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バンコクの “新宿2丁目バー” 経営者・キースさんの「生きたいように生きる」人生

ネオン看板がひしめくバンコク最大の日本人向け歓楽街「タニヤ」。そのど真ん中のビルの3階に佇むのが、2018年開業の「リスペクトン」、 別名 “バンコクの新宿2丁目バー” だ。夜になると、店内から賑やかな笑い声や歌声が聞こえてくる。

このバーを経営するのは、常連客から「キース姐」として慕われるキースさん(本名:成田圭一さん)(50)。香港在住歴12年、バンコク在住歴13年の彼は、自身がゲイであると公表している。

取材当日にバーを訪れると、「バタバタしてごめんなさいね。私、落ち着きがないでしょ。いつもそうなの」と言いながら、氷たっぷりのグラスにマナオソーダ(マナオはタイ料理でよく使われるタイのライム)を注いでくれた。

明るく親しみやすい人柄のキースさんだが、これまでの人生、自身のセクシャリティに対する葛藤を抱え続けてきたという。タイでのバー開業に至るまでに、どんな経緯があったのだろうか。話を伺った。


セクシャリティの変化に翻弄された幼少〜青春時代

1972年、名古屋で年の離れた姉2人の末っ子長男として生まれたキースさん。幼少期から「自分は普通の男の子ではない」と感じていた。小学校では周囲の子から “オカマ” とからかわれ、「すごく嫌だった」と振り返る。

「身振り手振りが女の子っぽかったんだと思う。実際、近所の子と遊ぶときは、女の子と話す方が気が楽だったし。でも性自認は男だし、当時の恋愛対象は女の子だったのよ。男の子に対してはむしろ、『男になりきれない』がゆえの憧れを抱いていたような気がします」

だが中学1年生のとき、「女性より男性に性的な魅力を感じるかも」と気付いた。自身のセクシャリティに対する違和感は、多感な時期のキースさんを苦しませ、高校を卒業するまで悶々とした日々を送っていたという。

中学時代のキースさん。東京の修学旅行にて撮影(写真:キースさん提供)

高校3年生のとき、関東の大学の英米語学科を受検した。しかし第一志望の合格は叶わず、地元の大学の国際学部に入学するも、やりたかった英語を学べないことが不満で2か月後に大学を中退し、10か月ほどアルバイト生活を送った。

キースさんは当時を振り返り、「18、19歳のときはバイセクシャル(両性愛者)状態だった」と語る。

「恋愛対象としては女性、性対象としては男性に興味がある、そんな状態でした。『自分は正常じゃない』と感じて怖かった」

揺らぐセクシャリティに戸惑いつつ、スマホもSNSもない時代、同じ悩みを抱える人と繋がる手段がなかった。当時の日本社会では「同性愛=異常」であり、「バレたら差別される」という恐怖から、誰にも打ち明けられなかったという。

20歳の頃には、恋愛対象も性対象も男性である「ゲイ」に変化していた。

「当時は『ゲイ』だなんて絶対に口にできない雰囲気があって、『隠して生きる』のが暗黙のルールだったの。男の子に言い寄るなんて、もちろん御法度。好きでも好きと伝えられない青春時代でした」

しかし20歳のキースさんに、転機が訪れる。1980年代後半に、「伝言ダイヤル」や「ダイヤルQ2」といった電話回線を利用したサービスが登場し、ゲイ対象のツーショットダイヤル(※)も激増したのである。

※ダイヤルQ2、一般の公衆回線、国際電話回線を利用した、(一般的には)男性有料・女性無料の双方向会話サービス。出会い目的としてよく利用された。

キースさんもそのサービスを利用し、ようやく自分と同じセクシャリティの人々と繋がることができた。

「それが私の “ゲイデビュー” だった。ゲイの彼氏もできて、やっと自分の居場所を見つけられた気がしましたね」

大学時代にゲイバーで仲間たちと遊んだとき(写真:キースさん提供)

香港に魅せられ、25歳で移住

地元の大学を中退後、キースさんは中国に興味を抱き、大学に入り直すことを決意。名古屋外国語大学の中国語学科を受験し、合格した。

1994年4月、大学4年を前に1年休学して、私費で中国留学をする。半年間は北京外国語大学で、残りの半年間は深セン大学で中国語を学んだ。地元・名古屋のことしか知らなかった彼にとって、すべてが新鮮で刺激に満ちていた。

中国留学中に上海を訪れたとき(写真:キースさん提供)

留学期間中に夏休みを利用して、広州から夜行フェリーに乗って香港を訪問した。この旅がキースさんにとって人生の転機となる。

「そこで香港の魅力に取り憑かれたのよね。国際都市として栄える大都会で、煌びやかな夜景が放つエネルギーに圧倒された。小さな街のなかに多種多様な人種の人が住んでいて、東西の文化や新旧ごちゃ混ぜの雑多な雰囲気も独特で……。その熱気や喧騒に身を置くと解放感があって、自分が求める生活がそこにある気がしたの」

日本に帰国したキースさんは、「香港で働きたい」という思いを強め、それを軸に就職活動を行った。バブル崩壊後の不景気のなかで中国語の習得が幸いし、1996年4月、香港に拠点を持つ名古屋の服飾関連の商社に営業職で入社。国際業務チームがある岐阜支社で貿易や輸出入の知識を学んだ。

当時の日本では「中国進出ブーム」が加速しており、中国語が堪能なキースさんはその語学力を買われ、上海事務所の立ち上げという重要なポジションに大抜擢される。だが常に日本社会での窮屈さを感じ、「今の環境は自分に合っていない」というモヤモヤを抱えながら働く日々だった。

同支社で8か月ほど働いたある日、香港に住む友人からの「くすぶってるなら香港に来ちゃいなよ」という言葉で、キースさんの人生は一気に動き出す。2ヶ月後には会社を辞め、その翌月には香港の地に降り立っていたのだ。いったい何が、そんな大胆な行動の原動力となったのだろうか?

「すべては香港への強い憧れね。その会社でもう少し頑張れば、香港で働くチャンスが巡ってきたかもしれない。でも、私って忍耐がなくて(笑)。欲求を抑えられないワガママな性格なのよ。今行けば翌年の香港返還にも立ち会えると思って、衝動で『今すぐ香港に行きたい。行っちゃおう!』ってなったの」

1997年2月、25歳のとき、キースさんは香港に渡った。現地での職探しには苦労したが、「中国進出ブーム」の後押しもあり、1ヶ月後には日系物流会社の仕事が見つかった。

移住当初、キースさんにとって最大の目標は「永住権の取得」だった。香港では、外国人が合法的に7年以上連続して居住した場合、「永住権」を取得できるのだ。

「だから7年間、クビにならないよう必死で働いたわよ。永住権を手にするまではずっと、『ワークパーミットがないと香港に居続けられない』という精神的プレッシャーがあってね。でも憧れの香港生活が手に入っただけで十分だった」

7年後、キースさんは晴れて永住権を取得し、ようやく心の平穏を得た。香港生活はトータルで12年に及び、物流会社のほかに日系化学品商社、日系化学品メーカーでも営業職として勤めた。

香港の商社勤務時代、上海支社に出向したとき(写真:キースさん提供)

「山あり谷ありでも楽しい香港生活だった。香港人は明るく陽気で、情に厚い人が多くて、今でも『元気にしてる?』と連絡をくれるの。そのたびに、香港の喧騒や香港人が恋しくなるね」

バンコクで夢のバーを開業! 誰にとっても居心地の良い空間をつくりたい

香港の日系化学品メーカー勤務時代、キースさんは駐在でバンコクに派遣されて1年住んだ。駐在を終えて香港に戻るも、程なくして香港支社が閉鎖になることに。担当していた業務を引き継ぎ、2009年9月からバンコクを生活拠点とした。

さらに8年後、会社がアジアの拠点としてバンコク支社を設立。キースさんはその立ち上げ要員として8か月勤務した後、退職した。

2018年10月、46歳のとき、10年前からの夢だったという自身のバーをバンコクに開業したのだ。

「大学時代に地元のバーを手伝った経験があって、タイに来てから『バンコクで日本式のゲイバーをしたら楽しそう』とはずっと思っていたの。前職を離れる何年も前から、バンコクのゲイタウンを中心に場所探しをしていたよ」

店名の「リスペクトン」には、「Respecton=すべての人を尊重する」という意味が込められている。日本のゲイバーでいう「ミックスバー」に分類され、初心者や女性ひとりでも気軽に入店できる。

広々とした店内にはシックなバーカウンターやソファ席、巨大スクリーンがあり、カラオケは邦楽や洋楽以外にも、中国・韓国・フィリピンの曲までカバーし充実している。

リスペクトンの店内の様子(写真:筆者撮影)

「年齢・性別・国籍に関係なく、地元民も旅行者も、みんなが楽しめる居心地のいい場所にしたくって」

セクシャリティに寛容なイメージがあるタイだが、当事者であるキースさんの目にはどう映っているのだろうか?

「タイは日本よりセクシャリティにオープンではあるけど、同性愛に対する差別や偏見はかなり根深いと思う。個人的には『寛容』というより『無関心』の方がしっくりくるかな。タイは『人は人、自分は自分』の個人主義社会だから、そういう意味での気楽さはあるね」

キースさんがバーを開業してすぐ、パンデミックの影響で一時的に営業中止となり収入がゼロになるなど、不安な日々が続いた。だが最近は規制が緩和され、「客足もかなり戻りつつある」と、安堵の表情を見せる。

「差別」も「優遇」もない社会がいい

キースさんは、セクシャルマイノリティへの社会的認知の広がりに対してはポジティブに捉える一方で、 “LGBT” や “多様性” といった言葉が独り歩きする風潮には疑問を感じているという。

「マイノリティのひとりとして望むのは『差別のない公平な社会』であって、過剰に擁護されたり優遇されたりすることじゃないの。“LGBT” とひと括りにすることで『普通の人』と『LGBTの人』といった文脈になって、新たな分断を生む気がする。

もっとシンプルに、『個』が尊重される社会になってほしい。ほんと、性って難しいよね(笑)」 

リスペクトンで開催されたダーツの試合で訪問客と撮影(写真:キースさん提供)

海外移住して今年で25年が経つ。最後に、これまでの50年間の人生を振り返ってこう語る。

「反省だらけだし、50歳になっても未熟だし、性についての葛藤は今でもあるよ。でも、自分の生きたいように生きてきたから、後悔はまったくないの。好き放題する私を許してくれる周囲の環境には、心から感謝よね。今は、お客さんの楽しそうな笑顔を眺める時間がすごく幸せ」

性の葛藤を抱えつつ、自分らしく生きる道を切り拓いてきたキースさん。いつの間にか、大勢の客から愛されるバー経営者としての道を歩んでいた。誰かの心の拠り所になる裏表ない笑顔で、彼は今日もカウンターに立つ。


■リスペクトン Vol.1(Respecton Vol.1)
・住所:  3F, 58/18-20 Si Lom, Suriya Wong, Bang Rak, Bangkok 10500
・営業時間: 18時~深夜(※ 23:00以降のご来店は電話連絡いただけると幸いです)
・定休日: 不定期
・アクセス: BTSサラデーン駅から徒歩約5分
・電話: 0830098183
・Web:   Facebook    Instagram



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