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Stay At Home

神奈川県民の私に今朝届いた緊急速報

音が緊急地震速報と同じアレでびっくりした

あの音は心臓に悪い…

「GWはがまんウイークです」と書いてある。

うまいこと言っているつもりなのかもしれないが、この「がまん」という言葉に違和感を覚えて仕方がない。

この前、はやく起きた朝は…で磯野貴理子さんが紹介していた言葉が忘れられない。(石倉三郎さんの著書にあった言葉らしい。)

『辛抱』と『我慢』は違う
・人間は『我』が強いから我慢はとてもしにくい
・我慢しろって言われると、少し我が出てしまうからスゴく辛い。 
でも、人は辛抱ならできる    
・『辛抱』は辛さを抱くと書く    
→「辛抱しろ」と言われたら、ぎゅっと辛さを抱きしめればいい。

そのようなことを言っていた。

そもそも語源としては

『我慢』 
1. 耐え忍ぶこと。こらえること。
 2. 我意を張ること。また、そのさま。強情
 もともとは仏教から来ている言葉で、「我に慢心を抱く」というのが語源。
その語源がもとになって、2のような自惚れるといった意味も含まれるよう。 
「我慢しなさい」などと使われるが、もともとは反対の意味だった!
『辛抱』
つらいことや苦しいことをがまんすること。こらえ忍ぶこと。

辞書的な意味で考えてみても、磯野さんの発言のように、今は我慢ではなく、辛抱の時なのかもしれない。

「我慢」に比べると、「辛抱」の方が環境の苦しさに負けないで、向上心を持ち続けること、前向きなニュアンスがあるような気がする。

そして、我慢しなさい我慢しなさいと言われると、本当に我慢をしている人に失礼だと感じる。この過酷な状況下で、自らの感染リスクを顧みず、医療現場で働く人たちがいる。

「辛抱」の方が、より「みんなで」同じ方向に向かっている気がする。

医療現場の人たちの辛さも、一緒に抱くこと(=考えること)ができる。

だから、辛抱しても、我慢はしない。

我慢は爆発する。

だが念ずれば華開く、という言葉のように、辛抱すればいつかは華が開く。この方が、ずっとずっと、望みがあるような気がする。

なんでも自分の事に置き換えて考えるのは悪い癖だが、不妊治療もそうだなとすごく感じる。これは辛抱だと。向かう先には、未来が待っていると自分に言い聞かせる。

たくさんの尊い命が失われ、現在、苦しんでいる人もいる。

今は暗い暗いトンネルかもしれないけれど、いつかは光が射し、出口が見つかるはず。

未曾有の大混乱を、辛さを抱いて、皆で乗り越えていきたい。


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