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子育てという言葉がしんどい

この記事を読んで、なるほど私はこういうことを考えていたのか、と思ったので。

私には2歳のこどもがいて、だいたいにおいて一日中こどもと一緒に過ごしているので、まあ子育て中、ということにはなるのですが、「子育てをしている」と言うのがどうも違和感があります。なので、こういう自分の状況を説明するときにはだいたい「2歳のこどもと暮らしている」と表現しています。この違和感はなんなんだろうなと思うのですが、おそらく自分がきちんと大人になっていない、成熟していない人間で、親として子供を育てるという責任を負うことがつらいからなんだろうなと考えるわけです。

世の中にはひとりでこどもの世話をしている人もたくさんいるようなので、私も同じようにできるんじゃないかと軽く考えていたのですが、祖父母の力を借りないと到底無理でした。こどもが自分のやりたいことを自由にできるようにしつつ安全に配慮しなけばならないので、一日中緊張している感じです。今はこどもに分別がついてきたのでそこまででもないですが、1歳半くらいまでは本当に神経がもたなかったです。夜もあまり眠れなかったですし。生活環境を整え食事やお風呂の世話をするのはごく単純なルーティンワークとも言えますが、こだわりの強い時期のこどもは私がトイレに行くだけでも大騒ぎなので(どうしても行かないでほしいらしい)、そんな中でそれを回していくのは難事です。疲れて余裕がなくなるとこどもに対して寛大な気持ちが持てなくなりますから、互いに主張が対立したときには、子供の喧嘩みたいになってしまいます。実に不毛です。

現在はこどもに対する責任として、生命と健康を維持し、人間として生活するための能力を獲得する機会を得られるよう気を配り、周囲と協調してやっていくためのルールやらマナーやらを刷り込む、ということくらいは考えていますが、自分にはそう大したことはできないと思います。こどもの人生に必要なことが何なのかすらもわかりませんし、こどもにプラスになるような何かを提供できるとは思えない。教育(こどもの能力を伸ばすこと)に興味のある人間なので、やってみたいことはいろいろあるのですが、それを優先するとおそらく自分自身が破綻します。私は親として無責任なのかもしれませんが、ひとりの人間として無責任だとは思いません。というか、「親として無責任」なのが避けられないのならば(私の個人的な能力が低いから無理なのか、人が親として責任を果たすのがそもそも無理なのかはわかりませんが)、幼いこどもと暮らす、彼よりも少し長く生きている人間としての責任を真剣に考えたいと思っているのかもしれません。

それとは別に、親としてのロールプレイが必要になる場面もあるのではないかという気がしています。こどもが2歳の今はまだあまりわかりませんが、こどもには「立ちはだかる大人」が必要な場面があると感じているからです。私には親になることも大人になることもまだ難しいみたいなので(一生無理かもしれない)、親のふり、大人のふりをするということですね。これを日常的にやるのはあまりに欺瞞が過ぎるので、ここぞというときに発動しようかなと思います。そう言いつつ、そんな機会はないような気もしているのですが。そういう場面では、他に適任者が出てきてくれるのではないでしょうか。

毎日毎日、最善を尽くしていると思います。それで駄目ならもう仕方がない。私は思うのですが、誰だってみんな、その人なりの最善を尽くしているのです。それがどう見えようと、どういう結果になろうと、それ以外にやりようがないものなのだと思います。私はそういう気持ちでいると、楽です。

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