不寛容が怖い

不寛容を恐れている。


私はぼんやりとした人間だ。

コンビニでレジに並んでいて横入りされ、店員さんにも気付かれず、おや?と思うけれどもまぁいいかとやり過ごす。その瞬間は多少ムッとするが。自分の立っている位置や向きがレジに並んでいるように見えなかったのかもしれず、それならば相手に悪気はないことになる。じゃあ仕方ないかと。

ぼんやりとしているが、その分他人のぼんやりとした部分もあまり苦にならない。

育った環境がほのぼのとした田舎だったことも関係があるのかもしれない。


スピードと匿名と個の現代は、あちこちで不寛容が見受けられる。

少し心に引っかかることがあると、即座に叩いてしまう人が多いように思う。物事の一面しか見えていないかもしれないのに。

叩くことは匿名でできてしまう。それを受け取った相手の気持ちなど、顔が見えないから考えもしない。自然と言葉も尖る。

精神面や金銭面に余裕のある人は実は少なくて、個々で何とかして生きていくしかないような時代。他人の落ち度で自分が少しでも不利益を被るともう我慢ならない。必死なのだと思う。

でも、傍から不寛容を目撃すると、ぞわぞわと恐怖を感じる。

別に良くないすか?って思う。許そうよ。


改札でICカードのタッチが甘かったり残高が足りなかったりで止められてしまうとか、よくある光景。その時、後続の人が舌打ちしたり物凄い形相で睨んでいたりするのを見てしまうと、ぞわぞわする。

ネットはもっと大変だ。不快な思いをしたことを匿名で書く。すると、同じく匿名の人がワッと群がって拡散する。物事の全容を把握することと善悪を判断することは結構難しいと思うのだが、自分と違うものを悪だと決めつけて徹底的に攻撃する。かなり怖い。


自分の意見に芯が通っている人はすごいと思うけれど。


ここまで書いたところで、来月19日だと思っていた約束が今日だったことが発覚したため出掛けてくる。本当に抜けているから、寛容を求めるのは自分が生きやすくなりたいだけなのかもしれない。今日も許しを乞います。

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