今日は人生のことを三回考えました。

 これ、少ない方です。いつもはもっと考えてるわけだけど、決して物憂いてるわけじゃない。
 もちろん、本当に生きること自体が淵まで来ていて、先のことを考えざるを得ない人は憂いてるだろうけど、俺のは全然違う。
 でも、明るい未来を想像してるわけでもないです。

 中学生だったか、高校生だったか忘れたが、もしくは社会人一年目の研修での話だったかもしれないのだが、人生設計を書いて提出することがあった。たしか、進学の話もあったから社会人ってのは覚え間違いか。
 この時、すごく驚くことがあった。それは、周りのみんながすらすらと人生設計を書き連ねることだった。
 え? どこでそんなこと習ったの? って感じで困惑した。が、ちゃんと俺なりの結論にたどり着く。それは、『みんな。それっぽことを書いてるだけで、本気じゃない』ということ。それなら、俺にもかける。つまり、自分の人生設計を書くんじゃなく、模範的な誰かの人生設計を書くということだった。ちなみに、そんな出来事はこの時に初めて起こったわけではなかった。

 学校の先生に叱られた経験は、誰もがあると思う。まあ、なくても良いんだけど、とにかく俺は、学校の先生が怒るっていうのが理解できなかった。
 何が理解できないのかと問われれば、つまり、『教師の仕事は授業を行うことで、言うことを聞かない生徒に怒りが発生するのは無関係』だと思っていたから。まあ、今もその疑問はぬぐい切れていないが。
 先生が本気で怒っているように見える度、困惑した。しかし、この時もちゃんと俺なりの結論にたどり着くことができたわけだ。
 その時は、『教師らしさを保つ為の演技』で怒っているんだと俺は理解した。
 このことを理解をした時、俺はその演技に付き合おうと努めた。
 学校の先生が演技で怒ってるから、俺も演技で反省して課題をこなす。
 そして、その演技は、演技だと気がついてない人たちのために行われていると思っていた。俺にとって、先生に怒られる意味は、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 話がそれたが、何が言いたいかというと、俺は自分が理解できない物事を、『誰も本心ではなく、みんなはあくまで誰もがしそうな行動を選んでいる』という考えで理解してきた。

 しかし今、俺は二六歳で、どうやらその考えが間違っていると気がつきはじめた。
 つまり、学校の先生は本当に俺に怒っていて、人生設計をスラスラと書いた同級生は、本当に将来のことを考えていた。ということだ。

 今の俺は、人生についてよく考える。最初に考えたのはいつだろう。何となく、人生がつまらないものになると予感したのは、中学校に通学して二日たった日なのは覚えている。
 別に、特別なきっかけがあったわけじゃない。ただ、それまで無条件で楽しかった人生が、突然輝きをなくした。それだけだった。理由は全くわからなかった。ただ、楽しくない時間が残りの人生のほとんどを埋め尽くすということだけを理解していた。
 けど、それは人生について考えていたわけではない。その布石になるような感性の芽生だったのだろう。

 教室のあの時、俺は人生設計を理解してなかった。わかってきたのは社会に出てからだ。人一人の年収が大体予測できることに気がついてから、やっと実感が沸いたのだった。
 あの時、人生についてを書いていた同級生たちの何人が、生涯賃金や一軒家の値段や生活費の存在に気がついていたのだろう。少なくとも、俺は全くそんなことを知らなかった。
 もし、知っていたらどうだっただろうか。おそらく、正気なんか保てないんじゃないかと思う。もし、あの同級生たちのほとんどがそのことを知っていながら、不貞腐れずに毎日冗談を言っていたとしたら、それこそ異常なんじゃないかと思ってしまう。

 今の俺が人生について考えるとうことは、他人について考えることと同義だ。
 そして、俺と他人のズレを理解していって、そのズレのせいで起こる問題を先に理解しておく。ただ、これはほとんど現実逃避と同じだ。そのズレを修正できることは残念ながらほとんど不可能だからだ。

 例えば、蛇が可愛い。犬が触れない。虫がさわれない。人肌の生温いのが気持ち悪い。歪んだギターの音が好き。そんなような趣向のズレがほとんどで、これ以外にも、意味があると思っていることと、無意味だと思ってることが、あまりにズレている。

 だから、俺はこのズレを見つけた時、人生を考える。その間に存在する妥協案や、努力でどうこうみたいな部分を全部飛ばして、人生について考える。二十歳の頃は、全部修正しようと思っていたが、それは、蓋のついた水槽の中に閉じ込められて、水を注がれてるのと一緒だった。

 それではあまりに辛いわけで、だから俺は長い人生の道を辿ることした。ズレが見つかった時、俺は人生を考えて、淡々と、訪れるであろう出来事を、先回りして理解する。

 今日は人生のことを三回考えました。

鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。