安悪い。  生きていると色々な方から「ありがたいお言葉」をもらうことになる。いつまで経っても記憶に残る言葉もあれば、その時は響いていたはずなのに記憶から抹消される言葉だってある。ご高説くださったにも関わらず右から左……いや重力に従って上から下へと流れていくものだって。重力って言い換えたら地球からの愛だと思う。質量の大きな物や者は地球からの愛をそうでない他者より多く受ける。だから質量の大きな人たちは幸せなのだ。そう思いながらしあわせバタ〜を食べ

          「お仕事大好きマン」には美しい花束あるいは突き立てた中指を

          自分と人生に隙間があるならチーズケーキでも詰めたらいじゃんって話

           自分の人生に絶望してるわけではない。だけどいまいち自分の人生を歩んでいる実感もない。毎日、全集中までとはいかないが呼吸をして人並みに仕事をして、休日はどこかに出掛けて美味しいものを食べたり買い物をしたりする。それなのにこの絶妙に埋めきれない人生と自分との隙間に詰めるべきものの正体は何なのだろう。思いたくないが欠陥だらけの人生に対しどのように向き合っていくことがせめてこの世に生み落とされた者としての生き様であるのか。  僕の脳は現実逃避するのが好きらしい。頻繁にどこか架空の世

          自分と人生に隙間があるならチーズケーキでも詰めたらいじゃんって話

          お金に対する価値観なんて人それぞれの最適解があるだろって話

           僕には散財癖がある。悲しいほどに。というか計画的にお金を使うのが苦手なのかもしれない。いや自分の人生そのものに計画性など皆無なのかもしれないが。20代の頃は「40歳になったら自動的に死ねれたらいいのに」と真面目に思っていたくせに30代になるにつれて「もう少し長く人生やってたい」という気持ちの方が優勢になるのだから。10年後どころか5年後、いや1年後の自分がどうなりたいとか考えたことがないし皆目見当もつかない。ちなみにこれを書いている日の翌日に有馬温泉に行く予定だ。その予定は

          お金に対する価値観なんて人それぞれの最適解があるだろって話

          感傷的すぎる男の材料

           感傷的な気分のことを感傷的と呼ぶ日本語が僕は大好きだ(のっけから某国会議員のような構文失礼)。もし感傷的と呼ぶような心の働きかけから生まれた気分のことを他の名で称すなら果たしてなんと呼べばいいだろう。「叙情的」、「エモーショナル」、「センチメンタル」どれもいい言葉だと思っている。でも感傷的というのが一番好きだ。新しく言葉を作りだすとすればどんな言葉がよいか。「溢雨心」とでも呼ぼうか。空から降り注いだ雨の雫が溜まって溢れていくような心の状態だ。さてこの造語は何と読めばよいのだ

          感傷的すぎる男の材料

          心の壁の薄い男の話

           人間は25歳頃にはそのほとんどの価値観が完成して人格形成の終わりを迎えるという話をどこかで聞いたことがある。他方で10年前の自分は他人だと思った方がいいくらい人間の中身は変化を遂げるという話も知っている。30歳を過ぎたくらいから仕事に余裕が生まれてやりやすくなったということも職場の先輩から聞いたことがある。結局のところ、人間の中身は変容を続ける普遍的な存在であるという矛盾を抱えた厄介なものなのだろうか?音楽史における革命を起こした大作曲家のベートーヴェンだって30歳になって

          心の壁の薄い男の話

          nullという名前

           いつからだかもう覚えていないけど、X(旧Twitter)ではnullというハンドルネームをもう何年も使い続けている。居ないとは断言できないが、僕が見聞きする限りドイツ語数値をSNSで使っている例は珍しいのではないかと自負するハンドルネームだ。nullとはドイツ語で0を表すものであり、プログラミングなどのコンピュータ関連世界においては「何もない」状態を表すのに使われる(らしい)。  ドイツ語数値をハンドルネームに使っていると豪語しているが、関数ソフトのエクセルを使っているとき

          nullという名前