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妹は私のソウルメイト

2023年5月16日、大安。初夏の晴れやかな青空のもと、4つ下の妹が結婚式を挙げた。

私たち夫婦と同様に、家族のみが参列する小さなセレモニー。愛する妹の晴れ舞台に立ち会うべく、バンコクから地元岡山に舞い戻った。

チャペルの扉が開き、母のエスコートで入場した妹の姿を見た途端、涙が溢れた。ブルーとホワイトのブーケを手に、ふわふわの純白ドレスに身を包んだ彼女は、咲き誇る花のように美しかった。


昔から、周囲に「ふたりはいつも仲良しだね」と言われる姉妹だった。大きな喧嘩も片手に収まるくらいじゃないかな? 妹は「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と、常に私のあとを付いてまわっていた。

幼少期の妹(左)と私(右)

私が8歳のときに両親が離婚。茨城から母方の実家がある岡山に引っ越し、祖父と母と妹との4人暮らしが始まった(祖父はその5年後に他界)。

木々が茂る裏山で、日が暮れるまでふたりで遊んだ子供時代。野いちごやツクシを摘んだり、秘密基地を作ったり、埋蔵金を探したり。海賊ごっこやマンモス狩りごっことか、わけのわからない遊びを次々と発明して、無邪気に走り回ったね。

変顔大会をしたり(いつも私が勝利)、おどけたダンスをしたり、毎日ドタバタ大騒ぎ。小学校で素の自分が出せず葛藤していた私にとって、妹とくだらないことで腹を抱えて笑う時間は何よりも豊かだった。

一方、妹に対して嫉妬心や劣等感を抱いていた時期もあった。不器用で人と上手くコミュニケーションを取れない姉の私と、器用で明るくクラスの人気者な妹。オープンな性格の彼女が心底羨ましかった。

「陽が当たるのは妹ばかり。みんな妹の方がかわいいんだ」と勝手に思い込んで、中学2年生くらいまで捻くれていた気がする。今思い返せばしょうもないけど、当時は真剣に悩んでいたんだよなぁ。


妹は私と同じ高校、同じ大学に進み、さらには同じ部活動に所属した。「ずっとマキはミクの後を追いかけていたよね」と母が笑う。

成長するにつれ、それぞれが自分たちの居場所を見つけ、ふたりで遊ぶ時間はめっきり減った。

それでもお風呂にはよく一緒に入った。小さな浴槽にふたりで身体を縮めて浸かり、顔が真っ赤にのぼせるまで『巨人の星 ~行け!行け!飛雄馬~』を大声で歌ったなぁ(笑)。

悩めるお年頃の女子たちは話が尽きず、リビングで深夜まで語り合った日もあった。

温泉上がりはコーヒー牛乳を一緒に飲む

誰より私の恋愛歴を知っているのは妹だろう。大学3年生のとき、元カレと別れて「もう無理。生きていけない…」とドン底状態だった私に、妹は「辛いね」と寄り添い、いろんなアドバイスをくれた。

私のあとを追いかけてきた妹が、いつの間にかこんなに頼れる存在になっていたなんて。私の身長を5センチも追い越した彼女の横顔が眩しかった。


私は不器用なまま大人になり、妹は器用なまま大人になった。妹の方が断然しっかりしていて、私は姉らしくない姉だけど、私にとって彼女はかわいい存在のままだ。

私が26歳のとき、1年間の世界一周の旅に出た。その出発の夜に、大学卒業を控えた妹から長文のメッセージが送られてきたんだよね。

妹からの長文メッセージ

「最近やけに妹がしつこく絡んでくるな〜」と思っていたら、寂しくて私に甘えたかったのね。そう知って、ぽろぽろと涙が落ちた。


私が結婚して千葉へ移り、そしてタイに引っ越してからは、いよいよ連絡をとる頻度が減った。

でも妹は、いつも私の帰省を楽しみにしていてくれる。一時帰国が決まれば張り切って有給を何日も取得し、「お姉ちゃんとやりたいことリスト」を作成してくれるのだ。

久々に再会したら実家暮らしのときと変わらず、ふたりで熱心にメイク研究をして、カフェ巡りやカラオケを楽しむ。

妹とカフェタイム

私が行きたい所はどこへでも連れて行ってくれて、妹の家に遊びに行くと自家製のフルーツソーダやスイーツでもてなしてくれる。そう、彼女はめちゃくちゃ料理が上手い。

互いに住む場所も趣味も付き合う人も変わり、自分たちは全く違うタイプの人間だとますます自覚するようになった。私にないものが彼女にあり、彼女にないものが私にある。

妹は「もしお姉ちゃんがクラスメイトだったら、きっとこんなに仲良くなってないね」と笑う。たしかに。これも巡り合わせかしら?笑



「仲良しのお姉さまへ、お手紙です」

司会者の女性のアナウンスで、目を赤くしたウェディングドレス姿の妹が、同じく目を赤くした私に桜色の封筒を手渡した。

挙式が終わり、実家に戻って部屋でひとり手紙を読むと、こんな言葉が綴られていた。

「お姉ちゃんとは性格が全く違うけど、同じ屋根の下で育ってきた姉妹として、根本の部分で通じ合うものがあるよね。お姉ちゃんは究極のソウルメイトです」

涙で視界が滲むなか、「私もそうだ」と深く頷いた。親友とかソウルメイトとか憧れていたけど、私にはいないと思っていた。でも、こんな近くにいたんだね。

一緒に野山を駆け回り、食卓を囲み、お風呂で歌をハモった昔のようにはもう戻れない。それぞれに帰るべき大切な場所があるからね。

でも私たちはきっと、これからもずっと、ソウルメイトとして支え合いながら生きていく。

手紙はこう締めくくられていた。

「どこかの誰かが “結婚相手は一生の遊び友達”と言っていました。私の一生の遊び友達は、〇〇くんという人になりました。私を一番に大切にしてくれる素敵な人です」

良い人に出会えて良かったね。ふたりが幸せそうで、お姉ちゃんも最高に嬉しいよ。

改めて結婚おめでとう。これからもよろしくね。

2023年5月、岡山県矢掛町にて(左が妹、右が私)


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