幕間という名の反省会

piraです。

先週は7000字(noteに書いたのは色々とカットしたので6000字)という論文を書かせていただいたのですが、

これに対してかなり反響があったんですよね。(去年も色々と言われたりしたのですが、今年はそれ以上に反響があった。)

今回は「7000字も書いたし休もうかなー」とか思いつつも反省会的なことはしようかなと思い、書いていくことにします。

「毎年夏」ではなく「毎週」

まずはじめに、皆さんはこの前のバリバラ見ました……?

あ、この前のってあれですよ?「24時間テレビの裏」じゃないですよ?レギュラー放送のやつですよ?

まあみなまでは言わないですけど。(変に怒りすぎると「まーたpiraさん怒ってるよwww」なんてヤジを飛ばされる可能性ありますし。)

反応は薄い。知ってた。

まあ今年の24時間テレビの裏の番組も去年に比べたら正直反応そこまででは無かったですし、去年やったような翌週との反応を比較するみたいなのはしなかったんですけど。

やはりこの24時間テレビ裏の放送が始まると多くの人は「毎年夏の恒例行事」として考えている人は多かったです。

実際私も放送終了後には毎週やっていると告知したり(誤字はあったが。)、その翌週の話もしたりしたのですが、レギュラー放送となるとどうもアンチ24時間テレビの人達の声って聞かないんですよね。

公式Twitterも少し前から毎週木曜夜8時とアカウントに書くようになりましたが、放送終了後にバリバラの放送時間を告知していくべきだと思ったし

毎年毎年アンチ24時間テレビがただ騒ぐだけの現状というのは自分としては変えたいという気持ちは強いですし、障害者のことを点として考えていないかと思うわけです。

改めて言いますが、バリバラは「毎年夏」ではなく「毎週」放送しています。

木曜の20時と24時間テレビの裏として放送していた土曜の深夜帯に放送してます。

レギュラー放送も攻めてる企画は多少ありますが、24時間テレビとは裏腹に福祉番組故に真剣に障害者について考える企画もあるので、どうか毎週見て欲しいです。点で考えないでください。

テレビのバリアフリー、脱おいてけぼりとは何だったのか。

そして番組のはじめに私はこんなことを言いました。

番組を見た人なら「え?手話を付ける必要性ある?」と感じる人も少なからずいるかもしれません。

おそらく「あの番組に手話は必要ない」と考えているのかもしれないのですが、

実は2年前の「24時間テレビの裏」において「テレビのバリアフリー」という実験を行っていて、そこで番組出演者が「テレビは障害者をおいてけぼりにしている」と言っていたんですよね。

そこで番組では全編に手話通訳をつけたり、視覚障害者向けに副音声で解説音声をつけてみたり、知的障害者向けにかんたんなひらがなで書かれたやさしい日本語の字幕(実際これはNHKのニュースにおいて在日外国人向けに使われていたりして、去年の台風19号の時にNHK公式がひらがなでツイートしたことに対して一部批判されたりもしていました。)をつけてみたりととにかく頑張っていました。(もちろん24時間テレビはそこまでの配慮をしていませんが。)

しかし、去年の「24時間テレビの裏番組」を見て放送終了後に思ったことがあり、「全編において手話通訳ついて無かったよね?」「手話と字幕は違いが沢山あって手話だけしか分からないろう者、一方で字幕だけが分かるろう者がいるって話したよね?」とか感じてはいました。

そして今年。その事が頭から離れなかったことと、バリバラは24時間テレビの裏の時に持ち上げられて味を占めてちょっと調子に乗りすぎてないかと思った私は「今年は少々辛口に見ていく」との思いで見始め、その結果ああいったツイートをすることになりました。

それと同時にバリバラも「結局は障害者やマイノリティをコンテンツとして消費し、利用しているだけ」とは思いました。

バラエティ番組として見たときにつまらないという話

そして、このバリバラという番組。バラエティ番組として見たときにつまらないってフォロワーさんが言ってたんですよね。

実際、バラエティ番組として見たときにつまらないと思います。

というのもマイノリティを題材としている以上、福祉番組としての色があるわけで福祉番組って見てて正直つまらないんですよ。

とは言うもののバリバラはそんな福祉番組を面白おかしくやっているわけでそういった姿勢が「攻めてる」と言われるんでしょうね。

しかし、そのバリバラの攻め方というのも調子に乗っているように感じていて「こういうことすればウケるだろ」という悪乗りが少々強く出ていると思います。(だからこそアンチ24時間テレビの受け皿として裏番組として対抗したりしているんでしょうね。)

そうした福祉番組への姿勢というのは評価されてもいいのですが、こうした悪乗りはどうも障害者をコンテンツとして利用しているように思えるんですよね。

人間、ちょっと騒ぎすぎじゃない……?

最後にこれは私が最近Twitterでちょこちょこ感じてはいることなのですが

「人間、騒ぎすぎなんじゃない?」ということです。

こう書くとなんかゲームのラスボス感あふれる発言だなーとか思ったりするのですが、最近になってネットの人達はやけに騒ぎすぎているような気がします。

というのも「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグから始まる所謂ツイッターデモは見ていて(率直な感想になりますが)怖いと思いますし、芸能人達がそのトレンドを見て次々に賛同しては世論を動かそうとする動きは怖いです。

まあ政治に対して抗議をするというのは国民の権利として声を上げていくべきなのかもしれませんが、最近はこういったツイッターデモも過激になりすぎていて「#安倍総理の逮捕を求めます」とか「#〇〇議員の辞職を求めます」とかとにかくSNS上での憎悪や怒りで社会を動かそうとする流れが強まっていて人間騒ぎすぎなんじゃないかなと思います。

また政治に限らずなんですが、テラスハウスの出演者が誹謗中傷が原因で亡くなった際には「誹謗中傷は良くない!」という声が強まる一方、安倍に対して誹謗中傷に近いような過激な批判をする癖して「#政権批判は誹謗中傷ではない」と言いだし、都合がよすぎるだろって思ったし、テラスハウスでの死去からしばらくした今ではもう誰も誹謗中傷について考えている人はいないですよね。(いるとは思うけれど、アベガーの人達の頭から消えているとは思う。)

あとは電通の過労死を持ち上げては「俺たちはこのこと忘れていないぞ!」って言ってくる人たち、急に持ち出すあんたらも電通の過労死のことなんて頭から離れてたでしょ?急に出してきたでしょ?って思うんですよ。

そして少し前に発達障害やADHDがニュースによってトレンドに上がったのですが、いつものことながら発達障害の人達はその時だけ持ち上げられて、しばらくたったらチーズ牛丼とかガイジとかアスペとか言ったりしてて障害者のことなんか普段は蚊帳の外で考えてる奴らが多くて騒ぎすぎじゃないとか思います。

こういった人間騒ぎすぎの原因として私は「Twitterのトレンド機能にあるのではないか」と感じアンケートを取りました。

結果は色々な意見がありますが、私が何故トレンドの必要性を感じたかというと「Twitterのトレンドが人間の行動に与える影響力は大きいんじゃないか」と感じたからです。

実際、私もTwitterを開いたら真っ先に目にするのがトレンドなんですよね。

「今どんなことが話題になっているのか」というのが気になってしまうんです。しかし、トレンドってのは流れ星のようで見えているときは気になって仕方がないんですが、見えてないときってそのことをあまり話題にすることって少ないんですよ。

そして今のTwitterユーザーってトレンドばかりを追いかけている人というのが多い気がします。

実際私も「BLEACH」の久保帯人先生が新連載を始めたということがトレンドで上がったときはジャンプを読んでいないにもかかわらず「久保帯人がジャンプで連載するんだ」と反応しそうになりましたし。

しかし、このトレンドばかりを追いかけるという行為、実は人間の行動心理として結構危ないんです。

少し前に森博嗣さんという私が大好きな作家さんが書いた新書の「集中力はいらない」の最後の方に面白いことを言っていまして。(本書はブログでも紹介しています。)

Twitterのトレンドなどと言った流行に対して条件反射的に乗っかってしまっていることは危険であるということです。そこから「SNSに話題になっている事柄に対してとりあえず反応を示し、煽動された情報に対して共有し、それで満足をする。」という機械的な動きを人間はしていくだろうと続いていきます。つまり側面を見ずに、自分に入ってきた情報に対して何も考えずに「とりあえずみんながこう言っているから俺もこう言わなきゃ」みたいな集団心理と合わさることで「みんなこう言っているけど本当にそうなのだろうか?」「とりあえず乗っかってみたけど、普段から考えるべきなのではないか?」と考えることが無くなり「とりあえず反応しておこう」と自分の中の領域だけで留まってしまっているのが現状なのです。これが一点集中を重んじる結果生まれた産物なのです。(ブログから引用)

つまりトレンドになっていることに対して何気なく共感することによって人々から反応を得ることが快感になっているのではないかと思うわけです。

それこそ戦争や震災の日が来るたびに「戦争は良くない」とか「震災について考えよう」と言って毎年毎年似たようなことが繰り返されたりするじゃないですか。

そういったことを考えることは大事ですし、終戦や震災の日というのが意味のある日として日本人に刻まれ、後世に伝えていく必要性はあります。(まあ自分はあまりそういったことを深く考えたくはないですけどね。)

しかし障害者というのは戦争や震災と違って点で終わる話じゃなくて、今もまだ障害で苦しんだり生活が厳しかったり社会で理解されないなどといった話というのはあるわけで、点で考える話じゃなくて、線で考えるべき話なんですよね。

だからこそ24時間テレビの時だけ批判する人たちが障害者について点で考えるのはそれは線で考えろってどうしても言いたくなりますし、福祉ってのをみんなで考えないと障害者の社会は終戦という道へは進まないわけです。障害者は今でも戦争の中にいるわけなのです。

だからこそ、何事も点で考えたり変に騒ぎすぎたりせず、トレンドに流されないようなSNS生活を送ってほしいです。

(なんだかんだで4000字超えちゃったな……)

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