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ニュージーランドで妊娠・流産をした話〜流産編〜

注)かなり事細かに流産についての話をするので、センシティブな話題が苦手な人はお気をつけください。

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8週目で心音確認をしてから、つわりはひどいけど順調だと思っていた妊娠生活。

9週目を過ぎてつわりが軽くなってからは少し外に出かけたり、10週目には引っ越しもしてより住みやすい環境となり、生まれた後の部屋のレイアウトを考えたりデイケアさえも探し始めたりしていて迎えた11週目。

出血

11週の半ばのある夜、普通にトイレを済ませたら、トイレットぺーパーに血が付いていた。生理の来始めみたいな量でピンクと赤の中間のような色。

ショックを受け、すぐにベッドにいる夫に話をした。

ただ、一度拭き取った後は、続けて出てくる感じではなかったので、「もしかしたらダメかもしれない」、「この後大きな出血が来るかもしれない」という気持ちと、「大丈夫かもしれない」という気持ちが半々の状態で、翌日にミッドワイフに連絡をしようと決めてその日は寝ることにした。

翌朝、元々予定していた12週に向けた血液検査をするためにPathlabへ行ったものの、帰宅後また出血を確認したのでミッドワイフにテキストで連絡。

感染症などの疑いもあるかもしれないからswabテスト(膣内の組織の検査)と尿検査を受けるように勧められ、紹介状を作ってもらいPathlabに再度行って検査を済ませた。

検査結果が出るまでは1、2日かかると言われたのでその間、待機。大量の出血や激しい痛みがあるようなら救急(ED)に行くように、と言われたけどそれほどの出血も痛みもなかったので、ベッドの上でとにかく安静にしていた。

その日以降、生理の少ない日のような出血は流産の告知を受けた後まで続いた。少量の鮮血のあとに、ブラウンの血の小さな塊が出てくるのを繰り返した。

swabテスト(膣内の組織の検査)と尿検査の結果は異常なしで帰って来たので、12週のエコーまで様子を見ることに。

胎児の心音が確認できれば、切迫流産。そうでなければ不完全流産か稽留流産、という状況だったと思う。

ニュージーランドではあまり病名を診断してくれないので結局最後まで医者からの診断名はとくになく、一括りに「Miscarriage(流産)」と言われるだけだった。

エコー検査(12週目)・流産告知

実は出血があってからこのエコー検査までの間に、たくさんの人の切迫流産や流産の経験談や医療機関の記事などを読んで、一喜一憂していた。

出血があっても無事に出産まで進む人もいる、と言う話に希望を見出しつつ、心のどこかで最悪の事態を想定している自分もいた。

とはいえ、今後の未来を夫と話して楽しみにしていて、「きっと大丈夫」と楽観的な気持ちが7割くらいだったかもしれない。

そんな状態で12週目のエコーの日を迎えた。検査をしてくれるドクター(Radiologist)には実際に見てもらう前に現在の状態を伝え、その上でエコー検査を開始。

でも開始してすぐに、素人の私でも異常に気づいた。

赤ちゃんはあまりに小さく、そして胎嚢も大きさがいびつだった。

心拍は確認できず、ドクターからI'm so sorry... と言う言葉と、別のドクターを呼んでダブルチェックすると言うことが聞かされ、夫と二人でモニターを見ながら涙した。

ドクターは大きさからして2、3週間前には心拍が止まってしまっていたと思う、という言い方をしていた。

心拍停止後もお腹の中にいると変形し始めてしまうらしいので、いつ死んでしまったのか正確なタイミングは今やわからないけど、大きさ的に9週くらいだったんじゃないかと思う。

つわりが軽くなった時期だ。

週ごとにどれだけ大きくなるかをアプリで楽しみにしていた私たち夫婦。

ブルーベリー、ラズベリー、金柑、苺、アプリコット…

これからもどの週にはどれくらい、みたいに話して行くものだと思っていたので、出血以降少しだけ覚悟をしていたとはいえ、悲しかった。

今後のことはミッドワイフから連絡が来るはず、ということでRadiologyをあとにした。

流産告知後

年始だったのでミッドワイフは休暇中で、代わりに仲間のミッドワイフが連絡をくれた。

12週のエコーの時点で、2、3週間経っている状態だったので早く身体の外に出した方がいいのかとも思ったが、意外と自然排出を待つ人も多いようだった。

ミッドワイフからも、自然排出を待つか病院に紹介状を書いて処置について話し合うかの選択肢を問いかけられ、夫と話し合い病院へ紹介状を書いてもらうことにした。

とはいえ、ニュージーランドは医療のスピード感がとってもゆっくりな国。

まぁ急ぎでもないし、という感じなのかすぐには連絡が来ず。

待っている間、少しずつ心の整理がついたので結果的には良かったのかもしれない。

生理痛のような痛みは来ているけど、なかなか出てこない死んでしまった我が子。死んでしまっているんだけど、がんばって出ておいでーと声をかけたりマッサージしたり、運動したり色々して、自然排出を促してみたけど、全く効果なし。

処置方法の選択と手続き

流産告知から週が明けて、病院のミッドワイフから電話で連絡がきた。現在の状況の確認と、3つの選択肢についての口頭説明、ビザの状況を確認された。

現在も少量ずつ出血が続いていること、痛みは軽い生理痛のようなものがあることなどを説明。

今の状態での選択肢は「このまま自然排出を待つ」・「手術による妊娠組織の除去」・「薬によって子宮収縮を促す」の3つ。

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それぞれのリスクやメリットなどを説明してもらった上で、夫と二人で薬による治療を選択。

私はニュージーランドにはワークビザで滞在しているので、治療を無料で受けられる資格があるかどうかの確認のためビザ書類を送付する必要があった。私のワークビザはニュージーランド人と同じように治療を受けることができるビザなので、確認後に医師より電話があり、最終的な意思確認をされた後に処方箋をメールで受け取った。薬を受け取った夜に服用をし、翌日にミッドワイフから電話でフォローアップがあるという説明を受けた。

処方箋には陣痛を促すミソプロストールの他、痛み止めのためのイブプロフェン、パラセタモル、吐き気止めのためのオンダンセトロンも含まれていて、全部で20NZDだった。

驚いたのは実際に一度も病院に行くことがなく電話やメールで処置が完了したこと。

ミソプロストールによる小産

※妊娠組織・胎児の排出、と言うと悪いものなイメージがしてなんだかな、と思っていたところ、死んでしまった胎児の出産には小産という言葉を使うみたいなので、以降できるだけこの言葉を使いたい。

1日目

処方箋をもらってから薬局で薬を受け取り、ミッドワイフからの電話での指示通りその日の夕食後にミソプロストール200mgを4錠頬と歯茎の隙間に入れて少しずつ溶かして摂取した。

6時半くらいに口のなかに入れて、1時間かそれ以上、溶けきるのにかかった気もする。喉がカラカラに乾いて不快だった。

9時過ぎくらいから定期的に腰の骨や下腹部、肛門周りが痛くなる波があって、その波が来るたびにベッドの上で体を横にしているのが辛く、トイレとベッドの間を往復し続けた。痛みの波が来てるときは便器の上で座った状態の方が姿勢が楽だった。

便意も促されるものなのか、2〜3回くらいうんちも排出。

痛み止めはイブプロフェンだけ飲んだ。

夜中の1時半頃、ベッドで横になっている間に、どろっとした何かが膣から流れ出る感覚がしたので、大きな出血が始まったのかと思いトイレへ。

ナプキンには大量の出血と、小さな小さな赤ちゃんらしき姿が。

お腹の中に長くいると変形が始まってしまうと聞いていたから、正直どんな姿形をしているのかと思っていたけど、白くて、黒い小さな点が顔のあたりにあって、小さな腕と脚が確認できるティースプーンよりも少し小さなサイズの赤ちゃんだった。腕と脚を見た時点で涙がどっと出てきた。

その後も血とレバーのような血の塊をした妊娠組織は流れ続け、トイレは真っ赤になった。

出血の波がおさまってから、赤ちゃんをナプキンからどこかへ移そうとティースプーンを使ったけど、崩れてしまいそうな脆さで、そっとそっとジップロックに移して冷蔵庫で保管することにした。

トイレが真っ赤になるくらいの波がもう一度来て、その後は落ち着いたけど、生理のような出血は続いた。

かなり疲れ切って、その夜は眠りについた。

2日目

翌朝、仕事をするつもりだったけど、強めの生理痛のような痛みが続き、休むことにした。前の晩は痛みやしんどさが強くて、悲しい感情は朝起きてから湧き上がってきた。それでも、寂しさと同時に安心感もあった。

ミッドワイフから電話でフォローアップがあり、赤ちゃん含む妊娠組織が出てきたこと、現在の血の量・色・塊が含まれているか、などを説明したところ、もう一晩、初日とは半分の量を飲み残りの妊娠組織の排出を促すことになった。

「痛み止めは飲んでる?」と聞かれて「イブプロフェンだけ飲んだ」と伝えたら、パラセタモルと合わせて飲むと痛みにいいから「どんどん飲んで」、と言われた。

2日目の日中は食欲もなく、何か食べたくても動くのもしんどい状態だったのでほとんどを寝て過ごした。

夕食後6時半くらいに、再度ミソプロストール2錠を口のなかに入れて、溶けるのを待った。

前日同様、9時過ぎくらいから腰の骨や下腹部、肛門周りの痛みの波があったが前日ほどではなく、前日のように大量出血などはなく、ただ痛いだけでその日は過ぎた。

小産のあと

3日目の昼のフォローアップでも出血の量を聞かれ、朝ナプキンを1枚変える程度、と答えたら「大丈夫そうね」とのことで、今後についてのお話があった。

・出血は今後2週間程度は続くこと。

・3週間以上出血が続くようなら、Ultra Sound(エコー)での確認が必要になること。つまり出血が無事に治れば特にフォローアップはなし。

・次の妊娠はわりとすぐに考えているか?考えているのであれば、次の生理を1回待てばトライして大丈夫とのこと。

・出血停止後、次の生理までは必ずコンドームをつけて性行為をしてね、とのこと。これは妊娠が継続してしまっているのかを判断するためにも最低1回は生理を待った方がいいということらしい。

・メンタルは大丈夫か、と毎度の電話で聞かれた。もしこの後も辛かったら、然るべき相談先を紹介できるからいつでも電話してね、とのこと。

・次の妊娠をすぐに考えているのであれば葉酸を処方するね、コンドームもいる?とのことで、人生で初めてコンドームを処方してもらった。

Bereavement leave (死別休暇)

ニュージーランドでは、世界初(だったと思う)の流産でも最大3日の有給の死別休暇がもらえる国だ。

私は流産の告知を受けた翌日に、すでに妊娠を伝えていた同僚たちからBereavement leaveを取るようすすめられた。働いていた方が気が紛れるから取得しないでいたのだけど、実際の小産の際にはこの休みが取れてよかった。

身体への負担も、心への負担も大きな流産というライフイベントは上司や同僚に伝えるのも辛いけど、上司も奥さんと子が流産だったことがあり、辛いのがすごくわかるよ、と言ってくれた。

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思うこと

出血があってからは、初期の流産の確率は高いことは知りつつも、何かしないほうがいいことをしてしまったんだろうか、など考えることが多かった。

出血があっても大量でなかったり、痛みがなければ救急に行く必要はない、とのことだったけど、赤ちゃんが無事なのかどうかの確認という意味でお金はかかるけど救急へ行っても良かったのかもしれない、と思う。

無事がわかれば安心だし、私たちの場合はその時点で心拍が停止してしまっていたとわかっていたら、不安と希望を見出そうとしていたエコーまでの1週間を過ごさずに済んだわけだし。

私の場合、つわりが治まっていたこともあって、10週後半から11週目に引っ越しや買い物などで結構動き回ったので(当然重い物などは持たないようにしたけど)、結果的に出血(自然排出しようとしてた?)に繋がったのではないかと思う。そしてその後かなり安静にしていたので、完全排出に至らなかったとかもあるのかなぁ、、、と。
(医療従事者ではないのであくまでも個人的な意見です)

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今は悲しいけれど、私も夫もやっぱり子ども欲しいね、という気持ちはお互いに変わらないので、体調を整えて前に進みたい。

赤ちゃんは燃やして灰にすることもできなかったので、乾燥させて、手元に置いておくとまた来てくれないような気がしたので、美しい自然に還してきた。この辺の考え方は人それぞれで、正解はないと思う。

バイバイ、私たちの赤ちゃん、またね。



後日談

流産の処置をしてから1ヶ月と2日後に、生理が来た。

最初の生理は少しいつもよりきついかも、とどこかで見たもしくはミッドワイフが言ってた(覚えていない)気がするのだが、あまり痛み止めが効かず、じわーっと下腹部が痛い感じだ。

生理が来るまでは、しっかりと妊娠が終了し身体が正常に戻っているのか不安があったので、生理の血を見た瞬間に泣いた。

私の身体、よくがんばったと思う。

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