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なぜペルー料理は美味いのか?

壮大な世界遺産マチュピチュ、赤茶色の屋根がひしめくクスコの街、カラフルで可愛い雑貨……。

南米ペルーの地を踏んだ旅人の多くがその魅力に取り憑かれ、私ももれなくそのひとりだった。

ペルーの古都クスコ

しかしなにより心を鷲掴みにされたのは、ペルーの美食っぷりであった。


2016年に会社員を辞めて世界一周に出発した私は、1ヵ国目のメキシコで食生活に苦戦を強いられていた。世界でも絶大な人気を誇るメキシコ料理が思いのほか口に合わず、2キロ痩せた。

その後、キューバ、グアテマラ、コロンビアとアメリカ大陸を南下していく旅路でも、心から「美味しい」と思える食事にはなかなかありつけなかった。

ペルーの首都リマの旧市街

ところがペルーに入って現地料理を口にした瞬間、「うまい!うまい!うまい!」と、『鬼滅の刃』の煉獄さん並みにハートを撃ち抜かれたのである。

「ペルーは美食の国」と噂には聞いていたが、これがもう、なにを食べても美味いのだ。



そんなペルー料理の一部を紹介しよう。

まずはペルーの国民食、「ロモ・サルタード」。牛肉の細切り、玉ねぎ、トマト、フライドポテトを炒め、ご飯を添えた一品だ。

味付けは醤油ベースで、日本人の口にも合いやすい。

ロモ・サルタード

「セビッチェ」は白身魚・タコ・エビ・イカなどをレモンと酢で和え、最後に紫玉ねぎをのせた海鮮マリネ。程よい酸味がありサッパリとしている。

セビッチェ

「アヒ・デ・ガジーナ」はペルー版カレー。鶏肉をペルー特産の黄色い唐辛子とクリームで煮込み、ご飯にかけて食べる。

大抵ゆで卵やオリーブ、ジャガイモなどがトッピングされていて、コクがありクリーミーな味わいだ。

アヒ・デ・ガジーナ

エビ・イカ・タコ・アサリなど、魚介類の炊き込みご飯「アロス・コン・マリスコス」は濃厚なうま味がたっぷり。

アロス・コン・マリスコス

スープはスペイン語で「ソパ」と呼ばれ、具材は鶏肉や野菜、パスタなど種類豊富だ。

パスタ、鶏肉、野菜入りのソパ

「ソパ・クリオージャ」はトマトベースのミルク系スープ。牛肉や細麺パスタなどの具が入っている。程よいトマトの酸味を感じるまろやかスープで、唐辛子のアクセントが効いている。

ソパ・クリオージャ

塩茹でしたジャガイモにチーズクリームソースをかけた家庭料理、「パパ・ア・ラ・ワンカイーナ」も大好物になった。

パパ・ア・ラ・ワンカイーナ

ペルー料理を口にするたびに、渇望していた「うま味」や「コク」に酔いしれ、私の体は幸福で満たされていった。



しかし、なぜペルー料理はこんなに美味いのだろうか。

ひとつには、「食材が豊富」という理由が挙げられる。南北に長いペルーの国土は多様な気候や風土に恵まれ、バラエティ豊かな自然食材を生み出している。

首都リマを含む沿岸地域では、新鮮な魚介類が豊富に捕れる。ペルーは日本のように海鮮の生食文化がある珍しい国のひとつだ。

アンデスの山間部はジャガイモやトマト、トウガラシ、トウモロコシなどの原産地域だし、アマゾンの熱帯雨林はバナナや淡水魚の宝庫でもある。

リマのミラフローレス地区

もうひとつの理由として、ペルー料理の「多様な食文化が混ざり合って発展した」という歴史的背景がある。

元々ペルーには、イモを中心する先住民の食文化があった。

だが16世紀に始まるスペインの植民地支配を機に、ヨーロッパの食文化がペルーに持ち込まれ、またアフリカ人奴隷による食文化も加わった。

19世紀になると、イタリアや中国、日本からの移民も大勢やってきて、その影響も大いに受けた。

たとえばペルー版焼きそばの「タジャリン・サルタード」は、イタリア人移民が持ち込んだパスタに、中国人移民が持ち込んだ醤油で味付けをした一品だ。

タジャリン・サルタード

牛の心臓を串焼きにした「アンティクーチョ」は、アフリカ移民が生み出した料理なのだそう。

アンティクーチョ

ペルー料理は植民地支配や移民政策のなかで各国の食文化と融合し、それぞれの優れたエッセンスを吸収しながら、自国の豊かな食文化を育んできたのだ。



実は日本人移民がペルー料理に与えた影響も大きい。代表されるのが「ニッケイ料理」だ。

「ニッケイ」(日系)とは、明治時代に日本からペルーに移住した移民とその子孫のことを指す。「ニッケイ料理」とはすなわち、日本とペルーの食文化を融合した新スタイルの料理のこと。

日本人のペルー集団移住が始まったのは、1899年。明治維新後の日本では、より良い生活を求めて多くの農業従事者が国外へと出稼ぎ移住していたのだ。

当時の日本人移民たちのスーツケース(リマの日本人移住史資料館にて)

遥か遠くにあるペルーへの船旅はまさに命がけ。それでもみな、異国での新たな暮らしに大きな夢と希望を抱いていた。

当時の日本人移民たちのパスポート(リマの日本人移住史資料館にて)

だが現地で彼らを待ち受けていたのは、劣悪な労働環境や人種差別だった。広大なジャングルを前に、移住者たちは愕然としたことだろう。

それでも彼らは必死に生き抜いた。荒地を少しずつ耕して田畑を開拓し、現地民に日本式の稲作を伝えた。日本人移民が持ち込んだ生食文化が与えた影響も少なくない。

そして、日本の食の技術とペルーの豊富な食材をかけ合わせた末に誕生したのが「ニッケイ料理」なのである。現在「ニッケイ料理」はペルーの食ジャンルの1つとして確立し、世界的にも高い評価を誇っている。

日本人移民は祖国の食文化を守りつつ、ペルー料理の発展に大きく貢献した。その功績は、現地で今も脈々と受け継がれている。

筆者の地元岡山からも多くの人がペルーに移住していたようだ

ペルー料理を通じ、日本とペルーの深い結び付きを知った。





そんなペルー料理を懐かしく思い出し、バンコクの自宅でペルー料理を再現してみることに。

まずは「セビッチェ」。日系スーパーで刺身を買い、レモン汁、塩、オリーブオイルで味付けをした。

それから「ロモ・サルタード」。冷凍ポテト、野菜、牛肉を炒めて、そこにクミンパウダー、オレガノ、パプリカパウダーなどのスパイスを投入した。なかなか美味い。

地球の裏側にあるペルーを少し近くに感じることができた。異国の食文化を体験するというのは、世界と繋がる最強の手段ではなかろうか。


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