道化

3月まで勤めていた会社の若手同僚が書いてくれた色紙を、諸事情あって昨日になってようやく読ませてもらった。とても懐かしい気持ちになると同時に、私も随分「まとも」な人間として社会人生活を送っていたのだなぁと感慨深かった。記されていたことのほとんどは、会社での仕事ぶりについてと今後の活躍を祈りますという内容だったからだ。


人生の節目節目でもらったメッセージというのは、結構心に残っているものだ。


中学時代、クラスの卒業文集に「なんでもランキングコーナー」的なものがあった。「面白い人」「有名になりそうな人」「早く結婚しそうな人」などさまざまな項目の中で、梶田は「不思議な人」という項目で見事1位を獲得した。まぁ気が向いた日の気が向いた時間帯にしか登校していなかったし、自分のことなんか周りに理解されてたまるかとも思っていたため、不思議だと思われていたことは満更でもなかった。


高校では、1年生の時に出席日数が足りず留年したことはnoteに何度か書いたかもしれないし書いていないかもしれないが、内面はそれほどとんがっていなかった。高校は好きだったため、4年間も通った愛校心を何かで示したいと思い、3年生の体育祭で応援団長を買って出た。喉が雑魚すぎてあまり大きな声が出ない(し、今も喫煙できない)のだが、体育祭当日までの期間は自分史上最大の声量を出し続け、最終的に出汁に使った煮干しくらいスカスカになった。まだ出汁に煮干し使ったことないけど。

青、赤、黄、緑の4組に分かれていて、私は青組だった。青組の応援団のダンスやエールは正直4組の中で最も下手くそだったが、応援団のバックでうちわを回したり声出しをしたりしてくれた青組の生徒たちの息がぴったりすぎたおかげで、青組は応援の部で優勝した。よき思い出である。

そして卒業時には応援団で一緒だった後輩から色紙をもらった。高校時代はかるたの道場に通っていて学校の部活動はしていなかったため、タテのつながりは応援団しかなく、後輩から色紙をもらえたことにちょっと感動した。

書かれていた内容はこうだ。


「変顔の鬼でした」


そう。


高校時代の私は変顔ばかりしていた。


高校に入ってから、なんだか容姿を褒められることが増えた。お世辞かもしれない。でも本心かもしれない。私はそれに返答するのが苦手で苦痛だった。「そんなことないよ」「〇〇ちゃんの方が」「ありがとう」……?どう返しても、いやらしさがあるような気がした。それで曖昧に笑ってやり過ごすしかなかった。その対応もたぶん間違っているのだと思っていた。私は嫌われることを恐れていた。容姿に関するやりとりのせいで嫌われることだけは絶対に避けたかった。

そして気付いた。

容姿は崩せばいい。

みんなに笑ってほしい。

道化をやろう。


画像1

↑高校時代の梶田。確かにきれいだ。(は?)


画像2

↑全力で変顔する梶田。修学旅行のバス内。


変顔やおかしな言動をして周りの人が笑ってくれるとき、私は安心していた。


いつかどこかで、「奇をてらう人間は弱さを隠しているのだ」というような趣旨の言葉に出合ったのだが、相当どきりとした。言い当てられた、と思った。

そして、私のやっていた道化は「天然もの」には絶対にかなわないのだった。本当に、天性の道化師というのが世の中にはいると思う。折々に発する言葉、表情、リアクション、すべてが道化なのだ。本人が意図しているのかどうかはよく分からないが。

そういう人物に出会って、いっとき憧れて、でもそこまでは自分はできないとだんだん悟った。

その結果、まじめで無難な会社員ができあがっていた、というわけだ。


今年30歳になる。容姿じゃなく、頑張ってやる道化でもなく、誇れるものを持てるといいな。今はぱっと浮かばないけれど。

文章を褒めてもらえる時は、何より嬉しい。これは高校時代からずっと変わらない。note楽しみにしています、と言ってもらえることが最近あって、本当に嬉しい。小見出しとか付けてないからたぶん読みにくいし、麻雀ほとんど関係ないし、思いつくまま書いているだけだけど、これからもぼちぼち続けていきます。

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